Kanon五重奏
―第14話―

Verkita de MooLing


「くー……」

ポカ。

「あ……わたし、寝てた?」

「ああ、30秒ほど」

「そっか……くー……」

ポカ。

「寝るな」

「うー……」

――これだけで、読者の皆さんには登場人物とシチュエーションが概ね察しが付いていることと思う。

その登場人物の一人が言うのも何だが、これって凄い事じゃなかろうか。

名雪の世界の、9月6日(月曜日)。時刻は、午後9時をちょっと回ったところ。

リビングのソファーに並んで座っている、パジャマ姿の名雪と俺。

目の前のテレビには、今、高校生の間で大人気のテレビドラマが放映されている。

案の定、栞も大好きで毎週見ているらしいが、それは別の世界での話なので今はそれ以上は触れない。

『もしわたしが寝たら、祐一が起こしてね』

『“もし”も何も、絶対に寝るだろ』

『……ひどいよ、祐一』

『否定はしないんだな』

『うー……』

俺自身は余りこの手のドラマには興味がないのだが、名雪に頼まれて、仕方なく こうして付き合っている。

無理に起きてまで直に放送を見なくても、ビデオに録って、明日学校から帰って来てからゆっくり見ればいいじゃないかと俺は思うのだが、名雪に言わせれば、『1日遅れると、みんなの話に付いていけなくなるから』ということらしい。

そういうことを気にする辺り、名雪もやっぱり女の子なんだなと思わないでもない。

しかし、いつもの名雪であれば、とっくに夢の中にいる時間に起きてテレビを見るというのは、さすがに無謀に過ぎた。

「くー……」

ほら、また寝てる。

俺はまた「ポカ」と、名雪の後頭部に軽くチョップを繰り出す。

「あ……」

ちなみに、これで5回目である。

放送開始から、25分経過。

「くー……」

ポカ。

「くー……」

もう一丁、ポカ。

「くー……」

「…………」

さすが名雪だ。もうチョップぐらいでは起きなくなっている。

作戦その1「後頭部にチョップ」が通じないのであれば、仕方がない。

俺はソファーから立ち上がり、名雪の背後に回ると、用意していた「作戦その2」を実行に移した。

むに。

「う……ん?」

「ほれほれ」

むにむに。

「うにゅ……って、わ!」

「お、さすがに起きたか」

「『起きたか』じゃないよ。祐一、どこ触ってんだよ」

「名雪の胸」

これぞ作戦その2、「両手で名雪の胸をもむ」。

いやまあ、もちろんパジャマの上からだが。

「……えっち」

ふっ、そんな寝惚け眼で にらまれたって、全然怖くはないぞ。

「胸をもまれたくなかったら、ちゃんと起きる」

名雪の胸を掴んだまま、俺は反論する。

「うー……」

それを言われると、さすがに名雪も弱い。仕方なく、視線をテレビに戻す。

それを見て、俺は胸から手を離そうと――。

「くー……」

――って、もう寝てる!

むにむにむに。

「うー……やめてよ、祐一」

心なしか、名雪の台詞に色っぽさが感じられるような。

「今度寝たら、次は直に行くぞ」

「うー……」

…………。

「すー……すー……」

結局、作戦その2の効果は、10分と持たなかった。

いや、むしろ逆効果だったか。名雪の奴、胸を触っているのが俺だと分かると、かえって安心して熟睡しちまいやがった。

そういうことなら、かくなる上は――。

…………。

「ふわあ……ドラマ、終わっちゃったね」

「はあ……はあ……」

あれからとうとう、名雪はエンディングのテロップが流れるまで起きなかった。何て奴だ。

名雪は大あくびをしながら、何事もなかったかのようにパジャマの乱れを直している。

放送中、ずっと名雪の体をいじくり回してた俺の方が、へとへとの状態である。そして俺の右手は“謎の液体”でべしょべしょ。

我ながら、よく一線を越えなかったものだと感心する。

「祐一が触ってくるから、ドラマに集中できなかったよ」

……それ、絶対に違う。

「どうせビデオに録ってんだから、明日ゆっくり見ろ」

念のために、ビデオを起動させておいて正解だった。

全く、どうせこうなるんだから、普通に寝てれば良かったんだ。

「祐一、他の女の子にも、こんなことしてないよね?」

パジャマの乱れを直した名雪が、突然こう切り出した。

「何だ、こんなことって?」

「えっちな事」

ぎく。

栞、真琴、舞……つい思い出してしまう、彼女達の生まれたままの姿。

――って、違うだろっ!

「そ、そんなことないぞ。俺は、名雪一筋だからな」

う、嘘じゃないぞ。この世界では

「あゆちゃん……」

ぎくぎく。

そう。あゆは振る舞いは小学生っぽいくせして、意外に体付きは年相応で……。

――って、だから、それは違う世界の話だって!

「いや、だから あゆは、ただの悪友だって。それに、あゆはもう――」

「『もう』……何?」

――ああ、何て無慈悲な突っ込み。

しかし、言えるわけがない。この世界では、あゆは もう この世には いないなんて。

「い、いや、だから、あゆはもう自分の街に帰っちゃったから。ほら、あゆが言ってただろ、捜し物してるって。それが見付かったから」

うん。嘘は言ってない。事実、この世界では あゆはそう言って、俺と最後のお別れをしたんだ。

天使の人形だよね、捜し物って」

……え?

「名雪……どうしてそれを……」

しかし、名雪はそれには答えず、真剣な眼差しでこう言葉を続けた。

「祐一、本当はもう思い出してるんでしょ? 7年前の事」

「名雪……」

否定できなかった。俺は確かに“思い出して”いるから。

「7年前に、木から転落して……。

あの冬、祐一がこの街に帰って来ると同時に、あゆちゃんも帰って来て……。

そして、捜し物を見付けて……。

そして、それを使って、お母さんを助けて……」

俺は、やっと理解した。

秋子さん、名雪にも話したんですね。

事故に遭い、あの世に旅立とうとしていた自分を止めに現れた、あゆのことを――。

「それを使えば、自分が助かることも……長い夢から覚めることも分かっていたのに……。

なのに、あゆちゃんは……」

そう。

秋子さんを、名雪を、そして俺を救うために、あゆは――。

「あゆちゃんだって、祐一のこと、好きだったのに。

あゆちゃんは、祐一のこと、ずっと待っていたのに。

わたしは、7年前に振られてから、祐一のこと、完全に諦めてたのに。

なのに、あゆちゃんは祐一をわたしに譲って……」

「待て、名雪」

それは違う。

「馬鹿だよ、あゆちゃん……」

「名雪!」

「祐一……」

「――落ち着いたか、名雪?」

「うん。ごめんね」

ひとしきり泣きじゃくった後、名雪はやっと落ち着きを取り戻した。

「名雪は全然悪くない。第一、それを言ったら、あゆを選ばずに名雪を選んだ俺の方が遥かに悪い」

「え……」

「あいつは7年も俺を待ってくれてたんだ。なのに、やっと再会できたと思ったら、俺はあゆを捨てて、いとこに走った。ひどいよなあ、俺って」

「祐一、そんなこと……」

俺は、「ふう」と息をついて、名雪に顔を向けた。

「そういうことだ。俺は一人の女の子しか選ぶことは出来ない。そして、俺は名雪を選んだ。それだけだ。

選ばれた側が、そのことで気を病む必要はない」

「それは……そうなんだけど」

「それに、名雪がそんなんじゃ、黙って身を引いた天国の あゆの立場がない」

「あ……」

「あゆは、自分の意思で秋子さんを助け、自分の意思でこの世を去ったんだ。

だから、本当に俺達があゆのためを思うんなら、出来る事はただ一つだ。分かるだろ?」

「うん……そうだね」

今の俺達が、あゆにために出来る事。

それは、結ばれた俺達が幸せになること。

それが、俺達があゆにしてやれる、唯一の事。

そして、俺は知っている。

名雪が選ばれた世界がここにあるように、あゆが選ばれた世界が他にあることを。

『それに、ボクが祐一君と結ばれる未来も、別にちゃんとあるから』

そう栞に言い残した、あゆの言葉。

それはつまり、あゆも――。

『朝~、朝だよ~。朝ご飯食べて学校行くよ~』

カチッ。

起き上がると俺は、名雪の部屋の目覚まし軍団が行動を開始する前に、急いで食卓へと下りて行った。

「ふわあ……」

そして、俺がトーストに口を付けていた頃、ようやく名雪が大あくびで食卓に入って来た。

この時刻なら、どうやら今日は学校まで走らなくて済みそうだ。

「祐一、昨日はありがとうね」

「ああ、気にすんな」

俺はコーヒーカップを手に、生返事を返した。

「どうしたんですか、祐一さん」

「いえ、こちらの話です」

秋子さんの疑問にも、適当に言葉を返す。まさかリビングで、名雪といちゃいちゃ(?)してましたなんて、言えるもんか。

登校の途上、俺はある決心をしていた。

“今日”は、うまい具合に「あゆの世界」。

そして今日も、授業が終わったら病院に行く。その時に、あゆに直接確認しよう。

あゆに遠回しな言い方は通用しない。はっきりと、あゆに「俺の確信」をぶつけてやるまでだ。


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あとがき

当初は、前回の第13話から直接あゆ話へ進む予定でしたが、ちょっと寄り道してしまいました。

といっても、単なる いちゃいちゃ話ではなく、重大な伏線が隠されているのですが(笑)。

次こそ、あゆ話。いよいよ、物語の核心へと進んでいきます。


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