舞の世界の9月4日。
「ほらーっ、舞、きりんさんですよー」
「……きりんさん」
1日の約束通り、俺たち3人は今、いつもの動物園に来ている。
しかし、童心に帰って――いや、舞は元々童心のままか――はしゃいでいる舞と佐祐理さんと違って、俺の心は どうしても晴れなかった。
理由は分かっている。
ずっと心の奥底に残り、俺の中から消えることのない、あの言葉のせいだ。
あの日、あゆが思わず口にした、あの言葉――。
『だって祐一君、もうボク、最後の願い、使っちゃったし……』
俺は、心の中で あゆに問いかける。
――それじゃ、もし最後の願いをまだ使ってなかったら、どうするつもりだったんだ?
そして もう一つ。以前夢に出た、あゆとの別れの記憶。
この二つの事柄から導き出される、大きな事実。
俺は、それを確かめないわけには、いかなかった。
*
そして“翌日”――同じ9月4日。そしてここは、うまい具合に名雪の世界。
俺は、その決意を実行に移した。
*
午後も部活がある名雪を学校に残し、一足先に帰宅した俺は、秋子さんが作った昼食を腹に収めた。
「ごちそうさま」
「あら、祐一さん、それだけでいいんですか?」
「ええ。腹八分目といいますし」
「そうですか」
そう言って、秋子さんは いつものように笑顔を見せる。
「ところで、秋子さん」
「はい、何ですか、祐一さん?」
俺は、ずっと用意していた質問を、秋子さんに ぶつけた。
「――あゆのこと、覚えていますか?」
「…………!」
秋子さんの表情から、笑顔が消えた。そして、俺の質問には直接答えず、
「……そうですね。やはりあのことを、祐一さんに話さないわけにはいかないでしょうね」
さすがは「1秒了承」の秋子さん、というべきか。
たった一言で、俺が何を言わんとしたかを即座に理解した秋子さんは、
「――祐一さん、一緒に来て欲しい所があるんですけど、よろしいですか?」
と聞かれたので、俺も直ちに承諾した。
そして、神業の如き素早さで身支度を整えた秋子さんは、俺と共に、街の外れにある目的地へと向かった。
*
覚悟はしていた。
いや、今の俺が抱えている「五つの記憶」を比較検証すれば、誰でも容易に推察できた事だ。
あゆに限らない。栞にしろ、真琴にしろ、そして、恐らくは舞にしても。
しかし今、改めて、この公営墓地の中に ぽつんと置かれた、目立たないほど小さな墓石――月宮あゆが眠る場所を前にした俺は、ただ一言、
「あゆ……どうして……」
と、誰に聞かせるでもなく、そう呟く他なかった。
やがて秋子さんは、道中で立ち寄った花屋で買った花一束を墓前に手向けると、俺の方へ向き直して、それまで ずっと伏せてきた真実を語り始めた――。
*
「あの日――イチゴのショートケーキを提げた帰り道、突然猛スピードで迫って来た自動車に、かわす間もなく跳ね飛ばされた私は、気が付くと、真っ白い空間に一人、ぽつんと立っていました。
ただ広く、ただ白く、何もない、そんな空間。
あるのは ただ、私自身と、先ほどから私を呼んでいる、遠くに見える光。
そして、光とは反対の方角の遠くに見える、名雪と祐一さんの姿だけ。
私のことで悲しみに押し潰されている名雪と、そんな名雪を慰めようとして果たせない祐一さんの幻影でした。
思わず、私は二人の元へ駆け寄ろうとしました。
でも、私がどれほど近寄ろうとしても、その姿は私をあざ笑うかのように、いよいよ遠ざかって行くばかりでした。
私のせいで二人が悲しみに沈んでいるのに、私はその二人に対して、手を差し伸べることすら出来ない。
私は、思い知らされました。
早くに夫を失い、身一つで名雪を育ててきた私でさえ、名雪と離れ離れにならなければならない時が来るということに。
そして、今まさに、その時が来ようとしているという、厳粛な事実に。
今の私に出来る事は、ただ、名雪と祐一さんのために、ひたすら願うことだけでした。
二人が、悲しみから立ち直ってくれるようにと。
二人が、支え合って幸せな人生を歩んでくれるようにと。
誰に対して願っているのかは、私にも分かりません。
ただ、私は願いました。この願いを聞き、そして、この願いを実現させてくれる何者かがいてくれると信じて、ただひたすらに――。
そして、私の願いが届いたのでしょうか。
駅前のベンチで抱擁を交わす、雪まみれの名雪と祐一さんの姿を見て、私はやっと安堵(あんど)することが出来ました。
そして私は、そんな二人の姿を見届けると、後ろへ振り返り、遥か向こうで輝く光を確認しました。
この白い空間に入った時から、ずっと私を呼んでいた、あの光。
私は、なぜか確信していました。
その光の向こうには、死の世界があることを。
そして、そこに たどり着いたが最後、もう二度と元の世界には戻れないことを。
でも、私にためらいはありませんでした。
もう二人とも、私がいなくても充分にやっていけると信じてましたから。
そして私は、その光の方向へ、歩を進めようとしました。
その時でした。
『――行っちゃ駄目!』
突然左から、そう大声で呼びかけるのを聞いた私は、立ち止まって、その声のした方向へ体を向けました。
『駄目だよ、秋子さん、そっちへ行っちゃ……』
そこにいたのは、この1カ月の間に何度も見かけた、ダッフルコートに羽付きリュックを背負った あゆちゃんの姿でした――」
秋子さんの独白は まだまだ続くのですが、UPの間隔がかなり空いてることですし、一旦ここで切ります。
秋子さんの自動車事故という試練を乗り越えたことで、名雪と秋子さんは確かに親離れ・子離れを果たしました。それ故か、もう名雪には秋子さんは必要ない。最後に秋子さんが助かるのは蛇足だとする考察がありますが、そうでしょうか?
確かに、秋子さんが あのまま助からなかったとしても、名雪と祐一は支え合って生きていくでしょう。しかし、まだ若い名雪・祐一は、秋子という存在を違う意味で必要としていることは明らかです。だからこそ、そのことに気付いていた あゆは――。
次回は、そんな話です。
※2002-01-13追記――肝心な描写を書き忘れていたので、修正しました。