Kanon五重奏
―第1話―

Verkita de MooLing


9月1日。

『朝~、朝だよ~。朝ご飯食べて学校行くよ~』

カチッ。

すっかりお馴染みの、目覚し時計から発せられる名雪の声で、目が覚める。

長いようで短かった有意義な期間は幕を閉じ、今日からまた、退屈と苦闘の日々が始まる。

そう。今日から2学期。

俺――相沢祐一――は、若干うっ屈した気分で布団から抜け出ると、手早くパジャマから制服に着替え、部屋を出た。

そして、隣の名雪の部屋の前に立つ。

ドンドンドン。

「名雪ーっ、朝だぞーっ!」

俺は部屋のドアを力一杯ノックし、中にいるはずの名雪を大声で呼ぶ。

しかしご存知の通り、この程度の事で起きるような相手ではない。

俺はいつものように、

「入るぞ」

と一言断ってからドアを開け、名雪の部屋に入って行く。

「……くー」

案の定、ベッドの上には、けろぴーを抱き枕にして、いかにも幸せそうに寝息を立てる眠り姫がいた。

「……祐一……好きだよ」

「はいはい、分かってますって」

最初に聞いたときには思いっ切り恥ずかしさを感じた、こんな名雪の寝言も、今ではすっかり慣れっこになってしまった。

そして、俺はいつものように、名雪の唇に軽く「おはようのキス」をする。

チュッ。

元々は、“あの目覚まし”を名雪に使わせないための窮余の策だったのだが、今では俺自身、これをやらないと朝を迎えた気にならないほど、すっかり日々の習慣となってしまった。これだから慣れというのは恐ろしい。

「……うにゅ?」

「おはよう、名雪」

「うん。……おはよう、祐一」

名雪は、俺の顔を見上げると、照れたようにぽっと顔を少し赤く染めた。

名雪が目覚めたのを確認すると、俺はさっと名雪から離れて、

「先に降りてるぞ」

と一声かけて、部屋を後にする。

あんまり名雪の起き抜けの顔に見とれていると、名雪の方からいきなりキスのお返しを食らい、場合によってはそのままベッド上で一戦……ということになりかねない(いや、過去に2、3度ほど……)。それでは遅刻確定である。

いくら遅刻常習犯(そのうち99%は、間違いなく名雪のせいだが)の俺でも、学期初めからいきなり遅刻はしたくない。俺は漢(おとこ)の本能をわずかな理性で抑え付け、階段をさっさと降りて行った。

「おはようございます」

居間では、秋子さんが既に朝食の準備を済ませていた。テーブルには目玉焼きを乗せた皿が並び、脇ではトースターが勢い良くパンを跳ね上げる。

「おはようございます、祐一さん。今朝は名雪とは何もなかったようですね」

ぐはっ。

秋子さん……そういうことを、笑顔を浮かべながら、さも残念そうに言わないで下さい。

秋子さんがあの事故から奇跡の生還を果たし、退院してきた頃には、俺と名雪のことは、秋子さんには完璧にバレていた。まあ、俺達が見舞いに来た時、名雪が俺にあんなにイチャ付いてくるのを目の当たりにしたら、気が付かないはずがないか。

――なんてことを考えてたら、突然秋子さん、

「まあ、昨晩3ラウンドもやれば、当然ですけどね」

……思いっ切りバレてる。

秋子さん……やっぱりあなたは最強です。

「……おはようございます」

制服に着替えた名雪が、まだ眠いのか、目をこすりながら居間に入って来た。

「おはよう、名雪」

と、秋子さんがあいさつを返す。

こうして、水瀬家3人揃っての、いつもの朝の風景が始まった。

なお、ついでに言うと、

「はい、名雪、いつものお薬」

「うん」

と、朝食を済ませた名雪が秋子さんから、水瀬家自家製、効き目ばっちりの低容量ピルをもらって呑むのも、いつもの朝の風景である……ぐはっ。

今日は余裕を持って玄関を出たはずだったが、結局またしてもギリギリになってしまった。

その理由の詳しい説明はしたくない。「ねこー」と言えば、分かる人には分かるだろう。

突っ立ったまま、校長先生の退屈な話を聞かされ、始業式終わり。

そして、教室での担任の型通りのあいさつだけで、ホームルームも終わった。

「祐一、放課後だよ」

担任が教室を出てすぐ、俺の机の横に名雪が酔って来た。

「酔ってないよ~」

……違った。寄って来た、だ。

「――って、地の文読むなっての!」

「何やってるのよ、二人とも」

と、香里が話しかける。

「大体、“酔って(酔っ払って)”と“寄って(歩み寄って)”じゃ、この文章を音声ブラウザで読んでいる人には分からないでしょ」

その通りだ。

作品は違うが、『ONE ~輝く季節へ~』のファンサイトを名乗っていながら、ALT抜きの画像やらTABLEレイアウトだらけで、音声ブラウザや点字ブラウザでWWWサイトを読んでいる、みさき先輩のような視覚障害者のことを何も考えていないサイトが多すぎる。全く嘆かわしいばかりだ。

……いかんいかん。どうやら一時的に作者が俺に乗り移ったようだ。

「で、名雪、今日も部活か?」

話を変えて、俺は名雪に聞く。

「うん、そうだよ」

「大変だな。学期初めからいきなり部活とは」

「夏休み中もずっとやってたから、関係ないよ」

などと話していると、北川が割り込んできた。

「そう言えば、もうじきだろ、最後の競技会」

「うん、来月だよ」

「相沢君、もちろん応援に行くんでしょ? 名雪の」

「……まあな」

本当は余り行く気がしないのだが、一応クラス公認、というか校内公認のカップルである以上(名雪と恋人になってから気が付いたのだが、陸上部部長である名雪の校内での人気は半端ではない)、ここで「行かない」なんて言ったら、周りの目が怖い。

「だったら相沢、水瀬にあんまり余計な体力使わせるなよ」

「そうね、特に夜は」

「どういう意味だ、それは」

と俺は、北川と香里に冗談めかして聞く。

「言葉通りだ」

「言葉通りよ」

揃いも揃って……。

この二人、どうして俺達のことになると、こうも鋭いのだろうか……。

そして、いつものように家に帰り。

いつものように部屋でぼーっと過ごし。

いつものように帰って来た名雪を迎え。

いつものように3人揃って晩飯を食べ。

いつものように風呂に入り。

いつものように部屋でのんびりと過ごしてると。

トントン。

「祐一、いい?」

「ああ」

いつものように、パジャマ姿の名雪が、俺の部屋にやって来た。

――なんて言うと、「おや、今晩もですか? アツいねえ」などと北川みたいに誤解する輩がいるから、はっきり言っておくが。

昨晩みたいなケースは、実際には週に1回あるかないかだ。いくら俺と名雪がラブラブだからと言って、そう毎晩愛を確かめ合っていては、お互いに体が持たないし、実のところ、名雪に余りつらい思いをさせたくない(名雪は未だに慣れることが出来ず、行為のときはまだ少し「痛い」らしい)。

そもそも、俺は決して名雪の体が目当てで付き合ってるわけじゃない。ただ、俺と名雪が寄り添って座り、同じ時間、同じ空気を共有できれば、それで俺達には充分なのだ。

だから、大抵は今日みたいに、俺の部屋でお互い他愛のないお喋りをして過ごすのが、俺達の普段の夜の風景である。

「香里、明るくなったよねえ」

名雪は、ベッドの縁に座っている俺のそばに座ると、いきなりこう言った。

「そうか?」

俺には、相変わらずの香里のようにしか見えなかったが。

ちなみに、俺達と香里や北川とは、夏休み中もちょくちょく一緒に遊びに出かけていたので、別に1カ月半ぶり、というわけではない。

「そうだよ。やっぱり、北川君と付き合うようになったからかな?」

「えっ?……そうなのか、あいつら」

「知らなかったの、祐一?」

「気が付かなかったというより、あの二人がねえ……考えもしなかった」

北川が香里に惚れていたのは何となく気が付いてはいた。しかし、誰一人そばに近寄らせないが如き雰囲気を漂わせていた香里が、北川を受け入れていたとは思ってもみなかった。

「ほら、3月の頭だっけ、香里の妹さんが病気で亡くなったじゃない。あれで香里、すっかり落ち込んじゃって。で、わたしも後で知ったんだけど、北川君があんまり心配になって、香里の家まで押しかけたらしくて。それかららしいよ、香里が北川君に心を開くようになったの」

「……そういえば、そんなことがあったな。4月には香里も元通りになってたから、すっかり忘れてたが……。そっか、北川の奴が絡んでたのか……」

ふと俺は、右にいる名雪の方へ振り向いた。見ると、名雪は両手をお腹の辺りで組んで、ただうつむいていた。

「……一緒だよね、わたしと」

「えっ?」

「結局、香里も北川君がいたから、立ち直れたんだと思う。わたしだって、お母さんが事故に遭った時、祐一がいたから……。祐一がわたしを好きでいてくれたから……。祐一がわたしを愛してくれていたから……」

「名雪……俺もだ」

「……えっ?」

「駅前のベンチでお前をずっと待っていた、あの夜……もし、名雪が来てくれなかったら……もし、名雪が俺を信じてくれなかったら……俺は、再びこの街を拒絶していたかも知れない」

「祐一……」

「名雪、俺はいつでもお前のそばにいる。いつでもお前の支えになってやる。だから、もし俺に何かあったら、その時は、お前が俺の支えになって欲しい」

「わたし……祐一の支えになれるほど、強くないよ」

「強くないのは、俺も同じだ。でもな、誰の支えも必要としない人間なんて、この世にいないと思う。愛する人、愛してくれる人がそばにいて、いつも互いに支え合って生きている。――人間って、そういうもんだと思う」

俺は、名雪をじっと見つめて、そう言った。

「……そっか。そうだよね」

「名雪……」

「……うん」

俺達は、顔を寄せ合い、軽くキスをした。

「……わたし、もう寝るね」

そう言うと、名雪は立ち上がり、ドアに向かった。

「ああ。お休み、名雪」

「うん。お休み、祐一」

そして、いつものように名雪と別れ。

いつものようにベッドで横になり。

――こうして、いつものように、1日が終わった。

……はずだった。


第2話へ続く


あとがき

うーん……難しいなあ、二人の会話。

“他愛のない話”と言っておきながら、えらくマジな話になってしまいました。

さて、第1話だけを見ると、ごく普通のほのラブ話のようですが、そうは問屋が卸しません。次回から物語は急展開を見せます(笑)。

ってなわけで、次回は あゆちゃん登場です。

※2002-03-20追記――漢字等を一部修正しました。


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