※ 本作品は、『IZUMO2 学園狂想曲』ハッピーエンド後を前提とした、連載SSです。
※ 本作品は『カグツチ帰郷物語』の外伝に当たり、同作と世界観を共有しています。
月曜の午後2時過ぎ。
40歳前後の女性が一人、駅の改札口を通り抜ける。
彼女の視界に、バスターミナルと駅前商店街が入ってきた。彼女にとっては、もう何度も見てきた、お馴染みの風景だ。
「こっちも、だいぶ暖かくなってきたわね」
彼女はそうつぶやくと、早速、商店街のとある喫茶店へと足を向けた。
出雲学園へ向かうバスがここを出発するまで、まだ30分近くある。故に、この街に来たら、まずは待ち時間を馴染みの喫茶店で潰すというのが、彼女のお決まりの行動である。
一人娘が中学生になり、育児にも若干ゆとりが出てきた5年前、彼女はこの街に住む一人の老人から、出雲学園の弓道部を助けてくれないかと懇願された。
出雲学園は彼女の母校であり、彼女自身も在学時は弓道部に所属し、全国大会で優勝したほどの実力者だった。また、何よりその老人は、彼女にとって「人生の恩人」であった。その「恩人」のたっての頼みということもあり、夫や娘とも相談の上、この依頼を受けることにした。
以来、彼女は今日まで5年間、部活の時間に合わせて毎週月曜、現在住んでいる横浜から電車を乗り継ぎ、出雲学園まで通う生活を続けている。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか」
喫茶店に入った彼女が窓際のテーブルに着くや、この店の小柄な店員が、待ち構えていたように注文を聞きに来た。営業スマイルもぎごちなく、言葉はいかにもマニュアル通りの棒読みだ。なのに、実はこの店員こそ、この店一番の人気者だというのだから分からない。もちろん、それには裏があるのだが。
「レモンティーを一つ」
「かしこまりました。しばらくお待ち下さい」
店員がカウンターに引き上げ、その姿が見えなくなるまで、彼女は笑みを浮かべながらずっと眺めていた。
実は彼女と先ほどの店員――実は白虎(びゃっこ)――は、旧知の間柄である。
半年前、偶然この街の公園で約20年ぶりに再会した時は、白虎はベンチに座ってアイスクリームを食べてばかりしていた。20年ぶりだというのに全く姿が変わってないのを見て、彼女は、ああ、これが精霊というものなんだなと妙に納得したという。
その白虎が、1月に馴染みの店の店員として現れた時は、さすがに彼女もびっくりした。何しろ、小学生にしか見えない小柄な体に、虎耳・虎しっぽ付きである。とても普通に街を歩けるような姿ではない。彼女がその辺の事情を直接白虎に聞いたところによれば、自分を見ても何ら不審に思われないような呪術を自分自身にかけているから心配はないと答えたという。
さて、程なく白虎が持ってきた紅茶に、彼女が口を付けていた時だった。
「お兄ちゃん、早く早く!」
「おい、待てよ、美由紀(みゆき)」
窓越しに、通りを駆け足で行く二人の声が聞こえた。
〈美由紀ちゃん!?〉
見ると、女の子の方は確かに、自分が知っている「美由紀」の20年前の姿とそっくりで――。
「……そんなわけないか」
精霊じゃあるまいし、他人の空似だろうと、彼女は再びティーカップを口に付けた。
〈それにしても、さっきの二人、どう見ても親子よねえ。どこが『お兄ちゃん』なんだろ〉
「ありがとうございました」
彼女はレジで会計を済ませ、喫茶店を出た。
バス停の方を見ると、既に学園前行きのバスが待機していた。腕時計を確認すると、発車まであと2分ほど。時間通りである。
彼女はバスに乗り込む。いつものように、乗客は彼女ただ一人。しかし、このバスが学園前で折り返し、駅前行きになる時は、下校する学生たちで満員になることだろう。
やがて乗車口のドアが閉まり、彼女――沢木(さわき)先生を乗せたバスは一路、出雲学園へ向けて走り出した。
「ああ、面白かった」
美由紀は、映画館から出てすぐ、そう言って笑った。
シアトルでも見たハリウッドのアクション映画がちょうど今、駅前の映画館で上映されていると知り、美由紀はカグツチを強引に誘って、その映画を見に来たのだった。
「はあ……疲れた」
美由紀の笑顔とは対照的に、カグツチはそうつぶやいて、ため息をつく。
「あれっ? お兄ちゃん、こういう映画は嫌いだったっけ」
「いや、映画は良かったけどさ……」
カグツチにとっても約20年ぶりの映画鑑賞。ましてアマテラスとは違う意味で「最愛」の妹とである。悪いわけがない。
しかしだ。「美由紀、お前今、自分が見かけ高校生だって自覚してるか?」
「うん♪。でなきゃ、『お兄ちゃん』なんて言えないもんね」
「そうじゃなくて。本当なら、高校生は今の時間は学校なんだぞ」
「あっ。それじゃ、ちょっと小柄な女子大生、ってことで」
「それでもだ。そんな女の子が『お兄ちゃん♪』なんて言って『中年親父』な俺と一緒に歩いてたら、世間様はどう見ると思う?」
そう言われて、美由紀はやっと理解したらしい。
「……確かに、『兄妹』には見えないかな?」
「ああ。良くて援助交際、下手すりゃ誘拐事件だ。最近は日本でもそんな事件が多いから、シャレにならない」
どういう仕掛けか知らないが、なぜかネノクニ側の「出雲学園」にも新聞が届いたりするので、カグツチも昨今の日本の事情には詳しい。やはり古里が気になるのだろう。
そんなカグツチを「まあまあ」と美由紀がなだめながら、商店街の書店の前を通りかかった時だった。
「あっ、これ!」
美由紀が店頭に平積みにされている、ある本を見付けた。カグツチもその本の表紙を見る。
「『自虐屋どもに喝! ~本当は明るい日本サッカー~』――これがどうした?」
「これの著者、『沢木誠一郎(せいいちろう)』ってあるでしょ。これ、七海(ななみ)ちゃんの旦那さんだよ」
沢木誠一郎――『IZUMO零』をプレイした方なら、すぐに分かっただろう。あの沢木宗一郎(そういちろう)の末裔(まつえい)である。
宗一郎以来、沢木家は多くのジャーナリストを輩出しているが、彼も例外ではなく、スポーツ紙記者を経て、現在はフリーのスポーツライター。そして、旧姓・水瀬(みなせ)七海の――。
「七海ちゃんの……?」
そしてカグツチは思い出した。自分が約20年ぶりに出雲町に帰ってきたその日の夜、明日香(あすか)が言った台詞を。
『うーん……20年前じゃねえ。沢木先生なら知ってるけど』
「――ああ、そういうことか!」
「…………?」
その頃、出雲学園・弓道場――。
的に向かって、弓を構える部員たち。
部員たちの息遣いと、トスッと矢が的に当たる音、そして、指導者と部員の静かな、しかし真剣な受け答えだけが、道場内に響く。
「白鳥(しらとり)さん、少し姿勢が硬いようですね」
「あ……済みません、先生」
沢木先生――って、もうバラしていいですね?――七海が、知人の娘である明日香を指導する。
今日の明日香は、いつも通りの百発百中で、はた目には悪いように見えない。しかし、さすがは七海。彼女は明日香のほんの少しの乱れを見抜いていた。
「真剣なのは大いに結構ですが、あなたの場合、もう少し気を楽にした方がいいと思います。そうでないと、肝心の本番で力を出し切れなくなりますよ」
「はい」
今度のインターハイ県予選に、出雲学園から出場が内定している明日香。実のところ、県予選どころか七海以来の全国制覇さえ夢ではないぐらいの実力の持ち主であり、その点については指導者である七海も心配はしていない。心配なのはただ一つ、真面目すぎるが故に精神的に潰れてしまう危険性のみである。
「それでは、今日はこれで解散します」
「ありがとうございました!」
今日の部活も終わり、着替えを済ませた七海が弓道場を出たところを、一人の老人が彼女を迎えた。
彼女を出雲学園に迎えた、あの「恩人」である。
「沢木先生、少しお時間を頂いてよろしいですかな」
「私なら構いませんが、六介(ろくすけ)おじいさま」
「失礼します」
六介の招きに応じ、七海は無人の理事長室に入った。六介もあとに続く。
もちろん、六介は既に「理事長」ではない。現在の理事長が今日は日帰り出張のため学園を留守にしているので、校長の了解を得て、空いている理事長室を六介が借りたのである。
さて、六介が理事長室に七海を連れ込んだ理由は――。
『ふふふっ……七海ちゃんの体は、まだまだ若いねえ。うらやましいよ』
『あんっ。……おじいさま、後ろから抱き付いて、私に何を』
『分かっておるくせに。うーん、この女体の醸し出す匂いに、そして、このふくよかな胸』
『だ……駄目です! わ、私には既に主人が』
『心配せんで良い。避妊に失敗するようなわしではないよ』
『そ、そういうことじゃ……あーーっ!!』
「こらーっ!! わしはそんなエロじじいではないわっ!」
「…………? どうしたんですか、おじいさま」
突然、別次元の方向(?)へ怒鳴り付けた六介を、先にソファーに座っていた七海がきょとんと見つめる。
「い、いや……急に作者がとち狂ったもんで、ちょっと喝をな」
「はあ……」
冗談はさておき(笑)。
自らお茶を煎れてから、六介は七海の向かい側に座った。
「さて、七海ちゃん――千夏(ちなつ)ちゃんの、今の様子はどうなんじゃ?」
七海も、この質問は予想通りだったようで、すぐに答えを返す。
「はい。今はまだ元気ですが、相変わらず“力”を持て余してるようです」
沢木千夏――自殺した友達の名前を受け継いだ、七海の一人娘である。現在、横浜の公立校に通う2年生。
「やはり、名前がいけなかったんでしょうか……」
「ただの偶然じゃよ。そう自分を責めるもんじゃない」
七海が娘・千夏の異変に気付いたのは、千夏が2歳の時である。
子供部屋から突然、悲鳴のような鳴き声が聞こえたので、七海が部屋に飛び込んで見ると、水びだしになった部屋の真ん中で、ずぶ濡れの千夏がぺたんと座ったまま大泣きしていたのだ。
呆然とする七海。部屋には水道もないし、七海が水を持ち込んだわけでもない。また、千夏が外から水を運び込んだ形跡もなかった。
真相が明らかになったのは、それから1カ月後のことだった。
とにかく目を離してはいけないと、常に千夏を自分のそばに置いていた七海だったが、その日、千夏は居間を歩いている時に足を滑らせ、思いっ切り自分の頭を壁に打ち付けてしまった。
号泣する千夏のもとへ、慌てて駆け寄る七海。そして――七海は見てしまった。
幼い千夏の体から、如雨露のように水が噴き出しているのを。
七海の知らせを受けて六介は駆け付けた。そして六介は、千夏は先天的に水属性の強い呪力を持っており、そして、千夏が興奮状態に陥ったことで、その呪力が「水の発生」という形で表面化したのだろうと結論付けた。
「今は、いじめに遭ってはおらんのじゃな」
「はい、お陰様で」
やがて小学校に入学する千夏。そこでも度々「事故」を起こしたため、「水女」呼ばわりされるなど、周りからのいじめに遭った。
しかし、3年生の時に体育館でボヤが発生。居合わせた千夏が「自分の力」で見事に火を消し止めたことから、一転彼女は「英雄」となり、いじめられることもなくなったそうだ。
その頃、横浜のとある学校――。
下校時刻が近付き、グラウンドでは帰り支度を始めた体育系クラブの部員たちの姿が、そこかしこに見られる。
そのグラウンドの片隅に、彼女はいた。
彼女の10メートル先には、ランダムに置かれた缶コーヒーの空き缶が10本。
その10本全ての位置を把握すると、彼女は一旦目をつむり、眉間に右手の人差し指と中指を置いて精神を集中する。そして心の中に、10個の標的全てに技が命中するイメージを描き出す。なるべく詳細に、なるべく正確に。
そしてイメージが出来上がった瞬間、彼女はカッと目を見開き、眉間に置いていた2本の指を標的に向けて突き出した。
彼女の目の前に同時に現れる、長さ約10センチの氷のダーツ。
つららの端を切り取ったような、細長い多角錐の形をした10本の刃が、空き缶に向けて一直線に伸びる。
ダーツが刺さり、金属音と共に倒れる空き缶。
1秒もたたないうちに、10本の空き缶全てが、横っ腹につららを突き刺されて地に倒れた「モニュメント」と化した。
それを確認して、彼女が「ふうっ」と息をついたところで、背後からパチパチと誰かが拍手する音が聞こえた。
思わず「えっ!?」と声を出し、彼女は振り返る。
「本当に10個同時撃ちをやってのけるなんて、さっすが千夏!」
偽りなき笑顔で彼女を讃えたのは、彼女のクラスメートだった。
「なんだ、涼子(りょうこ)じゃない」
相手が自分の“力”を理解してくれている友人と分かり、彼女――千夏はようやく緊張を解いた。千夏の顔に、自然と笑みがこぼれる。
再び、出雲学園――。
「最近は、“力”をため込まないように、放課後の校庭で定期的に“力”を発散させているようです」
七海が、千夏の現状を六介に伝える。
「しかし、校庭ではそれほど派手な事は出来んじゃろ?」
「でも、他に場所もありませんし」
「確かに、横浜ではのう……」
「先月、千夏がクラス全員を集めて、全長5メートルほどの氷の塊を空から落とす大技を披露した時は、校庭に大穴を開けてしまって、親子ともども先生から大目玉を食らいました」
「ははは……」
「笑い事じゃありません!」
「いやいや……。しかし全長5メートルとは、千夏ちゃんもそこまで成長したか」
「あんまり喜べるような事じゃないんです。
今の千夏は、それぐらいの大技を使わないと、“力”の消費が間に合わなくなってきてますから」
「もう、この缶も駄目ね」
年齢相応より低い声で、千夏はそう言いながら、先ほど「氷ダート」の的にしていた空き缶10本を拾い集めていた。
どの缶も既に穴ぼこだらけになっているのを見て、クラスメートの涼子が聞く。
「ひょっとして……さっきの何回目?」
「10回連続、全弾的中」
静かに答える千夏。
そして、その言葉の「裏の意味」に気付く涼子。
「……千夏、またたまってるの?」
「卑猥な言い方しないでよ。……事実だけど」
「花壇に水は?」
「昼休みにやったわよ。樹木もまとめて」
「そういえば、この1週間、晴天続きで空気が乾燥――」
「昨晩、夕立があったでしょ」〈あれ、私だったんだけど〉
「……そうだ! 去年の文化祭で好評だった、氷のオブジェ」
「素材だったら、あそこのアレ、好きなだけ使って」
そう言って千夏が指差したのは、フェンス際に居並ぶ十数個の「氷山」。
「あはは……」
こんな具合に、千夏は毎日、何かと理由を付けて“力”を消費していた。そうしないと、“力”がたまりすぎて暴発してしまうから。
そもそも、先月の大技も、“力”がたまりにたまって暴発寸前に陥り、やむにやまれず起こしたもの。そんなことがあったため、学校側も「居並ぶ氷山」ぐらいは黙認する他なかった。
「悪霊と戦う機会でもあれば、あっという間に“力”を消費できるんでしょうけど」
七海が、よく考えたら物騒な事を言う。
「それが終われば、また嫌でもたまってくる。同じことじゃよ」
そして六介は、七海に本題を切り出した。
「どうやら千夏ちゃんの“力”は、もはや我流の訓練では扱い切れぬ域に達しておるようじゃな。今のように、ただひたすら“力”を浪費しまくるだけでは、いずれ破綻するじゃろう。
今の千夏ちゃんに必要なのは、あり余る“力”を制御できる、本当の呪法能力を身に付けることじゃ。そのためには、呪法を究めた者のもとで一定期間、正式の修練を積むしかない」
「すると、やはり千夏を……」
「うむ。先日、理事会の承認も得られた。あとは、本人の気持ち次第じゃ」
横浜市の郊外にある、閑静な住宅地。その中に、沢木家の住む一戸建てがある。
学校から帰ってきた千夏が、その家の玄関の鍵を開け、ドアを開けた。
「ただいま」
「ああ。おかえり、千夏」
玄関から聞こえてきた千夏の声に、1階の仕事部屋から父・誠一郎が答えた。
誠一郎は、フリーのスポーツライターである。
仕事柄、取材のために週単位で帰ってこないことも多いが、大抵はこうして自宅で、2階の個室とは別に設けた1階の仕事部屋で執筆活動にいそしんでいる。
「ママから電話あった?」
今日は、母が母校・出雲学園に仕事に出る日だ。通常は8時過ぎに帰ってくるが、少しでも遅れそうな時は、事前に自宅に電話を入れてくる。
「ああ。ついさっき、七海から電話があったよ」
沢木家では、両親は互いに相手を名前で呼び合う。昔からそうだったから、親同士が「パパ・ママ」だの「お父さん・お母さん」だのと呼び合うのは漫画やテレビの中だけだと、幼い頃の千夏は思っていた。だから小学生になり、実はこっちの方が世間では普通だと知った時、千夏は心底から驚いたものである。
「じゃあ、遅くなるんだ」
「いや、いつも通り、8時過ぎには帰れるって」
「えっ?」
思わず疑問の声を上げる千夏。いつも通りなら、なぜわざわざ電話を?
「そういえば、千夏に大事な話があるって言ってたな。詳しくは聞かなかったが」
「私に?」
疑問が残るものの、父が詳しく聞いていないというのであれば仕方がない。
「……まあいいか。私、2階に上がってるね」
千夏はそう言い残して、自分の個室へと向かっていった。
階段を上がる千夏の背中を見ながら、誠一郎はつぶやいた。
「まあ、あの件だろうな」
…………。
昨晩、七海が多めに作っておいた肉じゃがの残りを、誠一郎と千夏が夕飯に頂く。
そして、二人が居間でテレビを見ていた頃、玄関からドアが開く音が聞こえてきた。
「ただいま」
続いて、母・七海の声。
「おかえり、ママ」
千夏が、それに答える。
「ところでママ、私に何か話があるって聞いたけど」
「あっ、うん……」
千夏の方から振ってきた以上、話さないわけにはいかない。七海は着替えもそこそこに、居間のテーブルに着いた。
「実は、千夏には黙ってた事があるの。これって、正式に決まるまでは当人には話せない事だから」
「正式に、って?」
実は千夏、一瞬「あなたは、私たちの本当の子ではないの」って続くかと思いビクッとしたが、どうやらそういう話ではなさそうで、内心ほっとしている。
「そうか。すると、あちらの方から――」
以前、内々に話だけは聞いていた誠一郎が、七海に確認する。
「ええ、要請があったわ」
「…………?」
話の筋が見えず、疑問符を浮かべる千夏に対し、七海が話を始めた。
「実はね、千夏を出雲学園で一月ほど預かれないかって話があるのよ」
午後6時過ぎ、塔馬(とうま)家。
いつものメンバーが夕食を囲む中、先ほど帰ってきたばかりの六介に、カグツチが「沢木先生」について問いただしたら、六介はあっさりと七海のことだと認めた。
「何だ。それじゃ、じいちゃん、始めから知ってたのか」
「知ってたも何も、七海ちゃんを指導員として呼び寄せたのは、わしじゃからのう」
そして、カグツチは猛(たける)に視線を向けた。
「猛君……」
「俺だって初耳だ。弓道場前で何度か見かけたことがあるけど、まさかカグツチの仲間だったなんて」
その横で、サクヤが言った。
「明日香ちゃんは、このこと知ってるのかな?」
カグツチが答える。
「この間の様子じゃ、全然知らないだろうな。七海ちゃんの方はともかく」
六介が話を繋ぐ。
「お前たちのネノクニでの一件が終わってすぐじゃったな。明日香ちゃんの弓術の腕が急激に上達していたのを見て、自分と同じ事が起こったことに気が付いたんじゃろう。七海ちゃんが、わしの所へ押しかけてきおった。七海ちゃんだけ仲間外れにするわけにもいかんので、その時にわしが把握していた事を全て伝えた」
「仲間外れって……?」
意味が分からず、猛が聞いた。
「綾香(あやか)さんは当然知っておるし、美由紀ちゃんは芹(せり)ちゃん経由で、渚(なぎさ)ちゃんも剛(たけし)絡みで、何が起こったかぐらいは知らされていた。七海ちゃんだけ知らないというわけにはいかんじゃろう」
同じ頃、白鳥家。
いつものように母と娘二人(父は残業で今日も遅い)が夕食を囲んでいる時に、母・綾香がいきなり、こんなことを言い出した。
「琴乃(ことの)と明日香には急な話になるんだけど、来週から家族が一人増えるから、よろしくね」
「…………」
茶碗と箸を持ったまま、固まる娘たち。
先に呪縛?から解けたのは、琴乃だった。
「お、お母さん……養子を取るの!?」
「違うわよ。来週から1カ月ほど、横浜の方から女の子が一人、出雲学園に短期編入するから、その間、彼女を預かってくれないかって、六介さんから頼まれてるのよ。
といっても、あちらさんの都合もあって、まだ本決まりじゃないんだけどね」
苦笑いを浮かべながら、綾香は説明した。
「要するに居候ね。びっくりした」
明日香もそう言って、ほっと息をついた。
「でも、どうしてうちに?」
琴乃が、当然の質問を投げかける。
「その女の子ってのが、私の古い友人の娘さんなのよ。沢木千夏ちゃんっていってね――」
これには、明日香もびっくり。
「沢木って、まさか沢木先生!?」
「あれっ、明日香、知らなかった? 水瀬七海ちゃん――結婚して、今は沢木七海さん――は、昔、ヒカルちゃんや私と一緒にネノクニで戦った一人よ」
「はあ……」
呆然とする明日香。
考えてみれば、七海にしても、いくら「知人の娘」とはいえ、あくまで「教え子」でしかない明日香に自分のプライバシーをおいそれと話せるわけがないので、明日香が知らないのも当然なのだが。
「おはよう……あれっ、琴乃、じいちゃんは?」
「六介さんなら、横浜に用事があるとかで、もう出かけられましたよ」
「横浜?」
「多分、千夏さんの件じゃないかと」
翌朝、登校してきた千夏が教室に入るや否や、涼子が駆け寄ってきた。
「千夏、転校するって本当!?」
これには千夏も呆れて、「はあ」とため息をついた。
「何よ。もう話がここまで来てたわけ?」
「それじゃ」
「まあね。といっても、1カ月後にはまたこっちに戻ってくるんだけど。
……って、何よ。そのがっかりした顔はっ!」
そう言って、千夏はクラスメート一同に怒鳴り付けた。
…………。
1時間目終了後、改めて話しかけてきた涼子に、千夏が「呪力の訓練のため、専門家のいる出雲町に1カ月寄留する。その間、学生としては出雲学園に短期編入する」ことを説明した。
「……というわけで、あとは私本人の気持ち次第ってこと。まあ、どうせOKすることになるから、決定したも同然なんだけどね」
元々千夏は出雲学園が第1志望だった(入試に落っこちたけど)し、正規の訓練を一番欲していたのは他ならぬ千夏自身だから、異存があろうはずがない。
「その割には、不満そうな顔してるけど」
「確かに異存はないわよ。でも、私の知らない所で周りの大人たちだけでワーッと決められちゃったというのがねえ……」
「疎外感って奴ね。分からないでもないわ」
そして涼子は、千夏の顔を真っ正面に見やった。「でも、散々期待を持たせた挙げ句、最後の最後にポシャって結局ぬか喜び、よりはましなんじゃない?」
そう言って、涼子は千夏に笑顔を贈った。
…………。
昼休み、千夏は呼び出しを受け、校長室で六介から出雲学園への転校(短期編入)について改めて説明を受けた。
そして、千夏がその場で受諾したことで、千夏が来週月曜、5月1日から出雲学園へ通うことが正式に決まった。
さて、千夏への説明を済ませた六介は、そのあと、横浜のとある場所へ立ち寄った。
そこは、かつて、とある官舎があった場所だった。
太平洋戦争の末期に空襲で焼け落ちたあと、誰に使われるでもなく更地のまま放置されてきたその土地を、六介は買い取り、そこに一つの記念碑を建てた。
歴史の奥底に埋もれ、人々の記憶からすっかり消え去っていた存在、「警視庁特別班」の碑である。
「早いもんじゃのう。あれから、もう120年になるのか……」
誰にも顧みられることのない石碑を前に、六介は一人で立ち、そうつぶやいた。
数年前、六介は「古武術研究家」として、「警視庁特別班」1期生のその後を調査していた。
上杉 美園(うえすぎ みその)は、幼馴染みの山田 虎之助(やまだ とらのすけ)を夫に迎え、上杉家を継承した。仙台には、今も上杉宗家による古武術の道場が小さいながらも存在している。
これは余談であるが、六介が宗家を訪ねた時には、宗家の跡取り息子は「修行」と称して全国を放浪中で、家を留守にしていた。これも虎之助の血なのだろうか。
桐谷 五郎(きりや ごろう)(六介)のあと、長として特別班を率いてきた永峰 和人(ながみね かずと)は、特別班の解散を機に、山口へ帰郷した。妹であり妻でもあった陽子(ようこ)も、洋食店を料理長に譲り、兄に付いていく。
「禁断の愛」を最期まで貫いた兄妹に実子はいなかったが、帰郷より数年前、和人は剣術の愛弟子を一人、養子に迎えていた。この養子が、故郷で永峰神社を任されていた和人の叔父の一人娘(彼女もまた方術の使い手だった)と結婚し、永峰宗家を継承。今も宗家が山口で神社と剣道場を守る一方、分家もまた全国に散らばっている。
沖縄に帰った玉城 萌夕(たまき もゆ)は、地元の漁師と結婚。以後は一人の女性として、太平洋戦争末期のあの地上戦をも生き抜き、長寿を全うした。実はその臨終の席には、萌夕から生まれ出た大勢の家族の他に、「導かれるように、たまたま」沖縄を訪れていた六介も「一研究家として」参列している。
その時、当然六介は素性を隠していたが、萌夕には全て分かっていたようだったと、のちに六介は述懐している。
沢木 宗一郎はサーベルをペンに持ち替え、恩師の一人娘・里美(さとみ)と結婚したあと、ジャーナリストとして日本報道史に名を残した。前にも触れた通り、沢木家は宗一郎以来、多くのジャーナリストを輩出している。七海と結婚した誠一郎もその一人だ。
自ら建てた石碑の前で、六介はいつも、あの時代のことを思い起こす。
半ば世捨て人として、時に隠とんし、時に各地をさまよい歩いていた自分を変えた、あの時代の出来事を。
六介を変えたのは、自分のもとで働いた若者たち、そしてまばゆい輝きを放つ彼らの絆だった。
そして、いずれは、このような若者を育てるための施設を創ろうと、六介は心に決めた。
そして終戦から間もなく、その決意は「出雲学園」として現実のものとなった。
そして、ここに来るといつも想い出す、あの言葉――。
『貴方を救ってくれる……希望をもたらす存在が現れます。そう遠い未来の話ではありません』
「イワナガ……お前が占った通りになったな」
20年前――占いの通り、「救世主」塔馬ヒカルにより、イザナミとイザナギ=六介は解放された。
六介にかけられた「不老不死の呪い」は未だ解かれてはいないが、世界の理(ことわり)を祈りによって維持する役割がアマテラスとカグツチに引き継がれた今、もはや六介は、理を守るためにアシハラノクニに封じられた存在ではない。
それどころか、本人さえそのつもりなら、己にかけられた呪いを自力で解き、普通に歳を重ねる「普通の人」になれるのである。かつて、イワナガがそうしたように。
しかし、六介はあえて「不老不死」を解かない。
なぜ解かないのか、実のところ、六介自身にも分からない。今更、この世に未練があるはずもないのに。
「……帰るとするか。ヒカルたちが待っとる」
六介は過去の記憶を心の奥にしまい込むように、身を翻し、石碑に背を向けた。
そして、今の世に向かって再び歩き始めた。
4月28日(金曜日)午後3時、横浜――。
「千夏、どうせ向こうでの授業は来週からなんでしょ。何も今日でなくても」
ホームルーム終了後、これからすぐに出雲町に向かうと言った沢木千夏に対し、親友の涼子は呆れてそう言った。
「もう荷物は送ってあるし、善は急げっていうから」
千夏はそれだけ言うと、涼子に別れを告げ、教室から出ていった。
千夏の姿が見えなくなったあと、涼子はひとりつぶやく。
「急(せ)いては事をし損じるともいうんだけどなあ……」
同日午後9時、出雲町――。
『まーた悪霊が出没して、街じゅうのゴミ箱をあさっとんのや。こないだみたいに、ちょっとばかし懲らしめてやってーな』
朱雀(すざく)の依頼を受け、猛と明日香の二人は、夜の出雲町を見回りに出ている。
正確には、朱雀が明日香に依頼し、一人では心細いと、意外に押しの強い(?)明日香が猛を引きずり込んだもの。ちなみに報酬は、「朱雀亭でタダ飯1回分」。
「明日香ちゃん、ゴミ箱をあさる悪霊っていったら、やっぱり」
「あの変な顔の、変な声で『クワァ』と鳴く」
「悪霊というより、珍獣といった方が似合ってる、あの」
「……だよね」
共にアネゴラスの姿を頭に思い浮かべ、二人は「はあ」とため息をついた。
「いたっ!」
早速、明日香がアネゴラスの青い姿を発見した。案の定、ゴミ箱を横倒しにして、残飯を頬張っている。
「明日香ちゃん、弓!」と、猛は促す。
もっとも明日香は、既に矢をつがえ、弓を引き絞っていた。
「当ったれー!」
矢が放たれる。しかし、「ヒュン!」と向かっていった矢は、その直前、二人の存在に気付いたアネゴラスにあっさりとかわされた。
そして、地面に刺さった矢を尻目に、アネゴラスはスターッと走り去っていく。
「早っ!」
あの図体からは想像も出来ない快足ぶりに、一瞬ポカンとする二人。
「追いかけるよ、お兄ちゃん!」
「お、おお」
二人は慌ててあとを追った。
「待てーーーーっ!!」
「クワァ♪ クワァ♪」
猛と明日香は、完璧にアネゴラスに遊ばれていた。
信じられないことに、二人の目の前にいるアネゴラスのスピードは、明らかに100メートル10秒を切っていた。これじゃ、パウエルやグリーンでも追い付けない。
それでも追いかけっこが成り立っているのは、アネゴラスはゴミ箱の姿が視界に入ると、本能的に急ブレーキをかけ、ゴミ箱あさりを始めるからだ。もちろん、二人に見付かった時点で、また逃走開始である。
「くそーっ! ありゃ、絶対に速玉(はやたま)を使ってるな!」
「あーん! これじゃ、切りがないよーっ!」
ヘトヘトになりながらも、必死でアネゴラスを追いかける二人。
ところが、突然、アネゴラスはゴミ箱もないのに急停止し、二人のいる方へ向きを変えた。
「???」
二人も同じように止まり、何事かといぶかる。
「クワァ」
数秒の対面ののち、アネゴラスは一声鳴くと、いきなり二人に向かって急発進!
「うわああああっ!!」
「きゃああああっ!!」
「クワァ♪」
猛を体当たりで跳ね飛ばし、そのまま走り去っていった。
「あ・の・や・ろ・う・~・~・~・~・~」
「あのー、お兄ちゃん、まだオスと決まったわけじゃ……」
起き上がり、怒りのオーラを発する猛に対し、まだどこか呑気な明日香であった。
――それにしても、猛って頑丈な人だ。
そんなこんなで、永遠に続くと思われた、猛・明日香とアネゴラスの追いかけっこ。
でも……永遠なんてなかったんだ(笑)。
その頃。
闇に包まれた夜の駅前に、ボストンバックを両手に提げた少女が一人立っていた。他に人の姿はない。
「ここが、出雲町か……」
言うまでもなく、横浜からやって来て、先ほど到着したばかりの、沢木千夏である。「それにしても、遅いなあ、白鳥のおばさん」
母・七海の古くからの知人で、今回ご厄介になる綾香が迎えに来ているはずなのだが、どういう訳か、彼女はまだ来ていなかった。
その代わりに(?)、「……ドドドドド」と足音を響かせて、何者かが駅前に近付いてくるのを、千夏は感じた。
「……何?」
やがて、闇の向こう側から、街灯の光に照らされた姿を現したのは――
「クワァ」
変な声で鳴く、変な顔の「珍獣」。
「待ってよーーっ!!」
「危ない! そこの人、どいて!」
そして、弓矢や木刀を手にした、男女二人であった。
はっきり言って、何も知らない千夏にとっては、こちらに向かってくる3人……もとい、二人と1体は、「不審者」というか「不気味」というか、要するに「危険物」以外の何者でもなかった。
「きゃーーーーーーーーーーっ!! 来ないでーーーーーーーーーっ!!」
恐怖感に圧倒された千夏、思わず両手を突き出し、手のひらを「そいつら」に向けた。
その瞬間――辺り一面の気温が、一気に氷点下に下がった。
――塔馬家――
「うん?」
「うむ」
居間にいたカグツチと六介が、同時に“異変”に気付いた。
「じいちゃん、今、向こうの方で……」
そう言って、カグツチは南の方を向いた。
「そうか。ヒカルも気付いたか」
六介も真剣な表情で、同じ方角を向く。
「ああ、確かにエネルギーの大きな波を感じた。恐らく、繁華街の辺りだ」
「そう言えば」六介は、何かを思い出して言った。「猛の奴、明日香ちゃんと繁華街に見回りに行くと言って、出たきりじゃな」
それを聞くと、カグツチは苦笑いを浮かべて言った。
「まさか。アネゴラス狩りだろ。大した奴じゃない」
アネゴラスは、ネノクニでもよく見かける悪霊だ。
ちょくちょく人里に現れては、倉庫から食料をかすめ取っていくイタズラ者だが、悪霊としては決して強い方じゃない。所詮は雑魚。間違っても、こんな大きなパワーを発するような奴じゃない。
「そうなんじゃが……待てよ? そう言えば――」
六介は、何かに気が付いたようだ。
「どうした、じいちゃん?」
「いや、確かそろそろ、千夏ちゃんがこちらに来る頃じゃと思ってな」
「千夏って……ああ、七海ちゃんの娘さんの方か」
カグツチは一瞬、自殺した桐山(きりやま)千夏の方を思い浮かべて、ドキリとした。「でも、こんな夜中にか?」
「ああ、善は急げと言うて――」
ここでカグツチと六介は、全く同じ、一つの可能性に思い至る。
――もし、こちらに着いたばかりの千夏が、猛と明日香に追いかけられるアネゴラスと出くわしたら。
「じいちゃん……」
「まずいな……」
二人は互いにうなずき合うと、ほぼ同時に玄関へと駆け出した。
――白鳥家――
「いっけなーーーーいっ!」
ペンが進まないから――と言って、リビングで呑気にテレビドラマを見ていた綾香が、いきなり叫んだ。
「どうしたの、お母さんっ!?」
綾香のそばで愛用の横笛の手入れをしていた琴乃が、母のいきなりの大声に驚き、訳を聞く。
「千夏ちゃん、今晩来るのよ。迎えに行かないと!」
「えっ、明後日じゃなかったの?」
確かに千夏の荷物は既に届いているが、琴乃は来週来ると聞かされていたから、当然本人が来るのは日曜日だと思っていた。
「今朝、七海ちゃんから電話があったのよ。善は急げだと言って、今日学校が終わったらすぐにこっちに来るって」そして、綾香は壁時計を確認する。「って、もう駅に着いてるじゃないっ!」
「もーっ、お母さんったら! 早くしないと。私も一緒に行くから」
横笛を懐にしまい、綾香を急かす琴乃であった。全く、どっちが母親なんだか。
――出雲学園・校庭――
「……気付きましたか、汀(みぎわ)さん」
「……どうやら、こんなことをしている場合じゃなくなったみたいだね」
「汀さん、今日の勝負は預かりですよ」
「それはボクの台詞だよ、ヒミコさん」
ヒミコと汀は、恒例の同衾権争奪バトルを中断。強制的に立ち会わせていた剛と共に、校門に待たせていたリムジンに乗り込んだ。
――冬木(ふゆき)家――
「うーん……スサノオさまあ……」と、凪(なぎ)。
「すー……2000円からお預かりします……」と、青竜(せいりゅう)。
「こらー……まだまだ呑むぞー……うー……」と、玄武(げんぶ)。
「ひっく……今日は暑いな……」と、白虎。
「何やて……うちの酒が呑めんと……ひっく」と、朱雀。
「わうー……わうー……」と、八房(やつふさ)。
精霊一同、“異変”に全く気付かず、酔い潰れて寝ておりました。
大きなパワーを感じ、発生地点である駅前まで駆け付けてきた、カグツチと六介。
慌てて千夏を駅まで迎えに来た、綾香と琴乃。
駅前での異変に気付き、学園からリムジンで素っ飛んできたヒミコ・汀・剛。
彼ら7人が、駅前で見たものは――。
氷山に閉じ込められた、1体のアネゴラス。
その後ろで、一緒に氷付けにされた猛と明日香。
そして――そのそばで、無言でただオロオロしている、一人の少女であった。
「た、助かった……」
「ううっ、冷たかったよ~」
ヒミコの手で「解凍」された猛と明日香が、珍しく弱音を吐く。
「この程度の呪法攻撃が何ですか。それとも、灼熱攻撃で急速解凍した方が良かったのですか?」
ヒミコは、呆れたような表情でそう二人に言った。
「いや、それは勘弁」
「七海ちゃんから聞いてはいたけど、まさかこれほどとはねえ」
アネゴラスを包む「氷山」を見て、綾香は冷や汗を流す。
「しかし、こいつ、どうします?」
剛が、氷山の中の珍獣を指差して、カグツチに聞く。するとカグツチは、左手に持った自分の宝貝(ほうばい)を剛に示して、苦笑しながら答えた。
「ああ。ついさっき、やっと朱雀と繋がったよ。どうやら、どっかの家で酒盛りしてて、酔い潰れてたらしい」
「さてと……」
六介はそう言うと、未だに黙ったまま突っ立っている女の子――千夏のもとに近寄ってきた。「こっちに着いて早々、いきなり悪霊に出くわして、びっくりしたじゃろう。大丈夫かね、千夏ちゃん」
「あ、あの……」
どんなに怒られるかと思っていた千夏は、六介から優しい言葉をかけてもらい、かえって言葉を失った。まあ、千夏は元々口数が少ないけど。
「今の千夏ちゃんが、力を暴発させてしまうのは仕方のないことじゃ。そもそも、その困った現状をどうにかするために、千夏ちゃんは横浜からはるばる、この出雲町まで一人でやって来たのじゃからな」
「……は、はい」
「さあ、改めて、皆さんにごあいさつしなさい。ここにいる人たちは皆、千夏ちゃんの味方じゃよ」
六介に促され、7人の前に立つ千夏。笑顔を浮かべて自分を迎えてくれる彼らを見て、千夏はやっと緊張が解けたようだ。
「横浜から参りました、沢木千夏です。よろしくお願いします」
捕まえたアネゴラスを千鳥足状態の朱雀に引き渡したあと、綾香・琴乃・明日香の白鳥家一同は、ゲストの千夏を伴い、自宅へと夜道を歩く。
その途上、千夏が明日香に尋ねた。
「あのー……明日香さん」
「何、千夏ちゃん?」
「……ここは夜になると、いつも『あんなの』がうろついてるんですか?」
「え……えーと……」
痛い所を突かれ、返答に困った明日香であった。
同じ頃、やはり夜道を歩く、塔馬家一同。
「ハークション!」
大きなくしゃみをして、体をブルブルと震わせる猛に、六介が呆れて言った。
「だらしないのう。たった数分、氷に閉じ込められたぐらいで」
いや、六介さん、普通の人なら「たった数分」でも命に関わるんですが。もっとも、猛は「普通」じゃないけど。
「千夏ちゃん……か」
カグツチのつぶやきに、六介が呼応する。
「どうした、ヒカル?」
「俺もまさかとは思うけど、『千夏』の呪いってことはないよな?」
「お前まで何じゃ。ただの偶然じゃよ」
「しかし、あの呪力……。千夏ちゃんのような一般人には、荷が重すぎるな」
すると、六介は意外な事を言い出した。
「果たして、そうかな?」
「どういうことだ、じいちゃん?」と、猛。
「千夏ちゃんが、本当に『一般人』かどうかと言うことじゃよ。まあ、それを確かめるのも、今回の目的じゃがの」
一方、大斗(やまと)邸へ向かうリムジンの3人。
「似ていますね、私(わたくし)に」
ふと、ヒミコがそうつぶやいた。隣でそれを聞いた剛が問い返す。
「どうした、ヒミコ?」
「私にも、遠い昔、一人の方士として修練を積んでいた頃、自らのあり余る力に自ら恐れを抱いていた時期があります。あの千夏さんを見て、まるでその頃の私のように感じました」
「ヒミコさんは、それをどうやって乗り越えたの?」
汀が聞いた。そこに、今回の答えがあるように思えたからだ。
「汀さんと同じですよ。
力を恐れるのは、その自分の力を、自分自身が心の奥底で拒んでいるから。
だから、力を拒むのではなく、その力を自ら受け入れる。そのような力を持つ、あるがままの自分を、自らしっかりと受け止め、受け入れる。
――その境地に至った時、私の中から恐れは消えました」
「……そうだね」
汀も納得する。汀がオロチの呪縛から解放されたのも、汀が内在する力を「オロチの力」ではなく「自分の力」とした時だった。
「出来るかな、千夏ちゃんに」
剛が不安を口にする。
「しなければなりません。それが出来なければ、遅かれ早かれ、千夏さんは己の力に滅ぼされてしまうでしょう。汀さんがそうなりかけたように」
4月29日(土曜日)。
白鳥家の朝は早い。
6時、琴乃と明日香がほぼ同時に起床した。そして着替えると、母・綾香に朝のあいさつをし、二人揃って塔馬家へ向かった。
琴乃は、塔馬家の朝食・家事要員として。明日香は、猛の目覚まし要員として(休日とはいえ、猛・剛・明日香の3人は今日も部活があるのだ)。
夜のお仕事――絵本の執筆ですよ――を終えたばかりの綾香は、娘二人を見送ると、自分と夫の朝食の準備に取りかかる。
平日であれば、朝食のあと、出勤する夫を見送り、自分は後片付けをしてから、ひとり昼過ぎまで眠るのが日課である。
しかし、今日は大型連休の初日。かつては綾香と共にプロ作家を目指していた夫――創作クラブでの出会いが、二人の馴れ初め――も、今ではごく普通のサラリーマン。当然、世間一般における会社員の慣習にのっとり、夫は来月7日までの長期休暇に入るため、今日からしばらくは、一日中、夫婦揃って自宅にいる。
といっても、日々の疲れを癒やすために、夫はずっと自室で寝てばかりいるのは確実なのだが。
さて、朝食の準備も整った頃、目を覚ました夫が居間に入ってきた。
「おはよう。……母さん、千夏さんは?」
妻一人しかいない居間を見て、夫が綾香に聞いた。夫も昨晩初めて対面した、しばらく家族の一員となる少女の様子が気になるようだ。
「そういえば、まだ起きてないみたいね。起こしに行ってくるわ」
綾香はそう答えると、千夏に宛てがった、2階の元空き部屋へ向かった。
“ねえ……ねえ……”
千夏は、白くて鈍い光で満たされた、他に何もない空間のただ中を、空に浮かぶ風船のように身を委ねていた。
そんな千夏の耳に……いや、千夏の中に直接響いてくる、女の子の声。
〈…………?〉
声に気付き、千夏はいぶかる。
“ねえ……聞こえる?……”
〈……誰?〉
しかし、声は疑問に答えない。
“聞こえたのね……。良かった……”
〈…………?〉
“また……来てくれたんだ……ここに”
〈……ちょっと?〉
“待っていた……。ずっと……待っていた。……私”
〈……ねえ、あなた誰?〉
“私は……私は……”
〈『私は』?〉
“私は……”
しかし、やがて声は、千夏の元から遠ざかっていく。
〈ねえっ、ちょっと!?〉
(トントン)
「千夏ちゃん、もう起きてる?」
そして――ドアのノックと共に、部屋の外から呼びかける綾香の声で、千夏は目覚めた。
そして、朝食後。
まだダイニングキッチンにいる千夏に対し、綾香が尋ねた。
「私はこれから一眠りするけど、千夏ちゃんはどうする?」
「うーん……」
千夏は、一人うなる。
予定より早く出雲町にやって来たものの、実のところ、千夏はこれからどうするかなんて、何も考えていなかった。
その時だった。
(ピンポーン)
玄関のチャイムが鳴った。綾香は会話を中断し、玄関の方へ駆け寄る。
「はーい。どなたー?」
そう言いながら、綾香はドアを開けた。ドアの向こうに立っていたのは、綾香の「古い知り合い」の一人ではあったのだが――。
「やっほー、綾香」
「え……玄武さん?」
この時期に、玄武がなぜここにやって来たのか、綾香はその意図を図りかねた。
「――そんな訳で、徐福(じょふく)様にいきなり呼び出されちゃってさー。本当は1カ月ローテーションのはずなのに、1週間ちょっとで青竜と交代になっちゃったのよね」
白鳥家の居間で、綾香から出された茶を手にした玄武は、向かい側に座る綾香と千夏を前に、一方的に言葉をまくし立てていた。
もっとも、千夏ははなから何にも知らないし、綾香にしても、現在の四聖獣の裏事情をそれほど詳しく知っているわけではない。それ故、二人とも玄武の台詞を理解できず、ただ「はあ……」と相づちを打つぐらいしか出来なかった。
「――って、和んでる場合じゃないわね」
玄武は自分にツッコミを入れてから、綾香の隣に座っている女の子に目を向けた。「今回は、千夏ちゃんに用事があって来たの。えーと、あなたが千夏ちゃんよね?」
「あ、はい」
千夏は反射的に返事をするが、いきなり自分の名前を呼ばれて、内心戸惑っていた。要するに、「何で初対面のあなたが私を知ってるの?」って感じー?
「あたしは玄武。出雲学園の保健医をしてるわ。あー、正しくは『養護教諭』っていうらしいんだけどね。それと、『保健医(保健体育の保健)』であって『保険医(生命保険の保険)』じゃないからね、綾香」
……今、何かメタなネタが出たような出なかったような。
「保健室の先生……」
つぶやく千夏。〈でも、保健室の先生が、わざわざここまで何しに……?〉
「といっても、今回の用事は、学園や保健医とは余り関係ないんだけどね」
玄武がそう言うと、綾香はどうやら気が付いたようだ。
「つまり、四聖獣としての用事、ですね」
「ええ、そういうこと」
「あ、あの……シセイジュウって……?」
未だに訳が分からない千夏の左手を、いきなり玄武が握った。
「そんな訳だから、綾香、千夏ちゃんをしばらく借りるわね」
「えっ? えっ?」
「ええ、どうぞ。それじゃ、私は昼まで寝てるわ。ふわあああ……」
頭の中を???が渦巻いている千夏を尻目に、綾香は大あくびをしながら、居間から自分の部屋へと行ってしまった。
「あ、あの……」
「そう心配しなくていいわよ。
それじゃ、あたしの精神世界へご案内ーっ!」
玄武に手を掴まれた千夏は、目の前の空間が歪んだように感じた。
その歪みが収まり、気が付くと、千夏と玄武は、広大な砂浜のまっただ中に立っていた(言うまでもなく、これは玄武の精神世界なのだが、千夏には分からない)。
二人の目の前に広がるのは、静かな波が浜へ打ち寄せる春の海。
そして、二人を取り囲むのは――無数のスライムだった。
〈な、何よ、これっ……巨大クラゲっ!?〉
千夏は叫びたいぐらいなのだが、元より寡黙なせいか、やはり恐怖が先に立つのか、上の台詞も頭の中で思うだけで、全く声に出ない。
もっとも玄武には、そんな「心の台詞」もお見通しである。
「RPGでお馴染みのスライムよ。悪霊の中じゃ最弱だから、本気で戦えば、何百体いようと、あなたの敵じゃないわ」
そう言った玄武の方へ振り向いた千夏は、彼女の服装が替わっていることに今頃気付いた。皆さんにはお馴染みの、あのケバい……もとい、黒っぽいボディコン礼装である。
〈そんなこと言ったって……〉
そりゃそうだ。千夏は、本当の意味で悪霊と戦った経験がない。
確かに昨晩、アネゴラスを凍り付けにしたが、あれは恐怖感から無我夢中でやったもの。また同じ事が出来るかと問われても、千夏には答えようがないだろう。
「やれやれ。それじゃ、手っ取り早く手本を見せましょうか」
玄武はそう言い、目の前で砂浜をズルズルと這い回っている1体のスライムに目をやると、それを右手で指差した。「いくわよ。……アイスコフィン!」
玄武がそう唱えた瞬間、そのスライムは、一瞬のうちに現れた氷の固まりの中に閉じ込められ、その直後、針が刺さった風船のように、氷もろともパン!と破裂してしまった。
「えっ、これって……!?」
思わず叫ぶ千夏。
「こんな手もあるわよ。……アイスフォール!」
そう唱えると、今度は天空から氷の結晶が隕石にように落下し、さっきの奴の横にいたスライムを直撃した。攻撃をまともに受けたスライムは目の前で「シュウウウ……」と消滅する。
「あなた……一体……?」
千夏は、得意そうに笑顔さえ浮かべる玄武から、目を離せない。
千夏は驚いていた。スライムをあっさりと倒してみせたことにではなく、彼女が「自分と同じような技」を使ったことに。
「詳しい説明はあと。
さあ、今度はあなたが倒す番よ。もたもたしてると、しまいにはスライムの大群が、一斉に襲いかかってくるわよ」
「は、はいっ!」
相変わらず、何が何だか分からない千夏であったが、取りあえず、目の前のスライムたちをやっ付けないことには先に進まないことだけは理解したようだ。
こうして、玄武先生の特別授業は、唐突に始まった。
その頃、出雲学園へ向かうリムジンの中。
ちなみに、後部座席にいるのは、部活動がある剛と、用もないのに付いていくヒミコと汀。
「玄武を遣わしたって……」
聞いてはならぬ(?)事実を聞いてしまった剛に対し、ヒミコは更に続けた。
「はい。六介さんによれば、現在の千夏さんが使える呪法技は、我流で編み出したものばかり。それでは、自分の力に自信が持てないのも当然です。
玄武は水属性の精霊ですから、千夏さんが手本にするにはちょうど良いかと」
これに対し、剛は不安そうに、
「手本に……なるのか?」
そばで聞いていた汀も、
「なんか、任務を忘れて、いつまでも一緒に遊んでたりしてね」
すると、ヒミコは自信たっぷりに言った。
「大丈夫です。任務を怠ったら、それなりの報いを受けてもらうと、玄武に言い渡していますから」
そんな訳で、ヒミコのお仕置きが怖いのか(笑)、玄武は一応しっかりと「先生」をしているようですが――。
「え、えーと……アイスコフィン!」
千夏が唱えると共に、確かに目の前のスライムは倒れた。ただし、スライムの体内に氷の塊が発生して、それに耐え切れなくなったスライムが破裂したことによってだが。
「千夏ちゃん、随分器用な技の使い方するわね……」
呆れる玄武に、千夏は、
「ぐ、偶然こうなっただけで……。よ、よし!……アイスフォール!」
すると今度は、「氷の隕石」じゃなくて、ひょうが10体ほどのスライムの頭上に降り注いだ。よく「流れ弾」が千夏や玄武に当たらなかったものである。
確かにまとめて撃退できる分、「本物」より効率的だが。
「これ、なんか違う……」
「私に言われても……」
ここで、読者は不思議に思うかも知れない。ヒカルたちや猛たちは、ゲーム中で「アイスコフィン」や「グラシエイション」などの呪法技を、序盤から普通に使えていたではないかと。
しかし、思い出して欲しい。彼らが使っていた呪法技は、いわば勾玉の中に「記録されている」技であり、彼らは勾玉を発動させることで技を起こしていたに過ぎない。
これに対し、千夏は勾玉の助けを借りることなく、自ら技を起こさなければならない。する事は同じでも、その難易度は天地ほどの開きがあるのだ。
「おかしいなあ……。え、えーと……アイス――」
千夏は、焦る気を自らなだめつつ、玄武が見せた手本通りに所作を試みる。
「…………! ちょっと待って!」
そう叫んで、いきなる千夏を止める玄武。どうやら、何か感付いたようだ。
「えっ……!?」
「ねえ、千夏ちゃん、技を発動させる時、ちゃんと技のイメージを心の中に描いてる?」
「えっ、イメージって……?」
「体の動作をいくら真似たって、意味ないわよ。というか、あたしだって適当に手を動かしただけだし」
「…………!」
ここでやっと千夏は、自らの過ちに気付く。
「本当に重要なのは、起こそうとする技のイメージを、事前に心の中でしっかりと描けるかどうかよ。それがいい加減だと、出る技もいい加減になるし、イメージが精確なら、出る技も精確かつ強力になるわ」
「確かに……」
そう。千夏は目の前の「手本」にこだわりすぎていたが、よく考えてみれば、自分だって――自己流ではあっても――技を出すときは、ちゃんと精神を集中して技のイメージを心に描いていたはずだ。
「さあ、仕切り直しよ。ポーズなんて無視して、技そのものに気持ちを集中よ」
戦闘開始から、30分後。
「アイスコフィン!」
(パリーン!)
千夏の詠唱と共に出現した氷柱が、1体のスライムを外から包み込み、すぐさまスライムもろとも破裂した。
さっきの玄武の一言が功を奏したのだろう。千夏はようやく、イメージ通りに技を出せるようになってきた。
横で見ていた玄武も、これには内心、驚いた様子である。
〈たった30分で技をマスターするなんて。徐福様の言ってた通り、この子、かなりのポテンシャルを秘めているわ〉
しかし、好事魔多し。
「次。アイスフォール!」
千夏の詠唱と共に、天空から落下する氷の塊。ここまではイメージ通り。しかし――「しまった!」
氷の軌道が、目標から50センチほど横にずれている。このままでは、狙ったはずのスライムに命中しない。
それまで、頭の中で描いたイメージとは懸け離れていても、技そのものは全て目標へ命中させていた千夏が、この日初めて、目標を外した。技がイメージ通りに出るようになったことがあだとなり、かえって千夏の心に油断が生じたようだ。
「あちゃー……」
玄武も、思わず頭を抱える。
ところが――。
「えっ……?」
千夏にとっても予想外の事態が、目の前で起こった。
真下へと一直線に落ちていた氷が地面に突き刺さる寸前、まるで磁石に吸い寄せられる鉄球のように、突然急カーブ!
誰もが外れたと思った攻撃は、当初の目標だったスライムに、見事に命中してしまった。
「凄ーーーいっ!! 千夏ちゃん、やるじゃ……千夏ちゃん?」
呑気に手を叩いて喜んでいた玄武も、千夏がポカーンとしている状態を見て、台詞が途中で疑問形に変わった。
「何……今の……?」
「千夏ちゃん……」
そして玄武も、千夏が何かしたわけではなく、氷が「勝手に」軌道を変えたことを悟った。
玄武は気を取り直し、改めて千夏に発破をかけた。
「ま、まあ、当たったんだからいいじゃない。
さあ、今日は残りのスライムを倒したところで終わりにするわ。なんやかやで、もう数は元の半分になってるし、何とかなるでしょ?」
「は、はい!」
戦闘開始から、1時間後。
「はあ……はあ……はあ……」
最後の1体を仕留めた直後、千夏は砂浜にへたり込んだ。肩で息をし、いかにも疲労困憊(こんぱい)といった様子だ。
そんな千夏の様子を見ながら、玄武は自分の腰に手をやり、にんまりと笑った。
「あんた、凄すぎるわよ。わずか1時間のうちに、スライム100体を一人で、それも呪法攻撃だけで倒し切るなんて――」
なんて玄武が言っているうちに、千夏は――。
「すー……すー……」
「……あらら、いつの間にか眠っちゃってるわね。あたしと七海ちゃんの事とか、もう少し話したかったんだけどね。
まあ、いいわ。ゆっくりお休みなさい」
そう言いながら、玄武はしばらく、のんびりと千夏の寝顔を見つめていた。
「それにしても、凄いポテンシャルよねえ、この子。
確かに体力はガス欠状態だけど、あれだけ呪術を連発したのに、霊力の方はあり余ってるぐらいなんだから――」
〈…………〉
まぶたを開く千夏。彼女が最初に目にした光景は、見慣れぬ部屋の天井だった。
〈?……あっ、そうか〉
しかし、やがて千夏は、ここが昨晩、自分にあてがわれた部屋であることを認識した。
目覚めた千夏。そして、自分が部屋のベッドの上に寝かせられていたことに気付いた。
〈あれ?……私は、さっきまで砂浜に……〉
千夏は思い出す。つい先ほど、いきなりスライム相手に戦わされたことを。
〈夢……だったの……?〉
確かに現実とは思えない光景だったが、夢にしては余りにリアルだったような――千夏は、そんな気がした。
ふと、枕元の時計を見ると、午後6時過ぎを指している。
窓越しに外の風景を見ると、確かに外は、夜のとばりが降りようとしていた。
〈私、ずっと寝てたのかな……?〉
それにしては、自分の服がパジャマではなく普段着なのが、気にかかる。
やがて、部屋のドアを誰かが外からトントンとノックする音が聞こえた。
「千夏ちゃん、起きてるー?」
ドア越しに聞こえる、綾香の声。
「はーい」
いかにも起きたばかりなのが見え見えの声で、千夏は返事した。
ノブが回り、少しだけドアが開く。その隙間から、綾香の姿がのぞいて見えた。
「良かった。ちょうど晩ご飯が出来たところだから、降りてらっしゃい」
「あ、はい」
そう返事して、千夏がベッドから降りた時だった。
「あ、そうそう」そう言って、綾香はスカートのポケットから、何か紙切れのようなものを取り出した。「これ、玄武さんから千夏ちゃんにって」
「えっ……?」
綾香は、紙切れを一方的に千夏に渡すと、自分だけさっさと下に降りていった。
〈玄武さんから、って……〉
いぶかしげに、千夏は紙切れを開いた。中には、一言だけ――。
『今日はお疲れ様。今度は、保健室で会いましょう♥』
〈…………!〉
千夏は、はっきりと理解した。
「夢じゃ、なかった……」
5月1日(月曜日)早朝、横浜――。
「……帰って、きた」
「そいつ」の目の前には、立ち並ぶ高層ビル群。
そんなビルの隙間から漏れ出る朝日を全身に浴び、棍棒を背負った黒い学ラン姿の「そいつ」は、まだ人通りの少ないアスファルト敷きの歩道の真ん中で、ひとり仁王立ちしていた。
そんな彼の来訪を歓迎するかのように、その足元を一陣の風が通り抜け、砂ぼこりが舞う。今の彼にはピッタリの舞台演出だ。
決して太っちょなわけではない。
全身を筋肉のよろいで覆いつつも、引き締まった、そして均整の取れた、しかし10代とは思えぬ大柄なガタイ。
端正さと凄味が同居した、その顔立ち。
そして何より、背にした「相棒」を手にした時の、その無尽の強さ。
彼の行く先々で、出会った者は大抵彼のことを「クマのよう」と評した。
「武者修行の旅をするようになって、早数年。
全ては、更なる心身の強さを求めて。そして――」
そう。初めは、ただそれだけだった。
しかし、その旅の途上、この横浜の地で「彼女」に出会ったことで、もう一つの理由が生まれた。
「――あいつにふさわしい男になるために」
そして、彼は両手の拳を握り締め、「彼女」に届けとばかりに、天空に向かって叫ぶ。
「待ってろよ、千夏。これから、お前を迎えに行くからなーっ!」
「なーに? あの汚らしい奴」
「ほんと。くっさーい」
「…………」
通りすがりの女子高生二人組にせっかくの雰囲気をぶち壊しにされ、「そいつ」は口をあんぐりとしたまま、呆然と立ち尽くしていた。
しかし、彼は立ち直るのも速い。元より、細かいことは気にしないたちなのだ。
「……ま、まあ、その前に銭湯で一風呂浴びて、一張羅をコインランドリーで洗濯しないとな、うん」
そして、そうひとりごちると、彼は早速、銭湯を探しに横浜の街中へと歩を進めた。
――しかし、目当ての「彼女」がそこにはいないことを、「そいつ」はまだ知らない。
午前9時、出雲学園――。
「――というわけで、転校生を紹介する。1カ月の短い期間ではあるが、みんな、仲良くしてやってくれ」
「沢木千夏です。よろしくお願いします」
出雲学園2年のある教室で、今日からここで学ぶ千夏が、担任からクラスの生徒たちに紹介された。
まあ、転校生を迎えるクラスにおける、ごく普通の光景なので、これ以上書く事は特にない。
そこをあえて付け加えるとすれば、「静かにしていれば」普通の美少女である千夏を前に、男子たちの間から騒々しい声が聞こえてきたぐらいだろうか。
「それでは沢木君、一番後ろの、あの空いている席に着くように」
「あ、はい」
ところで、1年の時は同じクラスだった、明日香・サクヤ・ヒミコの3人。
サクヤもヒミコもこの世界に慣れたことが認められたということか、2年に進級した際の組替えで、3人はそれぞれ別のクラスへと散らされていった。
そして、今回千夏が入ったのは――。
「よろしくお願いしますね、千夏さん」
「えっ? あ、はい……」〈そうだ。この人、あの時……〉
自分の席に向かう千夏が脇を通り過ぎようとした時に声をかけた彼女、ヒミコのいるクラスだった。
その頃、別のクラス――。
〈……大丈夫かなー、千夏ちゃん〉
千夏の受け入れ先の娘である明日香は、自分とは別のクラスへ編入された千夏のことが気になり、目の前の授業も余り耳に入っていないようだ。
〈まあ、ヒミコさんがいるから、大丈夫だとは思うんだけど〉
大介の計らいで、千夏がヒミコと一緒のクラスになることは、明日香も事前に聞いていた。だから、一応は安心しているのだが。
そして、保健室では――。
「――大丈夫よね。何たって、徐福様がそばに付いてるんだし」
一昨日、千夏にレクチャーした玄武が、他に誰もいない保健室で、そうつぶやいていた。
玄武は玄武で、やはり気になるのだろう。まるで、そうやって自分を言い聞かせているようだった。