Kanon五重奏
―第5話―

Verkita de MooLing


9月1日。

これで、4回目の9月1日。

『朝~、朝だよ~。朝ご飯食べて学校行くよ~』

カチッ。

すっかりお馴染みの、目覚し時計から発せられる名雪の声で、目が覚める。

当然の事ながら、“昨夜”、俺の横で眠っていた真琴の姿は、ここにはない。

俺はベッドから抜け出る前に、昨日、真琴が俺に語った事――事実上、俺は五つのパラレルワールドを巡回している状態にあるという事実について、頭の中で反すうした。

――いや、この言い方は正しくない。

あの日は「昨日」ではない。あくまでも「真琴がいる世界での今日」なのだ。

それに、あの時の「俺」は、正確には「真琴がいる世界に住む俺」であって、今ここにいる俺とは違う存在だ。

ただ、この世界の俺に「真琴の世界の俺」の記憶が引き継がれているので、こうして「真琴の世界の今日」を思い出し、振り返ることが出来るだけのことだ。

だから、今の俺にとっては、真琴はあくまでも、台風のように水瀬家にやって来て、ある日突然姿を消した、自称記憶喪失の女の子でしかない。――少なくとも、感情的には。

しかし、「真琴の世界の俺」の記憶が伝える事実、先の事を根底から覆すに充分な事実を、今の俺は受け入れざるを得ない。

なぜなら、この世界に生きている この俺にも、丘で拾った小狐と共に暮らした8年前の想い出が確かに存在するのだから。

もっとも、その想い出自体、「真琴の世界の俺」の記憶がなければ、今、思い出していたかどうか怪しいものだが。

でも、それは今の俺にはどうでもいい事だ。

他の世界ではどうであれ、この世界の俺が選んだのは、真琴でもなく、名雪でも あゆでもなく、彼女なのだから。

本当なら、春を迎えることなく、その短い一生を終えていても おかしくなかった彼女。

そして、この俺にとっては、一番の女性、最愛の恋人である彼女を。

「そうだよな……栞」

この世界でも、俺は名雪と共に登校し、始業式に出る。

その始業式が終わり、教室に戻った後の事だ。

「相沢君、校長先生の話なんて、よく覚えてるわね」

俺が始業式での校長の話の内容を復唱してみせたことに、香里は呆れていた。

「ふっ、俺は記憶力だけは確かだからな」

同じ内容を4度も聞かされれば、誰だって いい加減覚えてしまうだろうが、そのことは伏せておく。どうせ誰も信じやしまい。

「その割には、7年前の事、全然覚えてないんだよね、祐一」

「うっ……」

名雪、こういう時に痛いところを突かないでくれ。

「……まあ、その、何だ、俺にはいくら覚えても、12時間で綺麗さっぱり忘れる特技があるから」

「それじゃ意味ないじゃない」

案の定、香里に笑顔で突っ込まれた。

しかし名雪は違った。思い詰めたような視線で、俺を見上げながら、
「祐一、本当に思い出せないの……?」

「…………」

俺は、何も答えられなかった。

名雪のいう「7年前の事」。それが何を指しているか、「名雪の世界の俺」の記憶を持つ俺には本当は分かっている。

それだけに、名雪の心情を想うとかなりつらいものがあるが、それは今の俺――「栞の世界の俺」が知っているはずのない事だから、こう言ってごまかすしかなかった。

「……ああ。悪いが」

「いいよ……。わたし、ずっと待ってるから。それに……」

「…………?」

「今の祐一にとっては、思い出さない方がいいかも知れないし」

「…………」

なぜだろう。今日の名雪はかなり鋭かった。

ホームルームも終わり、ほとんど空っぽのカバンを片手に教室を出ようとした時だった。

「祐一さん!」

まさにそのタイミングを見計らったかのように、栞が教室に飛び込んできた。

病を乗り越え、学校に完全復帰した頃は、遠慮がちに廊下で待っていた栞だったが、最近は俺と栞との関係は このクラスでは知れ渡っていることもあり、平気で教室に入って来て……一直線で俺に抱き付いてくるんだよなあ、これが。

「お、おい、栞」

「夏休み……本当に長かった、祐一さんと会えない日々……」

「あ、あのー……」

「そんなつらい日々がやっと終わりを告げ、これでまた、祐一さんと一緒に勉強できるんですね……」

栞は、完璧に自分の世界に入り込んでいた。

「夏休み中も学校に来て、中庭でバニラアイスを食べてたのは、どこの誰だったかな? それも、俺の補習の日程に合わせて」

ちなみに、ここでいう補習とは、進学予定者を対象にした夏季特別補習のことだ。

「そんなこと言う人、嫌いです」

一気に現実に引き戻された栞が、頬を膨らませて いつもの言葉を言った。

「で、今日はどこへ遊びに行く?」

「いきなり話を変えないで下さい」

「相変わらず熱いわね、二人とも」
と、香里がため息をつきながら言った。

「そう見えるか?」

「本当に似合いのカップルだね、祐一」
と、これは名雪。

「そんな……恥ずかしいです」

「そう思うなら、俺から離れてくれないか」

「あ……わっ!」

周りの視線に気付き、栞は飛び跳ねるように俺から離れた。

どうやら、自分と俺との仲を姉に見せ付けに来た――のではなく、本当に周りが見えてなかったらしい。

「で……マジな話、今日はこれからどうする?」

「祐一さん、今日は一緒に映画を見に行く約束ですよ」

栞は、なぜか俺と一緒に映画を見るのが大のお気に入りである。

それにしても……。

「栞……本当に見に行くのか、あれを?」

「はい!」

「……まあ、いいけどな」

「あなた達、ラブラブなのは分かったから、とっとと映画でもどこでも行きなさいよ」

「あっ、お姉ちゃんも一緒に行きませんか?」

「遠慮しておくわ。どう考えても、あたしは お邪魔虫だし」

「俺としては、北川も加えてダブルデートでも別に構わないが」

「相沢君……それ、本気で言ってんの?」

「香里こそ、本当にその気なしなのか?」

「当然。誰があんなのと」

「……そうか。それじゃ、二人寂しく行くか、栞」

「そうですね。それじゃお姉ちゃん、いってきます」

「はいはい」

「いってらっしゃい、祐一」

結局、俺達は名雪と香里を教室に残して、栞と二人で教室を後にした。

ところで、会話には登場しなかったが、俺達の横で、北川が思いっ切り しょげていたことを付け加えておく。

目当ての映画も見終わり、俺と栞は百花屋に来ていた。

映画鑑賞がデートに組み込まれた場合、映画館を出たその足で百花屋へ行くのが、ここ最近のお決まりのコースである。

「祐一さん、良かったですねえ、今日の映画」

栞はクリームパフェ――例のあのジャンボミックスパフェデラックスではない――を口に運びながら、向かい合わせに座った俺に言った。

「ま、まあな……」

俺が言い淀んでいると、栞は不満そうな顔で俺に言い寄った。

「あれっ、祐一さん、ああいうのは嫌いなんですか?」

「いや、そんなことはないぞ」

「顔に出てます」

やはり、栞には ごまかしは通用しなかったようだ。

上映されていた映画は、まあ、どうということはない外国のラブロマンス物だ。

バイト先で運命的出会いをした男子と女子が、喧嘩やすれ違いを繰り返しながら、徐々にと惹かれ合った末に結ばれるという、特にひねりも何もないストーリー。

実力派俳優の競演と銘打つだけのことはあるし、そこそこ見せ場もある。全体的には決して悪くはないのだが、いかんせんストーリーが平凡だったせいか、俺の評価はどうしても辛くなってしまう。

あんな陳腐なのに比べたら、俺と栞が歩んできたラブストーリーの方が、栞の口癖じゃないが、よっぽどドラマチックでかっこいいじゃないか、と思ってしまうのだ。

「いや……別に悪くはないんだが、何かストーリーが平凡でなあ……」

「そうですか? 私は好きですけど、ああいうラブロマンスに」

「どうして?」

「だって、憧れるじゃないですか。ただ一途に、恋だけに生きられる人生なんて」

「俺はもっと波乱万丈な方が好きだな。次々に襲いかかってくる困難を、愛の力で乗り越えて行くって奴。例えば……」

「例えば?」

俺は、栞の目をじっと見ながら言った。

「愛の力で、治るはずのなかった死の病さえ吹き飛ばしてしまう、とか」

「戻るはずのなかった姉妹の絆が再び結ばれるとか、ですか?」

「そういうこと」

「……確かに、波乱万丈ですよね」

「いいじゃないか。ドラマチックで」

すると今度は、栞が俺に問いただす。

「じゃあ、祐一さん、もし生まれ変わったとして、また今の私達みたいなラブストーリーを演じたいと思いますか?」

その栞の真剣な眼差しは、明らかに俺に同意よりも否定を求めたものだった。

「えっ……?」

「私は……もう、あんな思いはしたくありません」

「…………」

「確かに、私がもし病弱でない、普通の女の子だったら、こうして祐一さんとお付き合いする機会もなかったと思います。

でも、私が病気だったせいで、お父さんやお母さん、そしてお姉ちゃん、更には祐一さんにまでつらい思いをさせてしまいました。

そのことを想うと、素直に喜ぶことは出来ません」

人は誰でも、自分にないものに憧れるものだ。

そして、幸せの形なんて様々だ。幾多の困難を乗り越えた末に掴む幸せもあれば、それこそ あの映画のように、大した事件もないまま いつの間にか たどり着いてしまう幸せだってある。

そして俺や栞にとっては、きっと前者の幸せの形がふさわしかったのだ。

栞は、自分が体験しなかった、後者の幸せに憧れを抱いているが、それが本当に栞に合った幸せかどうかは保証の限りではない。

だから俺は、栞に、そして俺自身に今の幸せを確認させるため、こんな話を切り出した。

「栞は、今、幸せか?」

「えっ……?」

「もう一度聞くぞ。栞は、今、幸せか?」

「……はい!」

「俺も幸せだ。そして、恐らくは香里もな」

「お姉ちゃんも……」

「確かに栞の病気がなかったら、誰もそのことで、つらい思いをすることはなかっただろう。でも、それと同時に、それぞれが今のような幸せを掴むこともなかった、とは考えられないかな?」

「はあ……」

「例えばだ。栞に未来を見通す力があったとする。そして、ある選択肢を選べば、自分も周りの人々も幸せになれることが分かってるとしよう。ただし、その道を選べば、その途中でいろいろな困難もあり、一時的ではあるが、自分や周りを傷付けることも覚悟しなければならない。だったら、栞はどうする?」

「……幸せな結末へ至る道は、他にはないんですよね?」

「そうだ」

「そして、その道を選んだ場合、道中の苦難は避けようがないんですね?」

「ああ、どうしてもだ」

「だったら……」

「ん?」

「だったら……私は、その道を選ぶと思います」

「そうだ。そして栞は、実際にその道を選んだんだ」

「あっ……」

「そして俺も、栞と一緒にその道を再び歩くことをためらわない。もし今の人生を最初から やり直せるとしてもだ」

「祐一さん……」

「栞は、どうする? また一から やり直せるとして、また同じ道を選ぶか?」

すると栞は、確信を込めて、こう答えた。

「はい!」

晩飯も食べ、テレビも見て、風呂に入り、俺は自分の部屋のベッドの上にいた。

そして俺は、これまでの“今日”の事を振り返っていた。

真琴は言っていた。今の俺は、五つの世界を渡り歩いているんだと。

そして、それぞれの世界の俺は、それぞれ違う彼女を持っていた。

少なくとも、ここまで渡ってきた四つの世界においては。

残る世界は一つ。

とすると――最後の“俺の彼女”は誰だろう?

あと、俺の周りにいる女の子といえば……。

香里は――今更、北川以外と くっ付くとは思えんし、そもそも栞をほったらかしにして恋愛に走るような性格でもない。(そういえば、この世界では香里と北川は くっ付いてなかったような。何でだろう……?)

天野は――あり得ない。天野と知り合うような展開なら、天野と出会う前に、俺は既に真琴と くっ付いている。

まさか、秋子さん……。あり得なくはないが、まあ、名雪が黙ってないだろう。

「……分からんな」

俺の場合、偶然 街で出会った女の子に惚れても おかしくないからなあ。現に、栞はそんなケースだったし……。

俺はこれ以上考えるのは やめにして、布団をかぶり、ただ最後の“今日”を黙って迎えることにした。

そして、眠りに落ちる寸前――俺はふと、ある女性の存在を思い出した。

「名雪の世界の俺」が夜の校舎で偶然出会い、それから3日間、行動を共にした、先輩の少女のことを――。


第4話へ戻る - 第6話へ続く


あとがき

「香里と北川」について、祐一はまだ気が付いていないようですので、作者が補足します。

第1話で香里が登場した時、違和感を覚えた人はいませんでしたか? 「名雪の世界」では栞は助かりませんから、香里は栞のことを誰にも語らないまま、「悲しい事が多かった」(栞編1/22)この街から姿を消しているはずです。

その香里を救ったのが、実は北川です。というか、祐一や名雪はごまかせても、内心 自分に惚れていた北川の前では隠し切れなかったんでしょうね。結果、香里は悲しみから立ち直り、当然の経緯として、香里と北川は恋仲となっていきます。(で、「栞の世界」では そういうイベントがなかったため、未だに くっ付いていないと……)

とはいえ、香里も北川も栞のことは口をつぐんでいますから、祐一から見れば「香里と北川が突然急接近した」としか感じないはずです。もっとも、「栞の世界」の記憶を背負った今、祐一が「栞の死」に気付くのは時間の問題でしょうが……。(※2002-03-25追記――この段落取り消し。最初から読み返してたら、第1話で「香里の妹の死」について言及されてました。すっかり忘れてた……(^_^;))

次回は舞ですね。これでヒロインが全て出揃います。


SS一覧へ戻る