Kanon五重奏
―第10話―

Verkita de MooLing


舞の世界の9月4日。

「ほらーっ、舞、きりんさんですよー」

「……きりんさん」

1日の約束通り、俺たち3人は今、いつもの動物園に来ている。

しかし、童心に帰って――いや、舞は元々童心のままか――はしゃいでいる舞と佐祐理さんと違って、俺の心は どうしても晴れなかった。

理由は分かっている。

ずっと心の奥底に残り、俺の中から消えることのない、あの言葉のせいだ。

あの日、あゆが思わず口にした、あの言葉――。

『だって祐一君、もうボク、最後の願い、使っちゃったし……』

俺は、心の中で あゆに問いかける。

――それじゃ、もし最後の願いをまだ使ってなかったら、どうするつもりだったんだ?

そして もう一つ。以前夢に出た、あゆとの別れの記憶。

この二つの事柄から導き出される、大きな事実。

俺は、それを確かめないわけには、いかなかった。

そして“翌日”――同じ9月4日。そしてここは、うまい具合に名雪の世界。

俺は、その決意を実行に移した。

午後も部活がある名雪を学校に残し、一足先に帰宅した俺は、秋子さんが作った昼食を腹に収めた。

「ごちそうさま」

「あら、祐一さん、それだけでいいんですか?」

「ええ。腹八分目といいますし」

「そうですか」

そう言って、秋子さんは いつものように笑顔を見せる。

「ところで、秋子さん」

「はい、何ですか、祐一さん?」

俺は、ずっと用意していた質問を、秋子さんに ぶつけた。

「――あゆのこと、覚えていますか?」

「…………!」

秋子さんの表情から、笑顔が消えた。そして、俺の質問には直接答えず、
「……そうですね。やはりあのことを、祐一さんに話さないわけにはいかないでしょうね」

さすがは「1秒了承」の秋子さん、というべきか。

たった一言で、俺が何を言わんとしたかを即座に理解した秋子さんは、
「――祐一さん、一緒に来て欲しい所があるんですけど、よろしいですか?」
と聞かれたので、俺も直ちに承諾した。

そして、神業の如き素早さで身支度を整えた秋子さんは、俺と共に、街の外れにある目的地へと向かった。

覚悟はしていた。

いや、今の俺が抱えている「五つの記憶」を比較検証すれば、誰でも容易に推察できた事だ。

あゆに限らない。栞にしろ、真琴にしろ、そして、恐らくは舞にしても。

しかし今、改めて、この公営墓地の中に ぽつんと置かれた、目立たないほど小さな墓石――月宮あゆが眠る場所を前にした俺は、ただ一言、
「あゆ……どうして……」
と、誰に聞かせるでもなく、そう呟く他なかった。

やがて秋子さんは、道中で立ち寄った花屋で買った花一束を墓前に手向けると、俺の方へ向き直して、それまで ずっと伏せてきた真実を語り始めた――。

「あの日――イチゴのショートケーキを提げた帰り道、突然猛スピードで迫って来た自動車に、かわす間もなく跳ね飛ばされた私は、気が付くと、真っ白い空間に一人、ぽつんと立っていました。

ただ広く、ただ白く、何もない、そんな空間。

あるのは ただ、私自身と、先ほどから私を呼んでいる、遠くに見える光。

そして、光とは反対の方角の遠くに見える、名雪と祐一さんの姿だけ。

私のことで悲しみに押し潰されている名雪と、そんな名雪を慰めようとして果たせない祐一さんの幻影でした。

思わず、私は二人の元へ駆け寄ろうとしました。

でも、私がどれほど近寄ろうとしても、その姿は私をあざ笑うかのように、いよいよ遠ざかって行くばかりでした。

私のせいで二人が悲しみに沈んでいるのに、私はその二人に対して、手を差し伸べることすら出来ない。

私は、思い知らされました。

早くに夫を失い、身一つで名雪を育ててきた私でさえ、名雪と離れ離れにならなければならない時が来るということに。

そして、今まさに、その時が来ようとしているという、厳粛な事実に。

今の私に出来る事は、ただ、名雪と祐一さんのために、ひたすら願うことだけでした。

二人が、悲しみから立ち直ってくれるようにと。

二人が、支え合って幸せな人生を歩んでくれるようにと。

誰に対して願っているのかは、私にも分かりません。

ただ、私は願いました。この願いを聞き、そして、この願いを実現させてくれる何者かがいてくれると信じて、ただひたすらに――。

そして、私の願いが届いたのでしょうか。

駅前のベンチで抱擁を交わす、雪まみれの名雪と祐一さんの姿を見て、私はやっと安堵(あんど)することが出来ました。

そして私は、そんな二人の姿を見届けると、後ろへ振り返り、遥か向こうで輝く光を確認しました。

この白い空間に入った時から、ずっと私を呼んでいた、あの光。

私は、なぜか確信していました。

その光の向こうには、死の世界があることを。

そして、そこに たどり着いたが最後、もう二度と元の世界には戻れないことを。

でも、私にためらいはありませんでした。

もう二人とも、私がいなくても充分にやっていけると信じてましたから。

そして私は、その光の方向へ、歩を進めようとしました。

その時でした。

『――行っちゃ駄目!』

突然左から、そう大声で呼びかけるのを聞いた私は、立ち止まって、その声のした方向へ体を向けました。

『駄目だよ、秋子さん、そっちへ行っちゃ……』

そこにいたのは、この1カ月の間に何度も見かけた、ダッフルコートに羽付きリュックを背負った あゆちゃんの姿でした――」


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あとがき

秋子さんの独白は まだまだ続くのですが、UPの間隔がかなり空いてることですし、一旦ここで切ります。

秋子さんの自動車事故という試練を乗り越えたことで、名雪と秋子さんは確かに親離れ・子離れを果たしました。それ故か、もう名雪には秋子さんは必要ない。最後に秋子さんが助かるのは蛇足だとする考察がありますが、そうでしょうか?

確かに、秋子さんが あのまま助からなかったとしても、名雪と祐一は支え合って生きていくでしょう。しかし、まだ若い名雪・祐一は、秋子という存在を違う意味で必要としていることは明らかです。だからこそ、そのことに気付いていた あゆは――。

次回は、そんな話です。

※2002-01-13追記――肝心な描写を書き忘れていたので、修正しました。


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