「おはようございます、ご主人様」
そんなマルチの声で目覚め、
「おやすみなさい、ご主人様」
そんなマルチの声と共に1日が終わる。
そんな日常を手にして、早1カ月。
その間、オレの頭の中に、繰り返し浮かんでは消える、一つの疑問。
「オレは、マルチの“ご主人様”なのか?」
「マルチにとって、オレは“主人”でしかないのか?」
それに対し、オレはいつも、こう答える。
「それがマルチの、オレへの愛の証しだから」
*
オレは、マルチを愛した。
人が人を愛するように、オレはマルチを愛した。
マルチも、オレを愛した。
人が人を愛するように、マルチはオレを愛した。
しかし、オレはマルチを人間として愛しているわけではない。
マルチも、自らを人間に擬してオレを愛しているわけではない。
もちろん、オレはマルチをロボットとして愛しているわけではない。
マルチも、自分がロボットだからオレを愛しているわけではない。
藤田浩之は、HMX-12マルチを愛している。
HMX-12マルチは、藤田浩之を愛している。
ただ、それだけだ。
そこに、人間だとロボットだとのいう概念が入り込む余地はない。
*
マルチはロボット――それは事実だ。
人間に奉仕するため、人間の役に立つために造られたメイドロボット――それがマルチ。
本当にマルチを愛しているのなら、その事実を受け入れなければならない。
その事実から、目を背けてはならない。
だからこそ、マルチの行為、マルチの愛の表現を、人間の尺度、人間の価値観で判断してはいけない。
そして、マルチがオレを「ご主人様」と呼ぶことを否定すべきではない。
それは、マルチがメイドロボットであることを否定すること。
即ち、マルチに人間となるよう強要することだ。
マルチは、人間になりたいなどと、微塵も思ってはいない。
そしてマルチは、自分がメイドロボットであることに、何ら引け目を感じていない。
それどころか、マルチは自分がメイドロボットとして生まれたことを、むしろ誇りにしている。
マルチは、いつも確信を持って話す。
「自分は幸せなメイドロボット」だと。
*
ならば、マルチを人間として愛し、人間として扱うことは、本当にマルチを愛していることにはならない。
本当にマルチを愛しているのならば、マルチがメイドロボットであることを受け入れるべきではないか。
オレを本当に愛してくれているからこそ、マルチはオレを「ご主人様」と呼び、「ご主人様」として扱っていることを、受け入れるべきではないか。
自分を守ってくれる人。
自分を誰よりも好きでいてくれる人。
自分を誰よりも大切にしてくれる人。
それが、マルチにとっての「ご主人様」。
マルチは、メイドロボットだから。
メイドロボットのマルチにとって、「ご主人様」ほど、相手への愛と信頼を表す言葉は他にないから。
マルチにとっては、オレを「ご主人様」と呼び、オレを「ご主人様」として扱うことが、最大級の愛情表現だから。
オレをマルチの「ご主人様」にしたのは、他ならぬマルチ自身だから。
そして、そんなマルチを、オレは好きになったから。
だからオレはマルチを――オレを「ご主人様」と呼ぶマルチを、ありのまま受け入れよう。
*
「そうだろ、マルチ?」
「……はい、ご主人様」
――完――
「ご主人様」という言葉。
それは、マルチの浩之への愛の証しであり、この言葉を否定することは、マルチがマルチであることを否定することである。
――本サイトを立ち上げた目的の半分は、このことを主張するためであると言っても過言ではありません。今、やっとそれがかないました。(ちなみに残り半分は、浩之・マルチ夫妻の将来を悲観的に描いたSSが名作呼ばわりされていることへの反発です)
当初は通常の小説形式で書き始めたのですが、どうしても長くなりそうな上に、肝心のテーマがぼやけてしまう危険性がありました。そのため、形式を浩之モノローグに変更。言いたい事、伝えたい事だけを短くまとめるという手法を取りました。
巷に溢れているマルチ後日譚系SSを見ると、マルチが「浩之さん」と呼んでいるケースが圧倒的多数です。
しかし、それではあのエピローグは何だったんだということになりかねません。あの中で、浩之は自分がマルチの「ご主人様」であることをはっきりと受け入れています。
「ご主人様」という言葉に抵抗を感じる方は、マルチがどんな想いでその言葉を使っているかについて、今一度考えてみる必要があるのかも知れません。