Kanon五重奏
―第2話―

Verkita de MooLing


9月1日。

『朝~、朝だよ~。朝ご飯食べて学校行くよ~』

カチッ。

すっかりお馴染みの、目覚し時計から発せられる名雪の声で、目が覚める。

長いようで短かった有意義な期間は幕を閉じ、今日からまた、退屈と苦闘の日々が始まる。

そう。今日から2学期。

俺は、若干うっ屈した気分で布団から抜け出ると、手早くパジャマから制服に着替え、部屋を出た。

……って、あれ!?

確か、昨日も同じような事を言ったような気が……。

……いやいや、昨日はこの部屋で、名雪と一緒に夏休みの宿題の残りを猛スピードで消化してたはずだ。結局、二人揃ってゴールインしたのは、晩飯の直前だった。

で、晩飯後、一仕事を終えた俺と名雪は、俺のベッドの上でもう一仕事……。

――って、んなわけあるか! 第一、俺と名雪はそんな関係じゃない。

そもそも、俺の恋人は――。

ジリリリリリーン!! リリリリリーン!! ビイイイイー!!

その時、俺の考え事を妨害するかの如く、隣の名雪の部屋の目覚し時計の一団が、一斉にわめき出した。

「全く……どうせ起きないくせに、何個鳴らしても意味ないだろうが!」

などと愚痴をこぼしつつ、俺は名雪をほっといて、一人で階段を降りて行った。

「おはようございます、祐一さん」

1階に降りると、今では秋子さんが既に朝食の準備を済ませていた。

「おはようございます」

「名雪は……やっぱり起きてこないようですね。祐一さん、先に食べていてください」

秋子さんは笑顔でそう言うと、大騒音を響かせている名雪の部屋へ向かった。

「済みません。それじゃ、先に頂きます」

俺は椅子に座ると、皿に載っているトーストを早速頬張った。

しばらくして、やっと起きた名雪が、秋子さんに連れられて居間に姿を見せた。

「……うにゅ……おはよう、祐一」

「ほはほー(おはよう)

俺は、トーストを口に詰め込んだまま、名雪にあいさつした。

名雪が朝食で もたもたしていたせいで、結局2学期初日から、俺と名雪は、予鈴ギリギリのタイミングで校門に飛び込む羽目になった。

突っ立ったまま、なぜか聞き覚えのある、校長先生の退屈な話を聞かされ、始業式終わり。

そして、教室での担任の型通りのあいさつだけで、ホームルームも終わった。

「祐一、放課後だよ」

担任が教室を出てすぐ、俺の机の横に名雪が寄って来た。

「そっか……。じゃあ、今日も行くか」

俺はカバンを持って、席を立った。

「祐一、今日も病院?」

「ああ。……あいつが待ってるしな」

「……そうだね」

名雪は笑顔で答えた。しかし、ほんの少しだが、寂しさも のぞかせていた。

「名雪は、今日も部活か?」

「うん。大会も近いしね」

今度は飛び切りの笑顔。

「じゃ、名雪、お先に」

と、名雪に声をかけてから、俺は教室から出た。

そして校門を抜けると、俺はあいつ――月宮あゆが入院している病院へ向かった。

30分ほど歩いただろうか。やっと病院の大きな建物が見えてきた。皮肉なもんだが、この病院は、俺の家(正確には水瀬家)や学校よりも、あの森に近い所にある。

正面玄関の前に着き、俺は病院の外かべの時計で改めて時刻を確認した。

普段通りであれば、今あゆは別館にいる時刻である。

外来病棟と入院病棟を兼ねる本館の横には、比較的新しく建てられた別館がある。その3階に、主に入院患者が利用する、リハビリテーションのためのフロアがある。

俺は玄関をくぐると、本館を素通りし、渡り廊下を通って別館に直行した。

3階まで階段を上がり、広々としたフロアに入る。そこかしこに各種の訓練用器具の置かれたそのフロアの奥を見やると、案の定、あゆはベンチプレスで筋力トレーニングをしている真っ最中だった。

「あっ、祐一君」

俺の姿に気付いたあゆが、一旦バーベルを下ろして、ベンチに寝たままの状態でこちらに振り向き、いかにも嬉しそうな笑顔を見せた。

「よおっ。やってるな、あゆ」

俺は右手を軽く上げて、あゆのいる所へ向かう。

「祐一君、今日からまた学校でしょ? それにしちゃ、随分早いけど」

「今日は始業式だけだからな。授業は明日からだ」

「あっ、そういえばそうだね」

あゆは照れ笑いを浮かべた。

昏睡状態のまま入院していた、月宮あゆという名の少女が7年ぶりに目覚めた。――そんなニュースを秋子さんから知らされた、あの日から、もうじき5カ月になる。

俺とあゆを不幸のどん底に叩き落した、あの転落事故から7年。

以来、ずっと昏睡状態にあったあゆがこうして目覚めたこと自体、全国ニュースで取り上げられるくらいの大変な奇跡である。

しかし、その後のあゆの体の急速な快復ぶりもまた、奇跡的と言う他ない。何しろ、既にあゆは、手すりに掴まりながらであれば、かなりの距離を自分の足で歩けるまでになっているのだ。

このままこのペースを持続できれば、あと半年くらいで、一時外出して街を普通に出歩ける程度まで快復するだろう――とは、入院直後からずっとあゆを診(み)続けてきた担当医の話だ。

「はい。今日はここまでです」

訓練士の声が、フロアに響いた。

「ありがとうございました」

あゆが元気に答えた。

こうして、俺と訓練士に見守られながら、あゆの今日のリハビリ訓練が終わった。

「それでは相沢さん、あと、よろしくお願いします」

「分かりました。行こう、あゆ」

「うんっ」

俺は、すっかり顔馴染みとなった訓練士に一礼すると、あゆを両腕を後ろからしっかりと掴んで支えながら、ゆっくりとフロアを出た。

そしていつも通り、ここからあゆが寝起きしている入院病棟の個室まで、あゆは俺の助けを借りつつ自分の足で歩いて行く。もちろん、これもリハビリの一環である。

「祐一君……手を離してくれる?」

本館への渡り廊下に差しかかった時、あゆは振り向いて、俺にそう言った。

「どうした、あゆ?」

「この廊下を……一人で、歩いてみたいんだよ。どこにも掴まらずに」

あゆは、普段は見せることの少ない、真剣な表情でそう言った。

確かにあゆは自力歩行できるまで快復した。しかし、それは俺や手すりに掴まりながらの話である。あゆがどこにも掴まらずに、自分自身でバランスを取りながら歩いたところを、俺はまだこの病院内で見たことがない。

「……大丈夫か?」

「大丈夫……と、思うよ」

余り自信なさそうな口調。言ってはみたものの、実際には あゆもこれが初挑戦なのだろう。

「……よし、やってみるか」

「うんっ!」

しかし俺は、そんな あゆの前向きな気持ちを尊重することにした。

俺自身、商店街で羽をパタパタ揺らしながら駆け回っていた、あの元気なあゆの姿を早く見たい気持ちがあったのも事実だ。

俺は、手すりが使えないように、わざと廊下の側面から1メートルほど離した位置にあゆを立たせた。

「離すぞ、あゆ」

「……うん、いいよ」

俺は、あゆの両手を、ゆっくりと離した。

あゆは、両手でバランスを取りながら、1歩、また1歩と、確実に歩を進めて行く。

俺も、あゆのすぐ後ろから付いて行く。あゆがバランスを崩して倒れそうになった時、すぐに背後から抱きかかえられるようにするためだ。

「……うわっ、わっ!」

言ってるそばから、あゆがバランスを崩す。まだ10歩も進んでいない。

「おっと」

俺はあゆをしっかりと抱き留めた。

「うぐぅ……まだ、駄目みたい」

「そう焦るな。ちゃんと後ろから見てやるから、ゆっくり行けばいい」

「……うん」

そして俺はまた あゆを離す。

少し歩く。バランスを崩す。掴まえる。離す。また歩く。――その繰り返し。

それでも、10歩、20歩、30歩……と連続して歩ける歩数が段々と伸びていく。

そして――。

「……ゴール」

何十分かかったか分からないが、とにかく あゆは、50mほどある渡り廊下を自分の足だけで渡り切った。

「頑張ったな、あゆ」

俺は後ろから あゆの体を抱きかかえながら、そう祝福した。

「祐一君……」

あゆの瞳は、心なしか少し潤んでいた。

その夜。

俺はベッドに寝転がりながら、病室で別れ際に見た あゆの笑顔を思い出していた。

「あいつも、頑張ってるんだよなあ」

俺は、自分に問いかけるように、独り言をついた。

少しずつ、本当に少しずつだが、あゆの体は確実に快復している。5カ月前まで、7年間もベッドで眠り続けていたとは思えないほどに。

焦ることはない。

たとえ1歩1歩の歩みはたどたどしくても、前に進みさえすれば、やがては目的地までたどり着ける。

今日あゆが、渡り廊下を自分で渡り切ったように。

そんなことを考えながら、俺は眠りに落ちた――。


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あとがき

やっと書けました。結局、前回から1カ月も空いてしまった……。

実は当初は、この9月1日をあゆの退院日として話を書き進めていました。

しかし、Kanonあゆ編をふとやり直してみると――エピローグのデートは、冬から春への変わり目。この時点では、あゆはまだ退院前(わざわざ駅前で祐一を待っていることと、出会ってすぐに水瀬家に行っていることから、あゆはまだ水瀬家に住んでいないことが分かる)なので、半年ほどで退院とすると辻褄が合わなくなる。――ことが判明し、結局一から書き直す羽目になりました。

(なお、目覚めてすぐに一時外出と見てもいいのですが――どうせ奇跡ですから――、よく描写を見ると、あゆの目覚めのニュースを聞いた日は「冬の寒さを、雪の冷たさを忘れそうになるくらい」完全に春に入っていたのに、デートの日は「遅い春が、もうそこまでやって来ていた」のですから、時間が逆戻りしています)

というわけで、今では――あゆが7年ぶりに目覚めたのは新学期直前の4月上旬。エピローグのデートは、それから約1年たった3月下旬の最初の一時外出の日。それから1カ月後に退院して(とはいえ、当分は通院リハビリが続く)、水瀬家に養子として迎えられる――と考えています。

第3話は真琴登場の予定。しかし、いつ書けるやら……。

※2002-03-20追記――漢字等を一部修正しました。


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