Kanon五重奏
―第13話―

Verkita de MooLing


栞の世界の9月5日。

日曜日の、ちょうど正午を過ぎた頃。

今俺は、美坂家の玄関の前にいる。

栞が、久しぶりに俺に手料理をごちそうすると言って、俺を自分の家に招待してくれたのだ。

玄関の呼び鈴を押すと、ドア越しに聞こえる、とてとてという足音のあと、栞がドアを開けてくれた。

「いらっしゃい、祐一さん」

家の中から、料理のいい匂いが玄関まで漂ってきた。既に用意は整っていたようだ。

「……あれっ? 栞一人だけか?」

早速、茶の間に案内されたが、いかにもスタミナが付きそうな料理が目一杯に並べられたテーブルには、香里やご両親の姿はなかった。

つまり……こんなに大量の料理を、二人だけで平らげろというのか……?

「お姉ちゃんは、朝早くに図書館に行きました。お父さんとお母さんも、見たい映画があると言って出かけたばかりです。みんな、7時まで帰って来ません」

つまり、7時までは、ここは俺と栞の二人っきり……。

「そうか。じゃあ、今日は栞に何をしても大丈夫だな」

「何でそういうことを、わざわざ強調して言うんですかっ!?」

おお、俺の台詞の意味がよく分かったな。偉いぞ、栞。

「何を言う。食後の運動は健康に不可欠だと、アインシュタインも言っている」

「言ってません! 大体、祐一さんのいう“運動”って……」

「まあ、別名『えっち』ともいうが」

「少しは口を濁してください!」

「したくないのか?」

そう言うと、栞は顔を赤らめて、
「……祐一さん、ずるいです」

それ見ろ。栞だって、期待してたんじゃないか(笑)。

それから1時間後、俺達――実質的には、ほとんど俺一人――は何とか“栞の料理征服プロジェクト”に勝利した。これも、日頃の鍛錬の成果である。

正直、こんな鍛錬は余り したくはないが。

「栞、部屋に行くぞ」

俺は栞の手を取り、栞の部屋へと向かう。まさに、勝手知ったる他人の家である。

「もうスるんですか? いくら安全日だからって……あっ、でも祐一さんの子供なら……(ぽっ)」

栞は、思いっ切りヤる気満々であった。1時間前とは えらい違いである。

「……違う。食べすぎで動けないから、ベッドで休ませてくれって言ってるんだ」

栞、お前、どこぞの“もはやKanonではない”某ぶっ壊れSSの影響受けてないか?

「祐一さんだって、さっきまで某コスプレ暴走SSみたいだったじゃないですか」

「……ひょっとして、また口に出てたか?」

「口に出てなくても、顔を見れば一目瞭然です」

栞には、俺の秘密はないも同然だった。

俺は部屋に入るとすぐ、栞のベッドの上に――あくまで俺一人が――ゴロンと横になった。

「いやあ、栞のベッドは実に寝心地がいいなあ。俺にはサイズが小さいけど」

「そうですか。では、祐一さんの脚を切断して、ベッドに合わせましょう」

お互いに、随分とひどい事を言っているような気がする。

「……人が聞いたら、今の俺達の台詞、どう思うだろうな?」

「ドラマでよくある、恋人同士の他愛もない会話じゃないでしょうか」

「んなわけあるかっ」
などと馬鹿な事を言いながら、何気なく頭を横に倒した時だった。

「――んっ?」

ある物が、俺の視界に入った。

「どうしたんですか?」

「いや、その机の上の……」

寝転がったまま、俺が指差した先にある、それ。

栞の机の上の隅っこに、ちょこっと座っていた、“見覚えのある”それ。

――正確には「あゆの世界の俺」にとって、見覚えのある それ。

「あの人形が、どうかしましたか?」

白い衣を着て、羽と輪っかを付けた、小さな天使の人形が、そこにはあった。

「いや……その人形、いつ買ったんだ?」

「半年前に、ある人にもらったんです。祐一さんが最初にうちに来た時からありましたけど、気付かなかったんですか?」

言われてみれば、確かにそこには、前から“それ”があったような気がしないでもない。

ただ、その頃の俺には“それ”がそこにある意味なんて知るよしもなかったから、気にも留めなかっただけなのだろう。

しかし、今は――。

「随分汚れてただろう。羽も元通りだし。栞が直したのか?」

「お姉ちゃんですよ。お姉ちゃん、こういうのを直すの、得意なんです」

試しに鎌をかけてみたが、やはり当たりだったようだ。

「しっかし、あゆも汚れたまま栞にあげることはないよなあ」

「そんなこと言ったら、あゆさんに悪いですよ」

――とどめである。

「……やっぱり、あゆか」

「…………!」

やっと俺の誘導尋問(?)に気が付いた栞が、表情を凍らせた。

そのままでは死を待つしかない極度の臓器疾患の患者でも、たまたま脳死者などに適合する臓器が見付かる“幸運”に恵まれれば、助かる可能性がないわけではない。

しかし――後で知った事だが――あの時、栞を苦しめていた病気は、とてもそんなレベルではなかった。

世界中を調べても、過去の症例は100件程度。

そのうち、栞以前に生存者はわずか1名。他は全て、数年のうちに死亡。

病気の原因が不明なら、治療法も全く分からない。

先の生存者1名にしても、医学の成果では決してない。

並み居る名医も手の施しようがなく、事実上さじを投げていたところ、気が付けば いつの間にか直っていたという、文字通りの自然治癒だったらしい。

それはまさしく、「人間の生命力の神秘」としか説明の付けようがないものだった。

『奇跡でも起きれば、何とかなりますよ』

――まさに「言葉通り」。この栞の台詞は、誇張でも何でもなかった。

最新の医療技術をもってしても全く手が出せない。頼みは、自然治癒という名の“奇跡”のみ。

現実的には全く期待できない、ごくわずかしか助かる可能性のない“現代の奇病”だったのだ。

『たった一つの願い事は、長い長い時間を待ち続けた その子に与えられた、プレゼントみたいなものなんです。

だから、どんな願いでも叶えることが出来た。本当に、どんな願いでも……。

例えば……一人の重い病気の女の子を助けることも、たった一つだけの願いで』

――あの春の日に、公園で栞はそう語った。他愛もない“喩え話”として。

「あの日、栞が言ってた『長い長い時間を待ち続けた』子って、あゆのことなんだろ?」

起き上がって、ベッドの端に腰掛けた俺の横に、栞も座っている。

栞の両手には、机にあった天使の人形が握られていた。

先ほどまでの おちゃらけた雰囲気は、微塵もない。

「……知ってた……んですか?」

そう言った栞の表情に、なぜ俺がそのことを知っているのかという戸惑いの感情が見て取れた。

「先週、ある切っかけでな。あゆの奴、栞と同じ病院に入院してたんだろ、半年前まで」

もちろん、本当の事は話せないし、「こちらの世界」でも あゆが あの病院に入院していたことを確認したわけではない。

しかし、これまでに俺が知ってきた事実からいって、それは ほぼ間違いない。

「……『月宮さん』っていう、7年前から昏睡状態の女の子がいるというのは、私達、入院患者の間では有名だったんです。

もちろん、その女の子があの あゆさんだったってことは、後で知った事ですけど」

「あゆには、いつ会ったんだ?」

「病院に入院したその日の、確か夜の10時過ぎでした」
つまり、2月1日の午後10時か。
「お姉ちゃんも帰り、病室でひとり眠れない夜を過ごしていた時に、突然枕元に――」

「おいおい、幽霊じゃあるまいし」

まあ、生霊みたいなもんだったんだが。

「本当に幽霊だったんです」

「……えっ?」

「翌日知った事ですけど、数時間前……夕方に、病室の『月宮さん』は息を引き取っていたんです。

実際、あの時の あゆさんは、体が透き通ってて、SF映画に出てくる立体映像みたいで。

ですから私、最初は あゆさんと一緒に、あの世に連れて行かれるかと思ったんですよ」

…………。

そこから先は、「名雪の世界」で、事故に遭った秋子さんと あゆとの やり取りと、ほとんど同じだった。

違うのは、栞が あゆの真実を知った後、あゆの申し出をあっさりと受け入れたこと。

そして――栞の語りに、あの日の秋子さんのような悲壮感が、まるで感じられないこと。

「祐一さん、『どうして、そんなことを笑って話せるんだ?』って顔してますね」

「あ、いや……」

俺の心の変化を、栞は見抜いていた。

「確かに、人の死は悲しい事です。でも、それが不幸だとは限りません」

「…………?」

意味が、分からなかった。

「今、祐一さんは私と一緒になれて、幸せですか?」

「そ、そりゃ、もちろん」

「私もそうです。こうして祐一さんと一緒になることが出来て、私は幸せです」
そのあと、栞は確信を込めて、こう言った。
「そして、あゆさんも同じように、今は天国でご両親と一緒に、幸せに暮らしているんですよ」

「…………」

「死に臨むのは怖い事です。でも、それだけなら『死ぬのは嫌』なんて私は言いません。

私が嫌だったのは、ただ、独りぼっちになること。

一緒になれた祐一さんと、そして大好きなお姉ちゃんと、この世とあの世に引き裂かれて、離れ離れになること」
そして、栞はため息をついて、こう続けた。
「だから、もし祐一さんと出会うことなく、お姉ちゃんと仲直りできないままだったら――本当はこんなことを言っちゃいけないんですけど――私にとっては、むしろ死んで病気の苦しみから解放された方が、幸せだったのかも知れません」

「…………」

俺は反論の言葉を思い浮かべることも出来ず、ただ栞の言葉に無言でうなずくしかなかった。

なぜなら、それを否定することは、自分が助かる可能性を栞に譲り、自らは死を選んだ あゆが不幸だと決め付けることになるから。

死は、この世に残された者にとっては悲しい事。

でも、死んだ本人にとっては、必ずしもそうではない。

それは、死を現実に目の前にし、そして一度は自らの死を受け入れた栞だからこそ言える言葉、なのかも知れない。

「そういえば……」

俺がいろいろと思い巡らしていた時、ふと、栞がそう呟いた。

「……ん?」

「私が人形を受け取って、あゆさんが私の前から去ろうとした時でした。

あゆさん、妙な事を言い残したんです――」

『ごめんなさい。何か、まるで私が あゆさんから、祐一さんを奪い取ったみたいで』

あゆさんだって、もうこれからは独りじゃない。それは分かっている。でも……。

『ううん。栞ちゃんを選んだのは祐一君なんだし、ボクもそれで良かったと思ってるよ』

『でも、あゆさんだって、祐一さんのこと……』

あゆさんだって、祐一さんが好きだったはず。

その想いだけで、不安定な状態のまま、今日まで生きてこられたはず。

『ボクは祐一君と再会できた。それだけで、ボクには充分だから』

そして、あゆさんは最後に、満面の笑みを浮かべながら、私にこう告げた。

『それに、ボクが祐一君と結ばれる未来も、別にちゃんとあるから』

「――あれって、一体どういう……祐一さん?」

「…………」

あゆ……お前、まさか……!


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あとがき

ううっ……申し訳ありません。

前回UPから、3カ月もかかってしまいました。

でもって、更に申し訳ないことに。

SS一覧の「ただ今執筆中……」の欄をご覧になった方はお気付きでしょうけど、実はもう一つ、Studio e.go!系SSの連載企画もいよいよ立ち上がる関係上、次回がいつになるか全く予測が付きません。

それでもお付き合いしてくださるのでしたら、どうか気長にお待ち頂ければ幸いです。


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