Kanon五重奏
―第4話―

Verkita de MooLing


「祐一……今、時間空いてる?」

ドアの隙間から俺がいる部屋の中をのぞき込んでいた真琴が、俺に聞いた。

それに対して、
「真琴……悪いけど、今はお前に付き合える状態じゃ――」
と、そう言いかけた時だった。

「いくつもの記憶がぐちゃぐちゃに混ざって、混乱しているから?」

「真琴……!」

そのものズバリを言い当てられた俺は、ベッドから跳び出て、真琴の方へ駆け寄った。

「やっぱりそうなんだ……。真琴も、朝起きてから、何か違和感があると思ったから……」

「違和感って、まさか真琴も……?」

そう聞くと、真琴は首を横に振って、
「ううん、真琴は違う理由。でも、祐一の今の状態と関係あると思う」
と、まるで真琴は、全てを知っているような口ぶりで答えた。

「どういうことだ?」

そう俺が聞くと、真琴は直接それには答えず、こう俺に言った。

「……祐一、一緒に丘まで来て」

「丘って……ものみの丘か?」

「うん。あそこでなら、はっきりした事が言えると思うから」

…………。

それから1時間後。

今、俺と真琴は、ものみの丘の中腹――かつて、俺と真琴が出会い、別れ、結ばれ、そして結婚式を挙げた場所――にいる。

「なあ、真琴……」

しかし、真琴は何も答えない。

ここに着いてから、真琴は俺から離れて立ち、ただじっと空を見上げている。

足元の草が、時折吹く風になびく。

「やっぱり、そうよ」

やがて、真琴はポツリと、そう呟いた。

「えっ……?」

思わず、疑問を口にする俺。

しかし、その真琴の短い声に、俺はある種の違和感を覚え、それ以上は何も言えなかった。

外見は、いつもの真琴と全く変わらない。

ただ……自分でもどう説明すればいいのか よく分からないが、真琴が、我々一般市民は近付くことさえ許されないような、そんな大きな存在のように感じられた。

喩えて言えば、神聖な儀式に臨む神官を前にしたような、そんな感覚。

とても、彼女があの「あぅーっ」な真琴とは、とても思えない。

「間違いない。ここなら人間社会の喧騒にも邪魔されないから、よく分かる」

“人間社会”――真琴は、確かにそう言った。

そして俺は、真琴に感じた違和感の正体を悟った。

今の真琴は、人間であって、人間ではない。

今の真琴は……妖狐。

……いや、そんなことは既に百も承知である。

しかし、俺の知る限り、真琴は妖狐としての記憶を携えて帰って来てからも、あくまで人間として生き、人間社会に溶け込んでいた。

だが、今の真琴は、人間社会から超然とした、人間を超えた存在である。

――そう、俺は本能で感じていた。

「真琴、さっきから何を……?」

それでも俺は、思い切って真琴に問いかけた。

「世界が……曲がっている」

「はあっ……?」

しかし、俺には真琴の答えの意味が理解できず、思わず間の抜けた返事をするしかなかった。

そして、真琴にも俺のそんな心の状態が分かったのだろう。ゆっくりとこちらへ体を向き直すと、俺にこう言った。

「あなたには何も感じられないでしょうし、いくら私が口で説明したところで、何も理解できないと思う。だから……実際に見せてあげる」

普段とは全く違う真琴の口調に(大体、真琴が自分を「私」なんて呼ぶのは、初めて聞いた)戸惑いを隠せない俺の前で、真琴は天を見上げ、叫んだ。

「我が名はエミナ! ものみの丘に生まれし妖狐、族長ホノカの娘!

全知全能の創造主(つくりぬし)よ。この世の真実の姿、我等に示し給え!」

すると突然、俺の目の前から丘の情景が消え失せ、換わって漆黒の闇が俺達を覆った。

音もない、足を地につける感覚さえ失われた、暗黒の世界。

そこにあるのは、俺と真琴、そして――銀色の帯のように見える物が5本。

俺の前方の遥か向こうから、俺の遥か後方へと伸びる、5本の平行な帯。

……いや、違う。

よく見ると、その帯は元々1本で、それが俺の遥か向こうで5本に枝分かれしていた。

その5本の帯が、俺に近付く辺りで急接近し、やがて俺の足元の1点で完全にくっ付き、そして、再び5本に離れて遥か後方へと真っすぐに伸びていた。

やがて、闇の中に、真琴の声が響く。

「――ここは、超次元の世界。

そして、あなたの見える5本の帯のうちの1本が、私達の住む世界で、残りの4本は、それとは少しだけ違う世界。つまりパラレルワールド。

前方から後方へと走る帯は、時の流れ。前方が過去で、後方が未来。

つまり、この5本の帯は、一つの世界が何かの拍子で枝分かれした、五つの世界を表しているの」

「五つの……世界……」

「本当なら、枝分かれした五つの世界は、それぞれの方向へ真っすぐに伸びて行くはず。それが、まるで強力な磁石に吸い寄せられたように、あなたという1点で、五つの世界がねじ曲げられ、そしてくっ付いてしまった。どういう理由でそうなったかは分からないけど」

「くっ付くと……どうなるんだ?」

「くっ付いたといっても、それぞれの世界は依然独立しているから、それぞれの世界の住人には何の影響もないし、私のような人外の種でもない限り、それを自覚することもない。……あなた一人を除けば」

「除けばって……それじゃ俺は……」

「あなたという1点でくっ付いたことにより、本来であればそれぞれの世界で別個に存在しているはずの“あなた”――相沢祐一という存在が、世界の枠を超えて一つになってしまったの」

五つのパラレルワールドの、それぞれの「俺」が、一つになった……。

「しかし、それなら、少なくとも俺から見れば、その五つの世界が混ざり合ってごちゃごちゃになっているはずじゃ……」

確かに記憶は混ざっているが、依然俺は一つの世界しか認識できていない。

現に、俺が好きなのは、名雪でも あゆでもなく、今目の前にいる真琴なわけで……。

「一つになったといっても、五つの世界に同時に存在できるわけじゃないし、それまでの五つの心がごちゃ混ぜになるわけでもない。きっとあなたの視点から見れば、五つの世界を時間単位で順繰りに跳び回って、それぞれの世界の“相沢祐一”を生きているような感じになっているんだと思う。ただ、その時の記憶――その世界の“祐一”が持っていた記憶は、次の世界へ跳んでもそのまま持って行くことになるから、結局記憶は混ざってしまうんだけどね」

時間単位で、世界を順繰りに……。

「その通りだ……」

それなら、全て説明が付く。

今まで気のせいだとばかり思っていた、9月1日という日を何度も経験したような感覚。

しかしそれは、実際にそれぞれの世界における9月1日を順繰りに過ごしてきたんだ。

いや、世界が五つなら、あと2度残っているか……。

いつの間にか、俺達の周りの風景は、元のものみの丘に戻っていた。

「……帰ろう、祐一」

そして真琴も、俺が知っているあの真琴に戻っていた。

「ああ……」

俺達は丘を離れ、帰路に着いた。

とにかく、現状は分かった。

正確な理屈まで把握できたわけではないが、とにかくパラレルワールドというのがあって、俺という人間だけが、1日単位で五つの世界を順繰りに跳び回っているのだということだけは、どうにか理解できた。

真琴も、
「取りあえずは、それだけ分かればいいよ」
と言ってくれた。

しかし――それだけだった。

ただ、今の自分が置かれている現状を、ようやく把握できただけ。

この異常な状態に、終わりはあるのか。

そもそも、元に戻る方法はあるのか――など、肝心なところは何も解決していない。

(これは後日談――。

真琴によると、妖狐社会の伝承によれば、何百年も昔、俺と同じような経験をした男がいたらしい。真琴が一早く、俺の異状に気付いたのも、その伝承のお陰だったそうだ。

しかし、彼は六つの世界を50年ずつ、通算300年生きて天寿を全うするまで、元に戻ることはなかったという)

…………。

すっかり夜も更けて、ベッドに横になっていた時だった。

珍しくトントンとドアをノックして、カエルパジャマ姿の真琴が俺の部屋に入って来た。

俺の確認も待たずに入って来るのは相変わらずだったが、そんな真琴の普段通りの仕草に、内心俺は安堵(あんど)した。

しかし、その安堵は一瞬だった。

「祐一……」

俺の名を呼ぶ真琴の顔は、暗がりでよく見えなかったが、何か思い詰めたような表情のように感じられた。

「どうした、真琴?」

「うん……」

それだけ言うと、真琴は突然俺のベッドに上がり、布団の中に侵入して来た。

「お、おい!」

真琴は、俺の反応には構わず、自らの体を俺にくっ付けてくる。

そして、互いに吐く息が感じられるほどに顔を近付け、俺と真琴は見つめ合う。

「祐一……一緒に寝てもいい?」

「……寝るだけで済むと思うか?」
と、冗談交じりに返すと、
「いいよ、しても。……というか、して欲しい」

「…………」

一瞬、言葉に詰まる俺。Hを嫌がっていた朝とは えらい違いだ。

「だって、真琴……祐一の彼女でいたいから……」

「真琴、今更何を――」

そう言いかけた時、俺の頭を、ある記憶がかすめた。

それは――名雪と愛し合った記憶。

そして、あゆと愛を交わした記憶。

「……やっぱりね」

俺の表情の変化を見切り、真琴が呟いた。

「やっぱりって、何が」

俺は自らの動揺を抑えるように、出来るだけ冷静に言葉を返す。

「真琴には……見えたの」

「見えたって……」

まさか……。

「祐一には帯としか見えなかった、五つの世界……。それぞれの世界で、それぞれ別の女の子と付き合ってる、それぞれの祐一の姿が」

「…………!」

やはり、真琴は知っていた。

俺は他の世界では名雪、あるいは あゆが好きだということを。

しかし、それは あくまでも――。

「祐一が好きな人――この世界では真琴だけど、別の世界では名雪お姉ちゃんだった。他の三つでは、真琴も知らない――」

「やめろ!」

俺は真琴の体を抱き締め、そのまま真琴の体にのしかかった。

まさに、真琴をベッドで押し倒したような形になる。

「祐一……」

「確かに名雪と付き合ってる記憶もあるし、あゆと付き合ってる記憶もある。残りの二つの世界はまだ俺にも分からないが、きっと真琴の言う通りだろう。

でもな、今俺がいるこの世界、俺の目の前にこうして真琴が生きているこの世界では、俺が好きなのは間違いなく真琴、お前だ!」

「…………」

「別の世界の俺が誰と付き合っていようと関係ない! どんなに記憶が混ざろうとも、真琴が好きだという俺のこの気持ちだけは変わらない!」

俺は、自分のありのままの心を真琴にぶつけた。

別の世界の“俺”が誰を好きであろうと、俺――この世界の俺には関係ない。

俺は真琴を愛している。この事実は いささかも変わらないのだから。

「……信じて……いいんだよね」

「ああ」

「祐一……」

真琴の方から寄せてきた唇を、俺は優しく迎え入れた。

唇と唇を合わせるだけの、決して濃厚ではないが、お互いの愛を分かち合うような、深いキスだった。

結局1時間近く愛を確かめ合った――具体的には……まあ、想像通りの事だ――俺と真琴は、そのまま同じ布団の中で眠った。

夜が開けて、俺が目覚める時には、俺はまた別の世界の“俺”になっているだろう。

その世界には、今俺のそばで安らかに眠っている真琴は、恐らくいない。

そして“俺”は、また別の女の子と、愛を育むことになる。

これは、次の世界の“俺”への伝言だ。

お前には、お前の好きな人がいるだろう。

だから、真琴を好きになってくれとは言わない。

だけど、これだけは忘れないで欲しい。

別の世界には、真琴という女の子がいて、俺を愛してくれていることを。

そして。

その世界の俺は、そんな真琴を誰よりも愛していることを――。


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あとがき

……スミマセン。

気が付けば、前章UPから6カ月も空いてしまいました。

今回は、いわばこのSSの世界設定の解説に当たる部分なのですが、自分で書いておきながら、相当難解になってしまいました。

本文の真琴の語りでは訳が分からないという方は、それぞれのシナリオのHappyEnd後、という五つの世界を祐一が巡回しているのだ、と簡単に考えてくだされば結構です。

それにしても、真琴が妖狐モードになっているSSって、意外に少ないですよね。やはり、そういうのは真琴には似合わないからでしょうか。

次章から、また日常の風景に戻ります。えーと、今度は栞ちゃんの出番ですね。


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