Kanon五重奏
―第12話―

Verkita de MooLing


あゆの世界の9月4日。

今日は土曜日なので、授業は午前中しかない。

授業が終わった午後、俺は いつものように学校から病院へ直行し、あゆのリハビリに付き合った。

「うんしょ、うんしょ……」

いつものように、ただ ひたすらに歩行運動器のローラーをこぐ、あゆの姿。

それを傍らで見守る俺の心を、“昨日”の秋子さんの告白が何度もよぎる――。

『私には、もう あゆちゃんの訴えを拒むことは出来ませんでした。そんなことをすれば、あゆちゃんを余計に悲しませるだけだと、分かってしまいましたから』

「……なあ、あゆ」

俺の口から、ついそんな言葉が出た。

「何、祐一君?」

ローラーを止めて、返事を返す あゆ。

「……いや、何でもない」

自分が発した台詞に、俺自身が思わず苦笑した。

「名雪の世界の あゆ」のことを、「あゆの世界の あゆ」に聞いてもしょうがない。

「…………? 変な祐一君」

「俺が変なのは、7年前からだ」

「うぐぅ、自分で言う事じゃないよ」

リハビリに付き合ったあとの、病院からの帰り道。

俺はふと、この街の商店街に立ち寄った。

何か目的があったというわけではない。ただ何となく、そこへ行ってみたい気分になっただけだ。

今の時期は、どこの街にもありそうな風景だが、冬ともなれば、降り積もる雪で化粧され、この街ならでは雰囲気を醸し出す、この商店街。

そして、ここは不思議と、どの世界の“俺”にも縁のある場所だ。

あゆが元気一杯に走り抜けた、石畳の道。

名雪に何度もイチゴサンデーをおごった、喫茶店『百花屋』。

舞への差し入れに、牛丼弁当や みたらし団子などを買ったコンビニ。

栞がモグラ相手に悪戦苦闘した、ゲームセンター。

そして……。

俺は、そのゲームセンターの脇にあるプリント機に、目を留めた。

あの冬の時期、真琴がじっと遠くから眺めて突っ立っていた、あのプリント機。

「真琴の世界」であれば、そこは真琴が俺や水瀬家に「家族」として迎えられたことを象徴する場所だ。

しかし、他の世界――例えば、この「あゆの世界」では、プリント機で撮られた写真に写っているのは、いつも真琴一人。

この人間世界に自分の居場所がない、ただ自らの孤独を確認するだけの場所でしかない。

そのことを思い巡らしていた俺は、なぜか、しかし自然と――ものみの丘へと足を進めていた。

我ながら無駄な事をやっていると思う。今更あの丘――妖狐たちの住む場所へ行ったところで、何かが変わるわけでもないのに。

そう自覚しつつも、俺の体は、丘へと向かっていた。

商店街を抜け、坂道になった住宅街を抜ける。

やがて閑散とした山沿いの道路から、木々の茂る脇道へと折れ、うっそうとした山に踏み入る。

そして俺は、林道のような小道をしばらく登って行く。

このまま進めば、やがて視界が開けてくる。その開けた先が、ものみの丘だ。

……その、はずだった。

もう随分と歩いたはずなのに、視界がちっとも開けてこない。

それどころか、気が付くと、小道は下りに入っていた。

木々の合間から、かすかに隣町の様子が見える。

どうやら、いつの間にか、丘を通り抜けてしまったらしい。

道を間違えたのだろうか?

まさか。確かに「あゆの世界」に住む俺自身は初めて歩く道だが、「真琴の世界の俺」にとっては通い慣れた道である。そして、その記憶通りに、この俺は歩を進めたはずだ。

何かがおかしい――。

そう思った俺は反転し、歩いて来た道を一旦そのまま引き返した。

やがて、元の商店街まで無事にたどり着いた。やはり、道は間違っていない。

そして俺は、あの丘へ体を向き直し、改めて歩き始めた。

その時だった。

「無駄よ」

そう言って、俺を呼び止める声が、背後から聞こえた。

立ち止まって振り返ると、見知らぬ女の子が一人、腕組みをしたまま道の真ん中に立っているのが見えた。

服装は、どこかの学校の制服とおぼしき紺のブレザー。

少し茶色がかった、ツインテールの髪。

背丈は栞と名雪の間くらい。一見すると高校生のようだが、どこか大人びても見える。

そして――明らかに強い意志を込めて俺をにらみ付ける、鋭い眼差し。

「あなたも知ってる通り、ものみの丘は妖狐たちの聖地よ。だから、無関係の人が誤って入って来ることのないよう、結界が張られているわ」

普通なら「なぜ、あんたがそんなことを知っている?」と疑問を感じるところだろう。しかし、実際には聞くまでもなかった。

こうして見合ってる間も、彼女は、真琴のそれに似た独特のオーラを、全く隠していない。

恐らく妖狐と関わった者にしか分からないだろうが、そのオーラの存在が、彼女の正体を何よりも明らかにしてくれている。

あの時――もちろん「真琴の世界」での事だが――、天野が真琴の正体を一目で見抜いた訳を、今の俺は実感していた。

「随分と事情に詳しいじゃないか。

でも、いいのか? こんな通行人だらけの場所で、そこまで喋って」

「当然、結界は張ってるわ。私達の姿や言葉に対し、他の人たちが何も感じないようにね」
そう言って、彼女はようやく組んでいた腕を解いた。
「で、そういうあなたも、私が何者か、聞かないのね」

「見え見えだからな。でも、一応確認する。

あんたは、俺が何者で、今の俺がどういう特殊な状況にあるか、知ってるんだな?」

「特殊な状況って、“五つの世界”のことかしら?」

予想通りとはいえ、なんとまあ、見事にピンポイントで突いてくる奴だ。

「そこまで知ってるなら、話は早い。

確かに、この世界の俺は、真琴と結ばれなかった。そういう意味では、俺は妖狐――つまり、あんた達とは“無関係”と言われても仕方がない。

でもな、その“無関係”の俺だって8年前、その丘で1匹の小狐を拾った。矛盾してないか?」

8年前のあの日。当時の俺が、なぜあの丘までやって来たのかは、覚えていない。

しかし、あの丘で1匹の小狐――のちに真琴となる子供の妖狐を助け、それから半年後、その小狐を同じ丘で放した。それは紛れもない事実だ。

「その時点では、あなたが あの子と結ばれる可能性があったからよ。正確には、今年の1月――あの冬の時点まではね。この意味、分かるかしら?」

彼女は問いかける。つまり、それは俺が真琴を選ばずに……。

「あゆを選んだから……か?」

「そういうこと。あなたは結局、7年前に出会った、あの たい焼き好きの女の子の方を選んだ。その時点で、あなたと あの子との関係――ひいては あなたと妖狐との関係も絶たれたのよ。少なくとも、“この世界”ではね」

それは分かる。しかし、まだ疑問が残る。

「だったら、天野はどうなるんだ? あいつ、こないだも真琴と丘にピクニックに行ったはずだが」

俺が真琴を選ばなかったことで関係が絶たれたのなら、天野だって状況は同じはずだ。

「それは、あなたの言う“真琴の世界”での話でしょ?

確かに、彼女は一度は再会を諦めてしまって、絆は切れてしまったから、その時に丘への道は一旦は封じられたわ。

けど、あなた達に出会ったことで彼女も変わり、絆が戻ったのよ。だから、今は彼女も丘に行ける。

このまま待ち続けることが出来れば、いずれは彼女も再会を果たせるでしょうね」

「すると、“こっち”では……」

「今のあなたと同じよ。絆が切れたままだから。納得?」

「納得……するしかないようだな」

俺はうつむき、そう呟いた。

しかし この時、俺の心の奥深くから、もう一つの疑問が湧き上がった。

そもそも、彼女はなぜ俺の前に現れ、そんな話をするのか。

俺を止めることだけが目的なら、丘の結界のことだけを話して、そのまま立ち去ればいいはずだ。

それに――いくら彼女が妖狐でも、俺や真琴はともかく、全く関係のない あゆのことまで知っているのは不自然に過ぎる。

「あんた……一体何者な――!」

そう言いかけて目を上げると、既に彼女は俺の前から姿を消していた。

始めから、そこに何もいなかったかのように。

そして、俺に降って湧いた疑問を見透かしたかのように。

呆然と立ち尽くす俺の横を、何事もなかったかのように、通行人が一人、また一人とすれ違って行った。


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あとがき

長らくお待たせ致しました!

本当はそのまま「お蔵入り」のつもりでしたが、ファンのご要望にお応えして、『Kanon五重奏』、実に2年11カ月ぶりの連載再開です。

ところで、前回の予告では第12話は「栞の話」のはずでしたが、これは次回以降に繰り延べします。

実は、連載再開に当たってストーリーを再構築したところ、元々の想定よりかなり短くなったのはいいのですが、オリキャラの“彼女”を早く登場させないと展開上まずい事態になり、こういうことになりました。

どうか1秒で了承してください。

その“彼女”ですが、モデルは『Sister Princess』の咲耶そのまんまです(笑)。

ですから、「某妹ゲーの長女そっくりの女の子」と一言で言えれば楽だったのですが、この話の時点(2000年9月)ではシスプリは『電撃G'sマガジン』の誌上企画だけの存在です(PS版が出る前)。祐一が『電撃――』の愛読者で――というのは話が出来すぎなので、仕方なく ああいう描写になりました。

さて、“彼女”の正体。皆様はお気付きになられましたでしょうか? ちなみに、“天野妖狐”ではありません。

ヒント――名前だけは既に登場済みです。


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