※ 本作品は、『IZUMO2 学園狂想曲』ハッピーエンド後を前提とした、連載SSです。
※ 本作品は『カグツチ帰郷物語』の外伝に当たり、同作と世界観を共有しています。
※ 『沢木千夏物語』本編の執筆が滞っているため、最終章を先に執筆・公開します。
しかし、サトリは熊助の狙いを完全に見抜いていた。
「甘いっ!」
事実、サトリは自分の下腹部を狙ってきた相手の突きに対し、左側にさっと身をずらすだけで、これをあっさりとかわすと、あろう事か、なぎなたの手前3分の1辺りの位置を、右手でバシッとつかんでしまった。
「何をっ!?」
熊助は、相手の手を振りほどこうと、必死でなぎなたを押したり引いたりするが、無論、その程度でなぎなたを手放すサトリではない。
「ふふふっ……」
サトリは熊助に対し、余裕の笑みを浮かべている。
ただ、その表情はぎこちないのが、はた目にも分かる。どうやら、サトリもかなり無理をしているようだ。
〈くっ……そういうことなら〉
実際には、それは無意識の思考。熊助自身にとっては、考えるより先に体が動いたという感覚だったはずである。
なぎなたを離さないサトリをそのまま横へ振り飛ばすべく、熊助は得物を握る拳に、ぐっと力を込めた。
しかし、その直後にサトリが見せた行動は、明らかに熊助の想像を絶していた。
「あらよっ」
「ぬあっ!?」
全く唐突に、サトリはなぎなたを支点にして、そのまま宙返りするように跳び上がってしまったのだ。
それはまるで、つっかい棒1本で辛うじて立ち続けていた老木が、その棒をいきなり引き抜かれてバッタリと倒れた光景を見ているようだった。
目標を失った熊助の腕力は自分自身に跳ね返り、熊助はそのまま地面に転がされるように、もんどりうって倒れてしまう。
片やサトリは、なぎなたを手放してその場で1回転すると、そのまますんなりと着地した。無様な熊助に対し、何とも当て付けがましく。
「熊助っ!」
「うぐっ……」
千夏の叫びに促されたように、熊助は半身を起こし、サトリを見上げた。
サトリは腕組みをし、「へっ」と相手を嘲笑する風情を見せて、突っ立ったままふんぞり返っている。
”壁”の外にいるカグツチは、目の前の光景に、半ば呆然としていた。
「サトリは、熊助君のわずかな挙動から、その次の手を完全に読み切り、常にその1歩先を奪うように行動している。
あのサトリが、そこまでの格闘センスを持っていたとは信じ難いのだが」
〈どういうことだ……?〉
熊助の心の内は、戸惑いで満ちあふれていた。
純粋な格闘戦であれば、人間の達人が相手ならいざ知らず、悪霊相手のタイマン勝負であれば絶対の自信を持っていた熊助である。
その熊助が、決して上級悪霊とはいえないサトリを相手に、全く歯が立たないのだ。
〈こいつ、完全に俺の次の手を読み切って、常にその1手先を進んでいやがる。
格闘技の達人であれば、相手のわずかな挙動を読み取ることも出来るだろうが、こいつにそんな真似が出来るとは――〉
その一方、先ほどのカグツチの言葉を否定する、思わぬ人物がいた。
「違うわ、ヒカルちゃん」
「……綾香さん?」
綾香は、カグツチのそばに近付き、更に言葉を続ける。
「あいつは、相手の心の弱い部分をピンポイントで突き、自ら戦うことなく相手を自滅に追いやる策略家よ」
それは20年前、七海と綾香自身が身をもって体験した事だ。「そして、それを実行するためには、ある能力が必須。サトリは、その能力を格闘に応用しているのよ」
その経験があったからこそ、綾香はカグツチよりも早く、そのことに気が付いた。
「能力って……」
片や、熊助の方も、同じ事に気が付いたようだ。
〈……待てよ? 相手を……読み取る……〉
綾香は、カグツチにはっきりと答えた。
「相手の心を読み取る、テレパシー能力」
「……ああっ!」
「相手の手の内が筒抜けなら、そこへ常に先手を打つことは造作もないこと。いわば、相手の手札が丸分かりの状態でやるポーカーだわ」
そして、熊助もまた、同じ答えに至った。
〈そうか! こいつは、俺の心を――〉
そして、熊助はようやく思い出した。
それは前々世、熊助がまだ「虎之助」だった頃にあった、一つの出来事である。
その時、虎之助と美園は、たった一人の悪霊に対し、思わぬ苦戦を強いられていた。
「ちきしょう! こいつ――」
「『何で、俺の連撃をこうも完璧にかわせるんだ?』と思ってるだろ、そこのお前」
「やかましい! 一々先に言うんじゃねえ」
「虎之助、あんたも、一々突っ込むんじゃない!」
とある村から、警視庁特別班に寄せられた依頼は、こうであった。
「突然現れた男が、出会う先々で村人の思っている事をズバズバと言い当て、しかもそれを方々へ吹聴しまくっており、村全体が大混乱に陥っている。男の正体を突き止め、出来れば退治して欲しい」
もちろん、これだけでは悪霊の仕業とは断定できない。桐谷五郎曰く、人の心の中を読む能力を持つ人間というのも実在するからだ。
しかし、そういう術者――つまりテレパスは、その能力がもたらす、特に社会的なデメリットというものも熟知しているため、その能力をいたずらにひけらかすことはない。むしろ、その真の能力を隠し、例えば「未来予知」と思わせて占いに応用するといった形で生かす場合がほとんどである。
結局、犯人は悪霊である可能性が高いということで依頼を受けることになり、こうして虎之助と美園が村へ派遣されて来たのだが――。
「そういう後ろの女も、『そうよ。おしゃべりな男は嫌われるんだから』っと思ってたよな、今」
「分かってんなら、少しは慎みなさいよ!」
あーあ、美園まであっさりと悪霊に乗せられてるよ。
問題の犯人――出会ってみれば一目瞭然で、やっぱり悪霊だった――は、それはもう、絵に描いたような愉快犯だった。
二人が相対してから、長棍となぎなたで攻めている間も、こいつは二人が心の中で思った事を、何でもかんでもペラペラとしゃべりまくっていた。そうして相手が怒ってむきになるのを、完全に楽しんでいたのだ。
ただ、こいつは攻撃手段を物理・呪法とも持っていなかったようで、ひたすら二人の攻めをよけてばかりしていた。とはいえ、二人の攻めをかわし続けるその様は、はた目には神業としか思えないのだが。
そして、二人がさすがに疲れて攻撃を休んでいる間も、悪霊はとにかくしゃべるしゃべる。いや、これこそが悪霊にとって、唯一にして最強の「攻撃」だったのかも知れない。
「あっ、今、『美園が言えた義理かよ』と思ってたぜ、この婿殿、いや婚約者か?」
おーっと、今度は夫婦(?)ゲンカを誘発かあっ。
「わっ、馬鹿! 言うんじゃねえ」
「虎之助……誰がおしゃべりですってえっ!」
夫をにらみ付ける美園。しっかり殺気がこもっております。
「『そんなこと言うなら、今夜はH抜きだからね』ってか。いやあ、お熱いねえ、お二人さん」
それに対し、二人は心を一つにして悪霊を怒鳴り付けた。
「やかましい!」
さすがカップル――というには、ちょっと情けないが。
「ははは……あいにく、俺たちの種族には、他人が心に思っている事が筒抜けでな。しかも、それを口にせずにはいられないタチなわけよ。まあ、要するにそういう悪霊なんだな」
「何て、はた迷惑な野郎だ」
あきれる熊助だが、当の悪霊は全く気にしていない様子だ。
「うん、自覚はしてる」
そう言いつつ、全く反省の素振りもない相手に対しては、美園もあきれるしかない。
「でも、直す気はないわけね」
「ないね。そういう悪霊だし」
ただ、こいつはおしゃべりとして、いささか度が過ぎていたようだ。
「しかも俺は、種族の中でも優秀な方でな。相手が自覚すらしていない無意識の思考ですら、俺には丸見えなわけよ。
つまり、お前たちがその武器を、次はどう動かそうとしているか。それが、俺には逐一、それこそ手に取るように分かる。だったら、それをかわすぐらい、造作もないことだよな」
と、聞かれてもいない事まで、悪霊は自分からベラベラとしゃべってしまった。
まだ二人はそこまで気が付いていなかったことが、分かっていたのにもかかわらず。
実はそれまで二人は、悪霊に対して一人ずつ交互に対決していたのだ。つまり、一人が攻めている間、もう一方はしっかりと休んで体力を回復させるという、まあ、普通の戦闘スタイルである。
だから、二人が意を同じくして突然その場を移動し、悪霊を挟み撃ちにするように一直線に並ぶと、それまで強気一辺倒だった悪霊の態度が急に変わった。
「ん? な、何だ……?」
それに対し、虎之助はにやりと笑って、
「何だも何も、とっくに気付いてんだろ?」
そして、美園も、
「だったら、たとえ相手の手が読めたとしても、それでも回避し切れないほどの超高速攻撃を」
「それも二方向から同時に見舞ったら」
「一体、どうなるのかしら……ねえ?」
「は、はは……う、嘘だよな……」
嘘でないのは、本人も分かってます。
悪霊、冷や汗タラタラです。しかし、もはや逃げ場はない。
それはきっと、手元のチップはたった1枚で降りることすら出来ず、しかも相手の手がファイブカードと分かった時のような絶望感だったに違いない。
「究極奥義・千手羅漢!」
「究極奥義・竜王演武!」
それはもう、描写するのも面倒なくらい、一瞬の虐殺でした。南~無~(笑)。
「ギャアアアアアアアアアッ!!!」
――とまあ、そんな思い出(?)を回想している熊助に対し、突然サトリが口を開いた。もちろん、わざとである。
「ああ、それは俺の同族だな」
「…………! てめえ、やっぱり!」
相手の能力の正体に気が付いた熊助に対し、サトリは「やっと気が付いたか」と言わんばかりの態度を見せた。
「何しろ俺たちの存在意義は、『人の心を読み、それを相手に語って聞かせることで、相手を困らせる』ことだからな」
「堂々と言う事かよ」
しかし、事実だからしょうがない。むしろサトリは開き直ったように、更に言った。
「悪霊なんて、そんなもんだろ?
俺だって、お前が心の中で思っていた事を洗いざらいしゃべりたくて、うずうずしてたんだが、それをやると、俺の能力がお前にバレてしまうんで、ここまでずっと我慢してたんだ。褒めて欲しいぐらいだな」
「るせいっ!」
熊助は一言だけ言い返すと、ここで意外な行動に出た。
「もう、こんなもんは要らねえ」
そう言って、長棍の先に装着していた雷光刃をいきなり引き抜くと、その刃を遠く後方へと投げ捨ててしまったのだ。
放物線を描いた雷光刃は、トンと鈍い音を発して地面に当たると、跳ねるようにトントンと地面を転がる。
そして、動きを止めた直後、黄色い刃はシュウウウ……と光の粒と化し、そのまま消滅してしまった。
もちろん、熊助の意図はサトリには分かっている。サトリは、腰に締めているベルトのバックルを指差しながら、熊助に言った。
「なるほど。標的がこのバックルの1点のみなら、悪霊に通用する刃など着けたところで意味はない。ならば、長棍を少しでも軽くして、攻撃速度を上げた方が、確かに得策だな」
「へっ、わざわざ解説してくれて、ありがとよ」
そして熊助は、千夏に対して指示を送るべく、振り返って後ろを見た。
「おい、千夏!
……あれ?」
しかし、後方で二人の戦況を見守っていたはずの千夏の姿は、そこにはなかった。
「おい、お前の彼女なら、あっちで井戸端会議中だぜ」
サトリは熊助をあざ笑うように、自分から見て斜め右前方にある“壁”の方を右手で指差す。
熊助が見ると、確かにそこには、“壁”越しに自分の母親と何事か話し込んでいる、千夏の姿があった。
「何やってんだ、千夏!」
ほっとかれたように感じた熊助は、思わず千夏に対して大声で怒鳴った。
しかし、その声に気付いた千夏は、振り返ると、熊助に対して大声で言い返す。
「しょうがないでしょ! 私なんて、何の役にも立たないんだから」
確かに、ヒールを放つ余力さえ尽きてしまった千夏には、今のままでは何の戦力にもならない。正論である。
「いいから、こっちに戻れ!」
「はいはい、分かったわよ」
そしてようやく、千夏はふて腐れたように、熊助の元へと駆け寄り出した。
「それじゃ、あとはお願いね、七海ちゃん」
“壁”の向こうにいる母親に対し、それだけを言い残して。
熊助は、一旦サトリの前から離れ、自分の元へ戻ろうとしていた千夏を迎えた。
で、その千夏だが。
「それで、サトリを倒すのを諦めて、ベルトにある宝玉の奪取に目標を切り替えた熊助としては、それをどうやって実行する算段なわけ?」
熊助のそばに来るなり、唐突にこんな質問をぶつけた。
これを受けて、熊助の表情が面白いほど変わる。いかにも、びっくり仰天しましたという顔だ。
「何で分かった!?」
断っておくが、先ほどの熊助とサトリの会話が、千夏にも聞こえたというわけではない。
となれば、熊助がこう思うのも無理はないかも。「まさか、千夏も人の心が――」
しかし、千夏はあきれた表情を見せて、
「あのねえ……テレパシーなんか無くたって分かるわよ。
熊助って、動きが本当に真っ正直なんだから、何を狙ってるかぐらいなら素人目にも一目瞭然なの」
これには、熊助も「あがっ」と、口をぽかーんと開ける他なかった。
一方、“壁”の外でも、
「確かに……」と渚も、千夏の台詞に同意してうなずいていた。
そして、綾香にはこんなことまで。
「でも、それって武道家としては致命的なんじゃ?」
しかし、カグツチの意見は少し違ったようだ。
「そうかも知れんが、彼の長棍が繰り出す高速攻撃は、それを補って余りあるものがある。
あの攻撃スピードを前にしては、いくら狙いが読めたところで、並の人間や悪霊には対処のしようがない。むしろ、狙いが見えている分、迫り来る恐怖感を余計に浴びせられることになる」
ただ、こう付け加えることを忘れなかった。「――ただ、サトリは並の悪霊じゃない」
「……千夏にも言われるとは、思わなかったぜ」
「何よ、『にも』って?」
「師匠にも、ずっと言われ続けられてきたんだよな、同じ事を」
ちなみに、ここで言う「師匠」とは「虎之助」の師匠(破門前)のこと。
更に付け加えると、実は桐谷五郎や、更には「熊助」の師匠である父親にも、同じ事を未だに言われ続けていたのであった。
……熊助って、実は全然成長してない?
さすがに気の毒になったのか、千夏はすかさずフォローを試みた。
「根が正直ってことでしょ? 人として悪い事じゃないわ」
しかし、熊助は「はあっ」とため息をついて、
「あんまり、褒められた気がしねえ」
「ひねくれないの」
千夏は、改めて熊助に問いただす。「で、話を戻すけど、実際のところ、どうなの?」
「お?……おお」
千夏の台詞を受けて、熊助の表情がきりっと引き締まったものに変わった。
熊助は、サトリの方にちらっと視線をやってから、千夏に言う。
「奴は相手の心を読める。だが、そこに付け入る隙がある」
「隙?」
千夏には、意味が分からない。
「へっ……まあ、見てろって」
それだけ言うと、熊助は再びサトリの方へ、体の向きを変えた。
そして熊助は、サトリの前へと歩を進めた――進めようとした。
この時、いきなり後方から、熊助の右手をぎゅっとつかむ者がいた。
「えっ……?」
熊助は反射的に振り返る。案の定、つかんだのは千夏であった。
熊助の当惑する表情を、千夏はしばらく、ただじっと見上げる。
数秒後、ようやく千夏は口を開く。出て来た言葉は、ただ一言。
「熊助……私を信じてる?」
「…………!」
まるで謎かけのようだが、熊助には、千夏の言わんとしている事が即座に分かった。
熊助は当初、千夏たちをサトリから守るために、自分一人の力でサトリを倒そうとしていた。
「千夏を守るために、千夏より強くなる」。かつて熊助が誓ったその約束に、熊助自身が縛られていたためだ。
本当は、千夏はそんなことを望んでいないにもかかわらず。
しかし今の熊助は、それは不可能だと知り、自分たちの希望を千夏に託そうとしている。
千夏が動けないのは、サトリが持つ水魂のせい。
それさえ自分が奪えれば、あとは千夏が何とかしてくれる。
自分の役目は、千夏が動けるステージを作ること。それだけでいい。
――熊助は、そのように考えを変えている。
少なくとも、千夏には今の熊助がそのように見えた。
果たして、それは正しいのか?
――千夏は、熊助にそう問いかけているのだ。
それが分かったからこそ、熊助もまた千夏に、
「当たり前だろ」
小さい声で、そう答えた。
小さいが、しっかりした力強い答えに、千夏は、自分の信じた通りであったことを確信する。
「そう」
だから千夏も、更に続けて、熊助に小さく言った。
「私も、熊助を信じてる」
「……分かった」
熊助はそう言ってうなずいた。
それを見て、千夏はようやく、熊助の手を放した。
熊助は再び前を向き、サトリに向かって歩き出す。
千夏はただ、その姿を後ろから見送るのみ。
熊助はサトリに相対すると、右手の長棍を縦に持ち、地面に突き刺すようにドンと叩いた。
「待たせたな、サトリ」
「おう、待ってやったぜ」
片やサトリは、先ほどから自信たっぷりの表情を見せて、ずっと突っ立ったままだ。「で、別れの水杯は交わしてきたか?」
「あいにく、杯の持ち合わせがなくてな。お前と交わせなくて残念だぜ」
サトリの皮肉に対し、熊助も皮肉で返した。
そして、熊助を後方から見守る千夏も、
〈うん、これなら大丈夫〉
その落ち着きようを見て、彼の内に秘めた自信を感じ取っていた。
「俺は、お前がただ純粋に、持ち前の俊敏さだけで俺の攻撃をかわし続けていたと思い込んでいた。
それが本当だったら、俺には手の打ちようがなかったかも知れん」
「ふん」
「しかし――」ここで熊助は、長棍の先をすっとサトリに向けた。「俺が一切の邪念を捨て、全くの無心になって奥義を放つことが出来れば、勝ち切れないまでも、そこの宝玉を奪い取る程度のことは可能だ!」
これに対しサトリは、熊助の台詞を事前に読んでいた上で、用意した反論を返す。
「人間であれ悪霊であれ、脳が体に命令を発しない限り、体が勝手に動くことはない。条件反射というものがあるが、あれも人間の意識の外で、脳がしっかりと働いているからこそだ。
人として生きている限り、真に無心でいられることなどありえぬ」
この反論は、熊助にも予想できた事。それゆえ、熊助はただ「ほお」と相づちを返すのみだ。
サトリはそれに構わず、更に続ける。
「そして俺は、そのような無意識の脳の働きですら瞬時に読み取り、更には人間の次元を超える反応速度で、体を動かすことが出来る」
「だろうな」
サトリの言葉に嘘はない。しかし熊助はそれを承知の上で、軽く受け流す。
「集団相手ならいざ知らず、1対1の勝負で、この俺に敗北の二文字はない。
何しろ、あのスサノオさえ、タイマンでは俺に勝てなかったんだからな」
“壁”の外で耳にした渚にとって、このサトリの台詞は聞き捨てならない。
「スサノオとっ!?」
それに対して、カグツチが解説を加えた。かなりげんなりした表情で。
「らしいな。
スサノオ曰く、一方的に『試合』を申し込んできたサトリに対し、スサノオはボコボコにしてやったそうだが、サトリの余りのすばしっこさ故に、最後まで急所だけは打てなかったらしい」
「……何それ?」
「要するに引き分けというか、痛み分けって奴だな」
一方、熊助はサトリの“ハッタリ”に、何ら動じるところはない。
「だったら、受けてみるか? 俺の究極奥義を」
するとサトリは「ふん」と鼻で笑ってから、
「受ける気はない。俺はどんな攻撃に対しても、全てかわすだけだ」
「いいだろう」
熊助はサトリから目を離さないまま、長棍を手元に引き、半身の姿勢を立った。「ならば、かわしてみるがいい――」
「俺の究極奥義、千手羅漢を!!」
そう言い放った直後、熊助の体から、何かが爆発したかのように強烈なオーラが立ち上がった。
熊助を覆う炎の如きオーラに、さすがのサトリも一瞬たじろぐ姿勢を見せた。
しかし、そこは稀代の自信家である。サトリはすぐに落ち着きを取り戻し、
「……俺に、こけおどしは通じん!」
と、自らを奮い立たせるような台詞を吐くと、自らも半身の姿勢を取り、迎撃態勢を整えた。
「行くぜええっ!!」
熊助は全身からオーラを燃え立たせたまま、弓から放たれた矢の如く、サトリに向かって猛然と駆け出した。
その右手には、己の背丈ほどもある長棍が、まるで飛行機のプロペラのように猛烈な勢いでブンブンと回っている。そばにいたら、その「プロペラ」の勢いだけで飛ばされそうだ。
「させるかああっ!!」
サトリも負けずに、相手のダッシュに張り合うように全速でスパートした。狙いは、熊助の最初の一撃をあっさりとかわした上でのカウンターアタックだ。
「でりゃあああああっ!!」
「キエエエエエエエッ!!」
「…………」
“外”の一団は誰も言葉を発することなく、二人の激突をただじっと見守る。
そして、二人の体が中央でぶつかりそうになった、その瞬間。
熊助は突然口をつぐみ、向かってくるサトリの胸を目がけて、右手の長棍を一直線に突き出した。
ダッシュの勢いはそのままだが、先ほどの高速回転が嘘のように、振り出された長棍は見事なまでに地面と水平だ。
「うぐっ……!?」
相手の攻撃のタイミングをつかみ損なったサトリ、反射的に左へひらりとかわし、どうにか直撃だけは免れる。しかし、長棍の先は、確かにサトリの胸をかすめていた。
思わぬ事態にサトリは、カウンターの機会を逸してしまう。
熊助はダッシュを止め、両足を地面にしっかりと固定するように踏ん張る。その視線は、サトリから1ミリたりとも外れない。
そして、熊助の右手に握られた長棍の先が、機関銃のようにサトリの全身に向かって猛然と襲いかかる。
「…………」
「うっ!……くっ!……うっ!?」
無言でサトリをにらみ付ける熊助に対し、サトリは必死の形相で、右へ左へと相手の攻撃をかわし続けるが、長棍から繰り出される連続攻撃は半端ではない。
腕、首、顔面、胸、腹、もも、すね……長棍は、次から次へとサトリの体のあらゆる部位に向かって襲いかかっていく。
とはいえ、半端でないのはサトリの驚異的な回避能力も同じ。
しかし、そのサトリの力をもってしても、サトリは相手の攻撃を完全にかわし切ることは出来ていない。それまでの、ミリ単位で憎たらしいほどに相手の攻撃を回避していた時とは、明らかに状況が違う。
確かにダメージこそ受けていないものの、長棍の先は、確実にサトリの体をかすめていた。
一応断っておくが、サトリも、ただ単純に相手の突きから逃げているわけではない。
かわすついでに、そのまま一気に2メートルほど横に跳んでみたり、あえて3歩ほど後方へ退いたり、逆に、突かれるのを覚悟で相手との間合いを詰めたり、とにかくサトリはサトリで、自分の立ち位置を頻繁に変えることで、熊助の攻撃を少しでも狂わそうとしている。
しかし熊助は、鉄に引き寄せられる磁石のように、そんなサトリの位置の変化にあっさりとくっ付いてきている。
サトリが横に跳べば、熊助が体の向きを変えるより先に、長棍の先がサトリに向かって跳びかかる。
サトリが前後に移動すれば、長棍自ら間合いを維持するように動き、あたかも熊助の方が長棍に引きずられているかのように見える。
とにかく、サトリがどれほど立ち位置を変えようと、熊助もまたそれにピタリと合わせてくるため、二人の間合いは、全くと言っていいほど変わっていなかった。
これでは、どっちが相手の心を読んでいるのか、分かったものではない。
「どういうこと?」
元フェンシング選手の渚も、この光景を前にしては、さすがに口を開けずにいられない。「確かに熊助君の動きも攻撃速度も上がってるけど、相手の心の奥底まで読めるサトリなら、この程度なら付いていけないはずがない」
もちろん渚は熊助を応援しているが、それでも、今目の前で起こっている状況を、渚は信じられないでいた。
それを受けるように、カグツチが口を開く。
「まさか……サトリは、本当に熊助君の攻撃を読めていないのか……?」
〈どういう……ことだっ!?〉
サトリは、内心焦っていた。〈確かに奥義を称するだけある。動きはこれまでより1段も2段も速い上に、俺の動きにも余裕で付いてきてやがる。
しかし、この程度であれば、俺に対応できないはずがない〉
そう。相手の心を読めさえすれば。
事実、サトリは長棍の波状攻撃を必死の形相でかわしながら、何とかして熊助の内面を、それこそ心の奥底までのぞき込もうとしていた。
しかし――。
〈なぜだ……。なぜ見えない!?〉
相手の心の中を映すサトリの「目」には、熊助の心は、真っ白な無地にしか見えなかった。
そして、サトリは遂に気付く。いや、気付かされる。
〈まさか、本当に奴は『無心』に……〉
読めないのではない。サトリには、熊助の心がはっきりと読めている。
ただ、その心の中身が、本当に真っ白な無地――「白紙」なのだ。
しかし、サトリが先に主張した通り、脳が体に命令を発しない限り、体が勝手に動くことなどありえない。そのはずだ。
それなのに、間断なく長棍を振るい続ける目の前の熊助は、まさしく無心――。
〈そんなはずが……あるか!!〉
しかし、どれほど内心で否定しようとも、目の前の事実は、そんなサトリをあざ笑う。
一方、“壁”の外では――。
“中”の光景から目を離せないカグツチたちの背に向けて、何者かが静かに語りかけていた。
「あのサトリという悪霊、ヒトの心は読めても、モノの心を読むことは出来ないようじゃのう」
聞き覚えのある声に、カグツチと綾香はすぐさま振り返る。案の定、その声の主は――。
「じいちゃん!?」
「六介さん!?」
「どうやら、勝負に間に合ったようじゃのう」
他の人たちも振り返る中、六介はそう言いながら前に進み出、カグツチの右脇に立った。
そして、“中”で連撃を繰り出し続けている熊助に向けて、改めて視線を注ぐ。
「でも、じいちゃんまで、何でここに――」
熊助と六介との関わりを知らないカグツチは問いかけるが、六介は視線を変えないまま、ただ、ふっと少しだけ笑みを浮かべた。
「熊助の奥義・千手羅漢は、その昔――明治時代に、弟子だったあやつに、わしが伝授した物じゃ」
「明治時代……」
カグツチなら、それだけで充分に理解できる。
六介――イザナギは、それこそ神世の時代から何度も名前を変えつつ、このアシハラノクニで長いとしつきを生き抜いてきた。過去に、熊助の前世と出会っていたとしても、別に驚くことではない。
ただ、そのカグツチも、次の言葉はどうだろう。
「あれは、ただ槍や長棍の突きが速いだけの技ではないし、そもそも、その程度では奥義のうちに入らぬ。
あの技が奥義と呼ばれるゆえん。それは――自分自身は、何もしないことじゃ」
「えっ……?」
やはり、意味が分からないようだ。
「お前たちには、熊助自身が長棍を振るっているようにしか見えぬじゃろうが、実はそうではない。
熊助は、己の相棒が右手から離れぬように、しっかりと握っているだけじゃ」
渚は「そんなこと――」と言いかけ、選手時代のことをハッと思い出した。
完全に試合に集中している中、まるで自分の剣が、自分の意思を離れて勝手に動いているような「錯覚」に襲われたことが、何度もあったことに。
「まさか、あれは錯覚じゃない……?」
カグツチたちを教えるように、六介は更に続ける。
「人間や動植物に限らず、森羅万象、天の下にある全てのモノには、命があり、また心がある。
そしてモノは、自分を心の底から信じてくれるヒトに対してのみ、その心を開く。
――それもまた、この世界の理(ことわり)じゃよ」
ここで、ヒミコが六介の言葉の意味を悟り、口を開いた。
「あるじは、いかほども動かず、何も思わず、ただ自分を無にし、己が人生を共にしてきた武器に、自分の全てを完全に委ね切る。
そうすれば、武器の方が、自分の意志であるじのために動いてくれる。そういうことですね?」
「うむ、いかにも」
しかし、ここでヒミコを目を伏せる。
「……口で言うのは簡単ですが」
「じゃが、熊助は――虎之助君は、それを物にした。
前世の頃とはいえ、一度は手にした技じゃ。改めて極意を伝えてやれば、熊助め、あっさりと思い出してしもうたわい」
さて、カグツチたちが言葉のやり取りをしている間も、“壁”の向こう側では戦いが続いているわけで――。
熊助に「白紙の心」を見せ付けられ、サトリは未だ、混乱の極みにあった。
無心を貫く熊助とは対照的に、その長すぎる生涯の中で初めて“目”にしたものを前にして、サトリの心は千々に乱れる。
それまでの相手の突きを紙一重でかわす余裕は完全に失われ、サトリはただ本能的に、敵の連撃から逃げ惑うばかりだ。
そんなサトリの醜態を、熊助はただ心静かに見つめる。
攻撃の一切は、己の長棍が勝手に動くのに任せ、自分は相棒が手から離れぬよう、ただしっかりと握り締めるだけである。
「己の長棍、自分の武器を信じ、己の全てをそれに託す」
熊助は、奥義・千手羅漢のその極意を、皆の前で完璧に実践してみせていた。
長棍もまた、そんな主人の意志に応え、目の前の敵を攻撃し続ける。
そしていつしか、その攻撃の矛先は、徐々にサトリが締めるベルトのバックルへ集中していた。
もちろん狙いは、そこにはめ込まれている宝玉・水魂である。
当然サトリにとっても、「熊助の狙い」は百も承知。
〈奪われて……たまるか!〉
しかしサトリは、バックルを自らの両腕だけでガードするのが精一杯だ。
そんなサトリの両腕を、熊助の長棍は情け容赦なく撃ち付ける。
その腕は激痛を通り越して、もはや感覚さえ奪われた状態だが、それでもサトリは意地でも、バックルの前から両腕を外さない。
しかし、それこそが長棍の「思うつぼ」だった。
突然、長棍の先がほんの少し、バックルより上を向く。
その変化にハッと気付くサトリ。
しかし、それに反応する間もなく、長棍はサトリのみぞおちを貫くように強襲した。
「グアアッ!!」
思わず叫ぶサトリ。
そして、ほとんど反射的に、それまでバックルをガードしていた両腕を、胸の位置まで引き上げてしまった。
この一瞬の隙を、長棍が逃すはずがない。
その先端を元の向きに戻すと、長棍は、がら空きになったバックルに向けて、こん身の一撃を放った!
長棍を握る右手を目一杯前方へと伸ばす熊助の瞳に、銃弾を食らったかのように後方へと吹っ飛ばされるサトリの姿が映る。
そして、そのサトリから、何やら小さい物が輝きを放ちながら離れて行くのが、“壁”の外で様子を見守る人たちからも確認できた。
「水魂が――」
「取れた!!」
カグツチと渚がそれを見て叫んだ通り、それは紛れもなく、サトリのベルトのバックルにあった宝玉・水魂だった。
サトリが吹っ飛ばされた勢いで、そのままズザザザッと派手に音を立てて地面を滑って行く中、宝玉は音を立てることもなく、草むらの中へポトリと落ちた。
サトリの方は大の字になってバッタリと倒れているが、その一方で熊助も、己の長棍をサトリに向けて突き出したまま、微動だにしない。
二人は動きをピタリと止め、“壁”の中は、いっときの静寂に包まれる。
もちろん、サトリがそのままノックアウトするとは、“外”に居合わせている誰も思っていない。
「熊助君、早く宝玉を!」
綾香は“壁”越しに、サトリが起き上がるより先に水魂を拾い上げるよう、熊助に向かって呼びかけた。
しかしそんな中、カグツチが、彼の様子が何やらおかしいことに気付き、思わずつぶやいた。
「……熊助君?」
熊助は微動だにせず、というより、ピクリとも動かない。そして――。
〈千夏……あとは任せた〉
熊助は千夏に向けて、心の中で言葉を紡ぎながら。
重心のバランスを失ったマネキン人形のように。
長棍を右手に握ったまま、前のめりにバッタリと倒れてしまった。
カグツチたちが声一つ発せず、呆然としている中、六介がただ一人、腕組みをしながらつぶやいた。
「無理もないか」
それを聞いたカグツチは「えっ?」と反応して、六介のいる方へ顔を向けた。
周りの人々も釣られて振り返る中、六介は言葉を続ける。
「熊助が、自分の意志で長棍を振るっておったのなら、それこそ無意識のうちに、己の体に無理な負担がかからぬようにするもの。しかし、あやつは、己の意志を捨て、己の体の制御を完全に長棍に譲り渡しておったゆえ、ブレーキが全く効いておらん状態じゃった。
そのため、熊助は己に残されていた力の全てを、奥義の1発で使い果たしてしもうたのじゃ」
「それじゃ……」と渚が聞くと、
「熊助の体は、もはや1ミリたりとも動かぬ。いわゆる『戦闘不能』という奴じゃな」
そして、倒れた熊助と入れ替わるように、“壁”の中では。
「ククク……」
体も衣服もぼろぼろのサトリが、ふらふらの体ながら、のっそりと立ち上がっていた。
サトリは何とか立ち上がったものの、猛烈な奥義攻撃を浴び続けたダメージの故か、その目はうつろで、あの憎々しいばかりのねちっこさは、もはや感じられない。
しかし、それでもサトリは、
「ククク……こらえた。……こらえたぞ」
そう力なくつぶやきながら、うつ伏せに倒れている熊助に向かって、のそのそと歩を進め始めた。
しかし、サトリの目指す先にあるのは、熊助ではない。
その熊助のすぐ前方、もし熊助が左手を伸ばすことが出来れば届いただろう位置に落ちている、あの宝玉である。
“外”の人たちも、当然サトリの意図には気付いている。しかし彼らに、サトリを押しとどめる術はない。
「熊助君、起きて!」
綾香は懸命に叫ぶが、その声がたとえ熊助に届いていたとしても、既に熊助には手を動かす力さえ残っていないだろう。
ただ黙って見ているしかない彼らをあざ笑うように、サトリは更につぶやく。
「さすがの俺も……駄目かと思ったが……これで、俺の勝ちだ」
「サトリ……!」
この場にいながら、かつて倒した敵、それも、あともう一押しで倒せるという相手に対して、今の自分は何もすることが出来ない。
――カグツチはそんな悔しさをにじませつつ、唇を噛んだ。
そして、数十メートルほどの距離を1分近くかけて、サトリはとうとう、目標のすぐ前までたどり着いた。
「これさえあれば……俺に勝てる者など、ここにはいない。勝負……あったな」
そしてサトリは、草むらの上できらめきを放つ水魂を再び手中に収めるべく、右手を地面に伸ばした。
――と、その時。
夕闇の中で、何かが幾つか、キラッと光った。
サトリの目にもそれが映った刹那、右手の甲を、小石ほどの大きさの物が数個バシッと叩いた。
「グアッ!?」
予想外の衝撃に、サトリは思わず、右手を引っ込めて立ち上がった。そして、右手のあざをもう一方の手で押さえつつ、改めて地面を見下ろす。
そしてサトリは、“小石”の正体に気付かされた。
自分が拾おうとした物――水魂のそばに落ちていたのは、それとほぼ同じ大きさの、小さな氷の粒だった。もちろん、熊助の後方から、何者かがサトリへ向けてぶつけてきた物である。
――そう。熊助の後方から。
この時、“外”にいた者も、そしてサトリ本人でさえ、先ほどまで続いていた二人のバトルに目を奪われ、“中”にいた「もう一人」の存在を忘れていた。
バックルに装着されていた水魂のために、ずっと「戦力外」の立場を強いられていた、彼女のことを。
「……まさか!?」
サトリはそれを思い出し、正面に向かって目を上げた。
“外”のカグツチも、それに釣られるように、サトリの視線の先に向かって顔を向ける。
「――千夏ちゃん!」
そこにいたのはもちろん、サトリを真正面に見やるように直立する千夏。
そして千夏のすぐ前には、彼女を防御するように、氷のダーツが10本ほど浮かんでいた。
千夏は、うつ伏せに倒れたまま動かない熊助に対し、その背中に目をやりながら声をかけた。自分のために、己の役目を果たし終えた彼に感謝し、かつ、彼をいたわるように。
「ありがとう、熊助。あとは……私に任せて」
熊助からは、何の返事もない。しかし千夏には、ニヤリと笑みを浮かべて答える熊助の顔が、彼の背中に浮かんで見えたように感じた。
一方、サトリはまだ自分の優位を信じていた。
落とした宝玉は依然として目の前にある。それさえ拾ってしまえば、また元に戻ると。
「ふざ……けるな!」
そしてサトリは再度、傷付いた体でもがくように、水魂に手を伸ばした。〈撃つなら撃て。だが、来ると分かっている相手に、あの程度の攻撃で参る俺ではない!〉
もはや持ち前の俊敏な動きを披露できる状態ではない。しかしサトリは、少々の攻撃なら耐え切るつもりでいた。
しかし、千夏がそれを許すはずもない。
〈懲りない奴……〉
千夏はさっと右腕を上げ、その人差し指でサトリを指差す。そして、さげすむように内心で苦笑いをすると、目の前の相手に対して容赦なく言い放った。「撃てっ!」
その瞬間、彼女を守るように浮かんでいた10本のダーツが、一斉にサトリを襲った。
標的までの距離は、わずか10メートルほどしかない。千夏の意を受けた氷の矢は、サトリにかわすゆとりを全く与えることなく、相手の全身にくまなく命中する。
「グアアッ!」
ダーツがシュウウッ……と気化するように消滅する中、サトリはまた昏倒した。
とはいえ、サトリはこの程度で観念するようなタマではない。
「てめえ……!」
サトリはすぐに起き上がると、自らの感情の赴くまま、千夏本人をぶっ飛ばすべく猛然と襲いかかって来た。
「…………」
しかし、そんなサトリを千夏は無言で見つめるだけで、何ら動じるところを見せない。
「キエエエッ!!」
そして、サトリが彼女に向かって拳を振りかざした、まさにその時――。
千夏は直立不動のまま、静かに言葉を発した。
「水よ……、世界に満ちよ!」
その一言により、サトリの精神世界は、千夏の支配下に入る。
それを立証するように――“中”の地の全面から、猛烈な勢いで、大量の水が噴き出した。
「グアアアアッ!?」
当然、水流はサトリを呑み込み、あっさりと千夏から引きはがしていく。
“外”にいた人たちは、一瞬何が起こったのか理解できず、目の前で起こった光景にただ呆然とするばかりである。
ただ一人、千夏の意図に気付いたヒミコを除いて。
「……まさか、万物氷砕!?」
千夏を抹殺すべく、サトリがこしらえた精神世界。
しかしそれは、他ならぬ千夏の意思によって瞬く間に大量の水で満たされ、逆にサトリを葬り去るための、巨大な“水槽”へと姿を変えてしまった。
千夏の意思によって、巨大水槽と化した精神世界。
千夏は、自らを浮力に委ね、その水中をゆったりと上昇していく。
片やサトリは、浮力に逆らい、底に沈んだままの水魂に向かって懸命に潜水を試みるが、逆にサトリの体はその意に反して、上へと浮かび上がるばかり。
ちなみに熊助は、水魂のそばで依然として倒れたままだ。
水中でもがいているサトリを見下ろしつつ、千夏はそんなサトリに言い放つ。
「諦めなさい、サトリ」
サトリは反射的に動きを止め、千夏を見上げた。
「何のことだ」
千夏もサトリも、水中で呼吸が出来る上、こうして声を発することも出来る。
「もはや、この精神世界は私のもの。
あんたがどれほど宝玉に向かって水中を潜ろうとしても、この水に満ちた精神世界が、それを決して許さない」
「黙れっ!」
サトリはいささか感情的に、千夏をカッとにらみ付けるが、彼女の言葉に嘘や誤りがないことを、当のサトリは充分すぎるほど認識していた。
しかし、往生際の悪さも、この男の本領である。「だったらどうする? 俺は悪霊。水の中でも平気なのは、貴様と同じ……!?」
言いかけて、サトリの台詞が止まった。
サトリは皮肉にも、「心が読める」という自分の能力によって、気付かされてしまった。
この時、千夏が何を考えているか。
これから、千夏が何をしでかそうとしているか。
「どうしたの?」
千夏はにやりと笑うと、聞くまでもない事だが、あえてサトリに先を促す。
「てめえ……正気か?」
サトリは平静さを装っているが、その表情には、若干の恐怖感がにじみ出ている。
なお、気が付けばサトリは、自身も自覚しないまま、千夏とほぼ同じ高さまで浮上していた。
「もちろん」
涼しい顔で千夏は一言、言葉を返す。
そんな彼女の態度が信じられないのか、サトリは思わず声を荒げた。
「ふざけるな! 正気な奴が、自殺攻撃など考えるはずもない」
「誰が自殺するって?」
「同じことだろうが」
「違うわ。私と熊助に危害はない。死ぬのはあんた、ただ一人」
「どうして、そんなことが言える」
落ち着いた表情を崩さない千夏と、見事なまでに冷静さを失ったサトリ。
こうして台詞を並べただけでも、そんな二人のコントラストが目に浮かんでくる。
そして千夏は、目の前のサトリが発した問いかけに、答えを告げた。
“壁”の外で自分たちを無言で見守って――いや、目の前の光景が理解できずに、ただ呆然としている人たちにも、自分の言葉がはっきりと聞こえるように。
「何度も言ったでしょ。私、水と友達だから」
片や、“壁”の外。
“壁”のそばに立つカグツチ・渚・綾香の耳に、先ほどの千夏の台詞が届いていないわけがない。
しかし、彼らはただその場で立ち尽くすのみで、どうしていいか判断しかねているとか、そういうことすら考えられなかった。要するに、それ以前の状態である。
そんな中、ヒミコは落ち着いた表情を“壁”の向こうに見せ、一人、千夏の行動を見守っていた。
千夏がこれから何をしようとしているか、見抜いていたが故に。
いや、見抜いたというより、わざわざ精神世界を大量の水で満たす――それすら、前処理でしかない――呪法といえば、ヒミコにとって、心当たりは一つしかなかった。
〈万物氷砕(ばんぶつひょうさい)――敵を己の精神世界に閉じ込め、世界全体を水で満たした上で、敵を世界もろとも氷結、爆砕させる。まさに、水呪法の中でも最大級の大技。
しかしそれ故に、『極めた者』でなければ術者自身も世界と共に滅んでしまう、極めて危険な呪法〉
もちろん、そんな危険な技を、ヒミコや玄武は千夏に教えていない。
〈しかし万物氷砕は、我々方士たちの伝承に伝わるのみで、玄武はおろか、この私でも遂に会得できなかった技。
そんな、自分たちに出来ない技を、千夏さんに伝授できるはずもない。
そして、伝授していないなら、そんな呪法を千夏さんが使えるはずがない〉
しかしヒミコを心の中ですぐさま、それを覆す。
〈でも、今の私には、なぜか思えてしまう。
今の千夏さんなら、そんな大技が出来ても、全く不思議ではないと。
前世――『桐山千夏』と融合し、本来の魂の在り方を手にした、千夏さんなら。
そして、彼女の言うように『水を友達とした』、千夏さんなら〉
それでも本当なら、そんな「自殺行為」に走ってはならないと、ヒミコは千夏を止めるべき立場なのだろう。
しかしヒミコには、そんな発想はかけらも浮かんでは来なかった。
それもそのはず――。
〈そして、何より。
私自身が、その技をこの目で見たいと、心から思っている。
方士なら誰もが夢見た、あの大技が炸裂する様を〉
更にヒミコは、千夏の「師匠」として心から思い、かつ願う。
〈そして、その時……私の役目は終わる〉
話は、再び“水の中”へ。
涼しい顔で「水は友達」と言い切る千夏に対して、サトリは苦々しい表情で反論した。
「たわけたことを。てめえは、水を自分の思いのままに従わせてるだけだろうが。それこそ、奴隷のようにな」
しかし、千夏は動じない。むしろ、相手をさげすむようにふっとため息をつくと、あっさりと言い返した。
「その奴隷すら持ったことのない輩には、言われたくないわね。あんた、いっつも一人だったじゃない」
「何だと」
「確かに、あんたには『仲間』も『主人』もいた。でも、それはその場限りの、一時的なもの。
そういう意味では、あんたには長年仕えた『主人』も仕えさせた『子分』もなければ、常に行動を共にした『仲間』もいない」
「くっ……!」
痛い所を突かれ、サトリは苦虫を噛み潰す。
「まして、ヒトの魂さえ自分の手駒、モノとしか思わない外道に『友』などいやしないし、友情や信頼なんて崇高な概念が分かるとも思えない」
サトリは何も言い返せない。千夏は更に続ける。
「どれほど忠実な奴隷でも、己の主人のために命まで懸けられる者は、そうはいない。
だけど、人でも悪霊でも、自分が『真の友』と認めた者のためならば、命さえ懸けられるものよ。
たとえ、その『友』が、モノであったとしてもね。
――今、それを証明してあげる」
それだけ言うと、千夏はすっと右手を挙げた。そして――
「凍結」
――という、千夏の静かな一言と共に。
“中”を満たしていた水は一瞬のうちに巨大な氷と化し、千夏自身と目の前のサトリをそのまま閉じ込めた。
いや、氷の中には他にも、底に倒れていた熊助もいた。
しかしながら、“壁”の内と外で、そのことに気が向いているのは、恐らく千夏だけだろう。哀れな奴。
“中”で起こっている状況の変化を前にして、ようやくカグツチが口を開いた。
「千夏ちゃん……一体何を」
大技のことを知らないカグツチには、未だに千夏の意図が見えない。〈サトリを氷漬けにして――それからどうする?〉
そんな中、ヒミコは目の前の“氷山”から目をそらさぬまま、周囲にいる人たちに告げた。
「皆さん、これから起こる出来事を、決して見逃してはなりません。このような大技を見られる機会など、この先一生――いえ、何度転生を繰り返しても、二度と来ないかも知れません」
更に、後方にいた六介がこれに付け加える。当然というか、やはり六介も分かっていたようだ。
「爆発、消滅するのは精神世界だけじゃ。何が起ころうと、この世界にまで累が及ぶことはない」
“壁”のすぐそばにいる彼らを安心させようとして言った六介だが、その冒頭の一言に、渚が反応した。
「爆発っ!?」
しかし、渚が「事の重大さ」を知った時には、既に目の前で、事は起こり始めていた。
「ぐあっ!?……が、があ……!」
サトリがうめき声を上げている。己の精神世界に満たされた巨大な氷が内へ外へと膨らみ続けるからだ。まるで氷が、中にいるサトリを四方八方から締め上げ、握り潰そうとしているかの如く。
しかし氷に、サトリをこのまま潰す意思はなく、そもそも、そんなことが出来るとも思っていない。単に「前準備」として、サトリを今以上に拘束しようとしているだけである。
そんな中、苦しんでいるサトリを尻目に、千夏は水中を潜るかの如く氷の中を下降し、真下へと着地した。
もはや「物理法則って何?」と言いたくなりそうな光景だが、こればかりは、作者としても、「この精神世界が、今や千夏のものだから」としか説明のしようがない。いや、マジで。
そして千夏は、サトリを見上げるように顔を上げると、右手を高々と上げる。
そして静かに――氷に対し、最後の意思を伝えた。
「破砕」
その一言と共に、巨大な氷の塊は、太陽の如く、まばゆいばかりの閃光を発した――刹那、氷は精神世界もろとも、轟音と共に大爆発を起こした。まさに、カグツチたちの目の前で。
「キャアッ!!」
「危ない!!」
身の危険を感じた彼らは、ほとんど条件反射のように揃って地に伏せ、頭を両腕で覆う。
この時の彼らの頭には、先ほどのヒミコと六介の忠告など、一かけらも残っていなかったようである。
しかし、そんな中でも、忠告した当の二人は全く微動だにせず、ただ、事の行く末を見定めようと、じっと前を見つめて立っていた。
それから、1分ほどたっただろうか。
ようやく閃光と轟音が収まり、まず、カグツチが顔を上げた。
「……えっ?」
あの時、カグツチは確かに見た。目の前の“氷山”が爆発し、大小無数のかけらが自分たちに向かって“襲いかかる”様を。
しかし、カグツチが辺りを見回すと、周囲の散らばっているはずの氷のかけらは、ただの一つも見当たらなかった。
少し遅れて、渚と綾香もようやく頭を上げる。
「ふう……」
「終わった……?」
六介が直前に言った通り、本当に氷の山は、精神世界もろとも消し去っていた。
それが証拠に、先ほどまでカグツチたちと「精神世界」を分け隔てていた“壁”もまた、綺麗に消滅している。
再び立ち上がった彼らの目の前にあるのは、サトリの精神世界と融合する前の、ただの沼地。
そして、沼のそばで、うつ伏せになって倒れているサトリと、サトリとカグツチたちとの中間ほどの位置で、何事も無かったかのように立っている、千夏の姿があった。
「勝った……の?」
綾香が、特に誰に対してでもなく、空(くう)に向かって問いかける。
しかし、それに答えたヒミコの言葉は、それを否定するものだった。
「いえ、まだ終わっていません」
「えっ?」
そして、カグツチも気が付いた。
「……見ろ!」
――倒れていたサトリの体が、ピクリと動いたことに。
そしてサトリは、ボロボロの体ながら、ゆっくりと立ち上がると、ガス欠寸前の自分に最後の鞭を入れるように、吠える。
「まだだ……。まだ負けてねえ!」
これには、カグツチもただ、呆然とつぶやく他ない。
「馬鹿な……。あの大技を受けて、まだ生きているとは」
渚もまた、あきれた表情で、
「何てしぶといのよ、あいつは」
しかし、そんなサトリの姿を目にしても、千夏は全く動じた様子を見せず、むしろ笑みさえ浮かべていた。
千夏は涼しい顔で、サトリに言う。
「ま、その程度は、想定の範囲内だけどね。
『転生』の方はそれなりに自信があったみたいだけど、『前世』に言わせれば、せいぜい勝率5割、これで倒せれば儲けものだろうってのが分かってたし。
というか、あんた、心を読んでなかったの?」
「何をっ…………?」
言い返しかけたサトリだったが、すぐさま彼は、周囲の異変に気付き、言葉を止めた。
それまでのサトリであれば、それに気付いた瞬間、跳びのくなり何なりして、その場を離れることも出来ただろう。
しかし、熊助に奥義でボコボコに殴られた上で、更に千夏の大技の直撃を食らい、既に立っているのも不思議なほどのダメージを受けていたサトリには、立ち位置をずらす程度の余力さえ残されていなかった。
ちなみに、サトリが感じた異変とは、空気の流れの変化である。
最初は、ただのそよ風のように感じられただろうが、いつしか風は、サトリを中心として円を描くように流れ始めると急激にその速度を増し、見る見る間に、規模こそ小さいが、ほとんど竜巻のようなつむじ風へと変化した。
そしてサトリは、何の抵抗も出来ないまま、うなりを上げる暴風に、そのままあっさりと捕まってしまう。
「え……?」
「な、何……?」
「……どういうこと?」
カグツチも綾香も渚も、目の前で何が起こっているのか理解し切れず、その場から動けないでいた。
旋風に呑まれたサトリの体は、宙に浮かび上がることなく、依然として地に立ち続けている。
しかし、これとて、サトリが必死になってつむじ風に抵抗しているからではなく、そのようにサトリは地に繋ぎ止めることが、つむじ風の――いや、つむじ風を起こした者の意思であるからに過ぎない。
〈これは……まさか……〉
つむじ風の正体に気付いたのだろう。サトリは、それを起こした者に対して目をむいた。
ただし、この時、サトリが見た相手は、千夏でも、まして熊助でもない。
彼が視線を向けた先は、先ほどまで“壁”があった場所よりも、外側の方にあった。
千夏もまた、目の前のサトリがつむじ風につかまれて身動きが取れないのを確認すると、彼の方へ顔を向けたまま、「つむじ風のぬし」に対して言葉をつぶやく。
「それじゃ、最初の予定通り、とどめはお願いするね」
それだけ言うと千夏はようやく、カグツチたちのいる方を向いた。そのカグツチたちよりも後方へと、視線を注ぎつつ。
「――七海ちゃん」
千夏の台詞を耳にしたカグツチは、はっと我に返り、自分もまた後方へ振り向いた。
それに釣られるように、渚と綾香も、無言で振り向く。
そして、彼らは見た。
そこにいたのは、自分たちの知らぬ間に、後方へ下がっていた七海。
彼女は既に、この状況を待ち構えていたかのように、弓に矢をつがえ引き絞っていた。千夏よりも向こう側で全く身動き出来ずにいる怨敵に対し、しっかと目を見開きながら。
カグツチと渚は、思わず叫ぶ。
「七海ちゃん!?」
「七海、いつの間に!?」
そして、綾香もまた、ようやく思い出したようだ。
「それじゃ、この風は――!」
ここで皆さんには、第97話で、千夏と七海が“壁”越しに言葉を交わしていたことを、思い出して頂きたい。
この時、熊助は気付いていなかったようだが、それはもちろん、ただの井戸端会議などではなかった。
そして、気付いていなかったのは、サトリも同じである。
この時、水魂をバックルに装着していたサトリは、ヒールを放つ余力すら失った千夏を完全に戦力外と見なして、目の前の熊助に意識を集中させており、千夏の心を読むことを完全に失念していた。
サトリは「俺はオロチとは違う」と豪語していたが、これが、あの時のオロチと同様の慢心でなくて何だろう。
それでは、この時、二人が交わした会話の場面まで、話を一旦戻すことにする。
「七海ちゃん、こっちへ」
千夏はサトリに気付かれないように、相手にぎりぎり届く程度の小声でこっそりと、七海を“壁”のそばまで呼び寄せた。
「千夏……ちゃん?」
七海のことを「七海ちゃん」と呼ぶのは、「千夏ちゃん」、つまり前世である「桐山千夏」の方である。七海はそっと近付きつつ、その確認のため、目の前の千夏にそう問いかける。
千夏もまた、七海の意図を受け止め、無言でこくりとうなずいた。
そして千夏は、自分には奥の手――熊助がサトリから宝玉を奪ったその瞬間、この精神世界を丸ごと氷結、一撃で破壊する大技があることを、七海に告げた。
もちろん、その大技を使っても、自分と熊助は無事であることを付け加えることは忘れない。
それを聞けば、七海は当然、期待する。
「――それじゃ、その技でサトリは、自分の精神世界もろとも」
しかし千夏は、首を横に振った。
「『沢木千夏』は、その技でサトリもろとも潰せる気でいる。でも、『桐山千夏』――私に言わせれば、多分、『彼女』の力では、あいつを倒し切るところまではいかないと思う」
「……どういうこと?」
「確かに、『彼女』の奥の手はとんでもないパワーだけど、サトリのしぶとさは、私たち人間とは、次元が違うの。『私』も『彼女』も、熊助には期待してるけど、それは、例の宝玉を奪い取るという、その1点のみ」
「そんな……」
しかし、ここで千夏は顔を上げた。そして、七海の瞳を真っすぐに見つめ、はっきりと言う。
「でも、この精神世界さえ破壊できれば、今、私と七海ちゃんを隔てている、この“壁”も消滅する。そうなれば、“外”の方からでも、サトリへの攻撃が可能になる」
「あっ……!」
元々、サトリがこの“壁”を構築した最大の目的は、カグツチと母親たち――かつて自分を葬った者たちが千夏の援軍として加わるのを防ぐことだった。
その“壁”さえ無くなってしまえば、あとは母親たち、いや、今ならカグツチ一人でも、容易にサトリをひねり潰せるのは間違いない。
しかし、二人の「千夏」が”外”の人たちに求めたのは、それとはちょっと違っていたようだ。
それが証拠に――ここで、千夏の口調が、七海が聞き慣れた「娘」のそれに替わった。
「だから――最後は、ママが仕留めて」
「えっ?」
「ママも昔、カグツチさんと一緒にネノクニで戦ったんでしょ? だったら、私も一度、見てみたいのよね。ママがその時の大技で、あいつにとどめを刺すところを」
「でも……」
「分かってる。本当はそれこそ、ヒミコさんも加えて全員でワーッと行った方が確実だってことは。だから、これは私のわがまま」
そう言って、千夏はペロッと舌を出した。
確かに「沢木千夏」なら、そういう行動に出るのは自然なことだろう。七海も母親として、それは理解できるし、納得もする。
しかし、こうも考える。――「千夏ちゃん」は、それでいいの?
すると、七海の心の内などお見通しとばかりに、再び「桐山千夏」が戻ってきて、それに答えた。
「『私』も『彼女』と同じ。何より、あいつは七海ちゃんが倒すべき……ううん、七海ちゃんが倒さなければいけない相手だと思うから」
そして、話は再び今の沼地へ。
「雷神……だとお!?」
雷神――七海が使える、呪法技の一つ。
敵を竜巻の如きつむじ風に閉じ込めて身動きできないようにしたあと、強い思いを乗せた矢を天に放ち、呼び寄せた強烈な雷撃によって相手をピンポイントで仕留める。
木属性でありながら金属性の面を併せ持つ、器用な七海にふさわしい大技である。
無論、七海を含め、カグツチたちが使える大技の数々は、サトリもとうに調査済みである。
それゆえ、自身が風に包まれた時点で、サトリが七海の意図に気付いたとしても、何らおかしくはない。
しかし、それが分かったところで、もはやサトリには何の意味もなかった。
自身は既につむじ風に閉じ込められ、そこから1歩も動けずにいるのだから。
「私……」
サトリは、数秒後、確実に襲いかかってくる恐怖と絶望に、ただ顔をゆがめることしか出来ない。
サトリも今なら、その昔、虎之助と美園に倒された同族の気持ちが分かっただろう。
「やめろ……やめてくれ……」
しかし――もう遅い。
「負けないからあっ!!」
「やめろおおおおおっ!!」
サトリの絶叫が沼地一面を包む中、かつて、幾度も悪霊を葬ってきた矢が、空に向かって放たれる。
そして、天空は――七海の、千夏の、そして、ここにいる人々の思いを、受け止めた。
巨大な水槽の底に穴が開き、そこから大量の水が一気にこぼれ落ちるが如く、矢にうがたれた天からひらめいた稲妻が一直線に地へと伸びる。
そして、悪霊を滅ぼす雷は――そのまま真下にいるサトリを直撃した。
「ギャアアアアアアアアアアアアッ!!」
まぶしい雷光が辺り一面を染め上げ、その中を、落雷の轟音と、サトリの断末魔の悲鳴が響き渡る。
そして――異様に長く感じられた数秒後。
沼が元の暗さと静けさを取り戻した時、そこにサトリの姿は無かった。
その場にいた人たちの中で、渚が最初に口を開いた。
「奴は、今度こそ滅んだの?」
誰だってそう思いたい。しかし、彼女の疑問に対し、ヒミコは首を横に振った。
「最初に言った通り、サトリは『輪廻から外れた悪霊』です。たとえ死んでも、時がたてば、また生き返ります。それこそ、何度でも、永遠に」
それを聞き、綾香は「そんな……」と声を漏らし、再び顔を曇らせる。
「やはりそうか」
カグツチも、悔しさ一杯の表情でつぶやく。
しかし、ヒミコはそのあと、こう付け加えた。
「ですが、これほどまでに強烈なダメージを受けたのです。サトリといえども、すぐに帰って来ることはありません。どんなに早くても、100年は先かと」
「100年、か……」
100年後なら、自分たちの前に再びサトリが現れる可能性は、全く無いと言っていい。
しかし――本当に、それでいいのか?
口にしないものの、内心、そんな思いを抱いていたカグツチたちに対し、六介はこう諭した。
「わしらの力では、これが限界じゃよ。
あとは、100年後にサトリと相まみえる、将来の世代に委ねよう。案外、次にサトリと出会うのは、転生後のわしら自身かも知れんしのう」
ヒミコもまた、六介に同意して言う。
「おっしゃる通りです。そして、千夏さんも、自分に出来る事を――千夏さん?」
ヒミコが千夏のいる方へ視線を向けると、千夏が沼の水際で膝をかがめ、両手で水をすくっている様子が、彼女の目に映った。
ヒミコはカグツチたちから一人離れると、千夏のそばまでゆっくりと歩み寄って来た。
そして、ヒミコが彼女の背中越しに「何をしているのですか?」と問いかけると、千夏はかがめたままの姿勢でこう答えた。
「水に、お礼をしていました。ありがとう、って」
「そうですか」
そう言って、ヒミコは微笑みを浮かべる。
しかし、千夏はそのすぐあとで、ヒミコに背を向けたまま、ぽつりと言った。
「……私は、これまでずっと、とんでもない勘違いをしていました」
「…………」
直ちにヒミコは気持ちを切り替えると、ただ無言で、千夏の次の言葉を待つ。
この時、ヒミコは既に悟っていた。自分の想像通りなら、彼女のいう「勘違い」とは、きっとあのことだと。
「私はこれまで、自分の力は、この水を自由に操る能力だと、信じていました。
そして、その力の強すぎるが故に、自分自身がその力に呑まれかかっているものと、思い込んでいました」
これを聞いて、ヒミコは確信した。
「どうやら千夏さんも、自分で気が付かれたようですね」
「……はい」
そしてヒミコもまた、自分の確信をありのまま、千夏に明かす。
「私も今日まで、千夏さんの強力すぎるほどの水呪法は、あなたの天性の能力だと思ってしました。
ただ、千夏さんが行使する呪法の程度に対して、自身の霊力の消費が少なすぎることに、私自身、引っかかりを覚えていたのも事実です。
しかし、それがどういう意味を持つのか。その答えを導き出せないまま、今日まで来てしまいました。
ですが、千夏さんが――『沢木千夏』さんと『桐山千夏』さんが合体したあとの、千夏さんの呪法行使を目の当たりにし、私は気付いてしまいました。何のことだと思いますか?」
ここでヒミコが問いかけを行ったのは、千夏が「自分の能力」の正体に、本当に気付いたかどうかを確認するためである。
そして千夏は、そのヒミコの真意をくみ取り、はっきりと答えた。
「私が水呪法をいくら使っても、少なすぎるどころか、霊力が全く減らないことに、ですね。水呪法ではないヒール技であれば、相応の霊力がしっかり減っているにもかかわらず」
「その通りです」
そして、ヒミコは続ける。
「そもそも、あなたの呪法を最初に拝見した時に、私たちは気付くべきでした。
千夏さんの霊力消費は、呪法を使ったからではなく、呪法の影響で、水が暴れ出すのを抑えるためだったことに」
「そうだと思います。無意識の行動でしたから、自覚はありませんでしたが」
「ですから、分裂していた魂が修復され、『能力』が完成してしまえば――」
「私の心と、水の心が一つになった以上、もはや水を抑える必要もない。故に、霊力は全く減らない」
「――正解です」
一方、後方から、千夏とヒミコのやり取りを見守っているカグツチたち。
彼らの耳にも二人の声は届いていたが、彼女らが一体何を言っているのか、カグツチたちはどうにも理解しかねていた。
「ヒミコも千夏ちゃんも、一体さっきから何のことを……?」
そんなカグツチの後ろで、渚と六介だけは、どうやら何かに気が付いたらしい。
「まさか、千夏ちゃんの力も、熊助君のあれと同じ……?」
「そういうことじゃな。
全く、随分前から相談を受けていたわしが、なぜ今まで気が付かなかったのか。我ながら情けないわい」
これまで「それ」に気が付かなかったのは、ヒミコも同じであった。
――いや、実はヒミコは、心の奥底ではとうに気付いていたはずである。
ただ、ヒミコ自身が、その答えを今日まで拒絶し続けていたに過ぎなかったのだ。
なぜならヒミコにとって、それを認めることは、「千夏は自分を超えた」ことを認めるのと同じことだったから。
そして千夏もまた、魂が修復された瞬間、実は内心「それ」に気付いていたはずである。
ただ、それは千夏にとっても、そうやすやすと受け入れられるものではなかったのだ。
なぜなら千夏にとって、それを認めることは、「自分が無力である」ことを認めるのと同じことだったから。
しかし、事ここに至っては、二人とも受け入れざるを得なかった。
これまで無意識のうちに拒絶していた「それ」ことが、真相であることを。
千夏は顔を沼に向けたまま、背後に立つヒミコに対して告白する。
「私の力、私の天性の能力だと思っていた強力な水呪法は、本当は私の力なんかじゃありませんでした。
あの強大な水呪法は、私の周りにいて、自らの意思で私に付き従っていた、水自身の力です。
そして私は……水に対してその力を使ってくれるよう、ただお願いしてきただけでした」
そう。これこそが真相。
千夏は決して、彼女自身の能力によって、水を動かしたり操ったりしていたわけではなかった。千夏がただただ、水と心を通わせ、その持っている力を行使してくれるように願い続けてきただけ。
それが周囲の人々からは、千夏が「不思議な力」で水を操り、水を自由自在に従わせているように見え、そして千夏本人もまた、そのように思い込んでいた。
ただ、それだけのことだったのだ。
「私には、本当は何の力も無かった。
水呪法も、水を従わせる力も……」
生まれてこの方、自分自身のものだと疑わず、周囲もそう信じてきた力。
しかし、実はそうではないと知らされ、そして自分の方でも、それを認めざるを得ない状況に追い込まれる。
それが、当人にとってどれほど衝撃的で、かつ屈辱的なことだろうか。当事者と同じような経験をした者でなければ、恐らく理解することすら出来ないだろう。
あるいは――それを受け入れた方が、当人にとって利益になると確認している人か。
ヒミコは、力無くつぶやく千夏の左側に進み出て寄り添うと、目の位置を彼女に合わせるように自らも身をかがめた。
そして、千夏と同様に目の前の沼に視線を向けたまま、千夏に語りかける。
「確かに私には、自ら水呪法を操り、必要とあらば、己の力によって水を従わせることも出来ます」
千夏は、顔を前方へ向けたまま、何も答えない。
しかしヒミコは、千夏がしっかり自分の言葉に耳を傾けているのを見て取ると、顔を千夏の方へ向けて、更にこう続けた。「――ですが、それだけです」
「えっ……!?」
ヒミコの言葉の意味を図りかねたのだろう。千夏はやや反射的に、ヒミコのいる横へ顔を向ける。
そんな千夏の視線を、ヒミコは少しばかりの笑みで受け止めた。