Kanon五重奏
―第9話―

Verkita de MooLing


あゆの世界の9月2日。

学校から走って来た俺は、病院に着くや、一直線にリハビリルームへ向かった。

「うんしょ、うんしょ……」

リハビリルームに入ると、そこでは既に、歩行運動器に乗った あゆが、その手すりを両手でしっかりと握り、懸命にローラーを転がしていた。

「よっ。やってるな、あゆ」

「あっ、祐一君!」

あゆは俺の方へ振り向いた。その表情には、あゆの はじけるような笑顔があった。

「いらっしゃい、相沢さん」

そばに付いていた冬木(ふゆき)さん――ずっと あゆのリハビリを担当している訓練士の青年も、俺にあいさつを交わす。

「どうです、あゆの調子は?」

俺は、冬木さんに聞いた。

「いや、月宮さんの回復ぶりには驚く他ありません。彼女は、いわば成長期の7年をベッドの上で暮らしていたじゃないですか。本当なら、この状態まで もってくるだけでも、やはり最低7年はかかるはずなんです」

「やはり、そういうもんなんですか」

「ええ。それが実際には、1日1日、月宮さんが確実に回復していくのが目に見えて分かるんですよ。見てて気持ちいいくらいです」

「そうなの?……ボク、あんまりよく分からないけど」

再びローラーを転がし出した あゆが、首をひねった。

「冬木さんを信じろって。実際、俺から見ても そう思うぞ」

「うん。祐一君がそう言ってくれるんなら、信じるよ」

この あゆの台詞には、冬木さんも、
「はは……やっぱり彼氏には勝てないか」
と、苦笑いを浮かべるしかなかった。

こうして、俺・あゆ・冬木さんの3人揃ってのリハビリが、今日も始まった。

俺がリハビリに付き合い出してから、1時間ほど過ぎた頃だろうか。

窓の外から、「ピーポーピーポー」と お馴染みのサイレンを鳴らして、救急車が この病院に入って来た。

「何だろう……今の」

あゆが、心配そうに窓を見詰める。

「おいおい、病院に救急車なんて当たり前だろ」

というか、この街で救急病院といえば ここくらいだから、救急車なんて、それこそ引っ切りなしに入って来る。いちいち気にしていたら、それこそ切りがない。

「それはそうなんだけど……」

やがて冬木さんが、
「それじゃ月宮さん、今日はこのくらいにしておきましょう」
と言ったのに合わせて、俺たちはリハビリの後片付けに入った。

それから数分たった頃だろうか。

突然、外の廊下から けたたましい靴音が響いてきた。

靴音は段々と大きくなり、そして、リハビリルームの入口の前で止まる。

そして――聞き覚えのある声。

「祐一っ!」

「名雪……!」

「名雪さん……!」

突然、大声で呼ばれて俺が振り返ると、入口には、はあはあと肩で息をしている名雪が、ひざに手をやって立っていた。

毎日 家から学校まで走って登校して、全然平気な顔をしている名雪だから、こういう姿はかなり珍しい。

「どうしたんだ? わざわざ病院まで、俺に何か――」

そう言いかけた まさにその時、俺の脳裏を、ある不幸な「記憶」がよぎった。

いや、それは俺の記憶ではなく、「名雪の世界の俺」の記憶だ。

「俺」と名雪が結ばれた日から二日後の事。

イチゴのケーキを携え、外を歩いていた秋子さんが、猛スピードを上げた自動車に跳ね飛ばされた、不幸な事故。

そして、その時 秋子さんが運び込まれたのも、世界は違えど、この病院だった。

「ま、まさかな……」

そう呟き、俺は努めて冷静な表情で名雪に対した。

しかし名雪は、ふらふらと俺の元に近付き、そして、
「……祐一っ!」
と、いきなり俺に抱き着いてきた。

「お、おいっ、名雪!」

「わっ、駄目だよ、名雪さん」

あゆも、本当なら すぐにでも運動器を飛び降りて、俺と名雪の間に割って入りたいところだろうが、まだ足を自由に動かせる状態ではないため、運動器の上で「うぐぅ」と悔しがるだけだった。

そんな、一見 痴話喧嘩の如き光景も、次の名雪の台詞で一息に消し飛ぶ。

「お母さんが……お母さんが……」

「秋子さんが……どうしたんだ?」

違うよな……。

いくら何でも、そんなわけは……。

「……自動車に」

…………。

その瞬間、俺の周りだけ、世界が凍り付いた――そんな気がした。

それから、更に1時間後――。

「全く、びっくりさせるなよな、名雪」

「う~っ、だって……だって……」

「ごめんなさいね、心配かけてしまって」

病院のロビーの一角には、俺と名雪、足首に包帯を巻いた秋子さん、そして車椅子に乗った あゆの4人がいた。

結局のところ、何が起こったのかというと――。

名雪と秋子さんが、いつものように夕飯の食材を買いに商店街に向かっていた道中、二人の横を1台の乗用車が猛スピードで突っ込んできたのだ。それで、危険を感じた秋子さんが、とっさに名雪をかばうように抱きかかえながら車をかわし、そのまま地面に倒れ込んだわけだ。

そのため、実際には車は二人に接触することなく、そのまま通り過ぎて行ったのだが、足首に無理な力がかかったせいで、秋子さんは その場で動けなくなってしまったのだ。

で、名雪は、何が起こったのか瞬時に理解できず、ただ秋子さんがしばらく起き上がれなかったため、すっかり気が動転してしまっただけなのだ。

一応、秋子さんは念のため精密検査などを受けたが、足首をねんざした以外には特に外傷等もなく、今、こういて元気に俺たちと喋っている――と、まあ、そういうわけだ。

「良かったね、秋子さん。大した事なくて」

あゆが車椅子の上から、秋子さんに微笑みかけた。

「おい、名雪はともかく、何であゆまでそこまで心配するんだ?」

「だってボク、秋子さん、大好きだもん!」

「そうか……あゆは俺を捨てて、秋子さんに走ったか」

「わ、わっ! そうじゃなくて……。ボクが好きなのは祐一君で、で、名雪さんや秋子さんは……って、あれ? やっぱり好きで……え、えーと……」

「分かってるって。秋子さんには いわば家族愛の“好き”で、俺には恋愛の“好き”だろ?」

「祐一、そういう恥ずかしい事、真顔で言わないで」

あ、名雪が俺をにらんでる。

「そうか?」

…………。

その後、しばらく4人で談笑していたが――。

「わたし、祐一が帰って来るまで、ずっとお母さんと二人きりだったから……」

突然、名雪がそんなことを言った。

「だから、もしお母さんに もしもの事があったら、わたし……」

「名雪……」

俺の脳裏に、「あの日」、部屋に閉じこもってしまった名雪の姿がよぎる。

「分かるよ、名雪さん」

「あゆちゃん……?」

「だって、ボクのお母さんも、随分前にいなくなっちゃったし」

この あゆの言葉には、名雪も
「あ……」
と、声を発するだけだった。

「ボク、名雪さんも秋子さんも大好きだよ。だから、秋子さんは ずっと元気でいて欲しいし、名雪さんにだって、ボクが受けたつらい事を味わって欲しくないよ」

「あゆちゃん……」
と、秋子さん。

「だけど、もし秋子さんに もしもの事があっても、ボクにはもう、何も出来ないから……」

「どういう意味だ、あゆ?」

思わず聞いてしまった俺に対する、あゆの答えは――。

「だって祐一君、もうボク、最後の願い、使っちゃったし……」


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あとがき

この先、どうしよう……(笑)。

最後に どうまとめるか、だけは決めているのですが。


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