2000年2月14日、月曜日。
カシャアッ!
カーテンの引かれる音と、そして目の奥を貫く陽光。
そして、オレ――折原浩平――の頭を揺るがす、長森瑞佳の声。
「ほら、起きなさいよーっ!」
「うーん……あと3世紀だけ寝させてくれ……」
「バカ言ってないで、さっさと起きるんだよっ!」
バサッ。
オレは長森に布団を引っぺがされ、文字通り叩き起こされた。
「……分かったよ。起きりゃいいんだろ、起きりゃ……」
そう言いながら、俺がベッドから体をどかせた時だった。
「ヤダッ!……浩平、シーツぐらい替えなさいよっ!」
顔中を真っ赤にして、長森が怒鳴った。
それもそのはず。シーツの真ん中辺りには、昨日のオレと長森との情事の跡が、ベッタリと染みになって残っていたから。
「オレは別に気にしないぞ」
「わたしは恥ずかしいんだよっ!」
「染みの原因の大半はお前だろうが! 全く、長森ときたら、昨日はオレの下で乱れに乱れて――」
「浩平が激しすぎるからだよっ!」
「最初に求めてきたのはお前の方だっ!」
「うーっ」
「ふかーっ!」
…………。
「はぁ……朝っぱらから、何やってんだろ、わたし達」
「さーて、久しぶりに学校まで走るとしますか」
そう言いながら、オレはカバンと制服を取って、部屋を出た。
「わっ、待ってよ、浩平!」
ぶつぶつ言いながら、長森も部屋を出た。
オレがこの世界に戻って来た日から数えて、今日で三日目。
長森に叩き起こされ、文句を言いながら制服に着替え、長森と一緒に学校へと急ぐ。
もう訪れることはないと思っていた、そんなオレのいつもの朝の風景の中に、オレは確かに存在していた。
*
「しかし、長森」
学校への道を走りながら、オレはそばを行く長森に聞いた。
「何?」
「オレはともかく、何でお前まで走ってんだ?」
「……えっ?」
3年生にとっては、実は一昨日が授業の最終日だった。
つまり、今日から卒業式の日までの約3週間、登校する3年生はほとんどいない。
せいぜい、オレみたいに補習授業に出てくる連中か、あるいは3月の舞台の準備に忙しい演劇部員くらいだろう。
この1年間、病気のために休学していたオレは――戻ってみると、そういうことになっていた――既に留年が確定している。だから、赤点者救済のための補習を今更受ける意味はなく、現に髭も、
「病み上がりなんだから、無理しなくていいぞ」
と言ってくれたのだが、1年のブランクを早く取り戻したかったオレは、自分から補習を願い出たのだ。
「成績優秀のお前が、補習に呼ばれてるわけないだろ?」
「うん」
「クラブだって、もう卒業してるだろ?」
「うん」
「だったら、学校に何の用事があるんだ?」
すると、長森はあっさりと、
「何もないよ」
「だったら……」
「だって……」
長森は、うつむきながら答えた。
「……浩平と一緒に、学校に行きたいんだもん」
「…………」
いつものオレなら、「何恥ずかしい事言ってんだ、バカ」と軽口を叩くところだろうが、今のオレは、とてもそんな気分にはなれなかった。
朝、学校への道を、オレと一緒に走る。
長森は、そんな小さな夢を持ち続けながら、この1年、オレを待ってくれていたのだ。
しかし、4月になれば、長森は大学生だ。登校路も違えば、登校の時間もずれる。
もちろん、オレは来年、長森と同じ大学に入るつもりだが、それは1年も先の話だ。
つまり、今月を過ぎると、また1年、長森はオレを待たなければならない。
まして、同じ高校に通う機会となると、もはや今しかないのだ。
そんな長森の想いを痛いほど感じたオレは、ただ、
「……そうか」
と一言、口にするだけだった。
やがてオレ達は、登校路の半ば、商店街の中を抜ける。
あちらこちらにある、今日が何の日かを示す看板や飾り付けが目に留まる。
2月14日。
そうか……今日はバレンタインデーだったな。
まっ、オレはチョコレートには とんと縁がないけどな。
長森だって、中1の時オレにくれた、その1度っきりだったし。
……でも、何で1度っきりだったんだっけ?
そんなことを想いながら、オレと長森は駆け足で校門をくぐった。
*
正午過ぎ。
配られたプリントの問題を延々こなすだけの、至って無味乾燥な補習も終わった。
オレは、図書室で暇を潰しているはずの長森の所へ行こうと、教室を出た。
しかし――。
「……あっ、浩平、補習終わった?」
廊下には、既に長森が立っていた。
「ああ……って、ずっと待ってたのか?」
「うーん……5分くらいかな」
「そっか……」
長森らしいといえば、長森らしいんだが……。
「浩平、昼食はどうするの?」
「えっ、昼食って……」
ぐあっ……補習のことばっかり頭にあって、昼飯のこと、すっかり忘れてた。
しかも間が悪いことに、財布まで忘れてきたため、今オレの手元にはお金が1円もない。
「長森、悪い、昼飯代貸してくれ」
オレが平身低頭で長森にパンと手を合わせると、
「だろうと思った」
と言って、長森は、自分のカバンの中から、ハンカチで包んだ弁当箱を二つ取り出した。
「じゃーん。浩平の分も作ってきたんだよ」
「でかしたぞ、長森。サンキュー」
「へへっ……じゃあ、早速食べよっ」
「オーッ……って、でも、どこで食べるんだ?」
すると長森は「うーん……」と少し考えてから、
「……中庭に行こうか?」
「中庭だと……?」
中庭で、男子と女子が一緒にお弁当を食べる。
ぐあっ……想像するだけで恥ずかしい光景ではないか。
「それだけは嫌だ」
「じゃあ、どこで食べる?」
「…………」
いくら何でも、屋上は寒すぎるし。
学食は、1年生・2年生でごった返してるし。
教室は、まだ補習組が結構残ってるし(結構、みんな弁当を持参してきていた)。
階段の踊り場は、別の意味で恥ずかしい。
「……中庭で、いいか」
「うん」
*
そしてオレ達は中庭で、長森が作ってきた弁当を二人で食べた。
長森がオレの食べ物の好みを覚えていてくれたことに感激しつつ、いろいろと他愛のないお喋りをしながら、オレ達は弁当の中身を口に運んでいった。
もっとも、今回はそういう話ではないので、詳しい描写は省略する。
「――さーって、帰るとしますか」
空になった弁当箱を長森に返し、下ろしていた腰を上げて、大きく伸びをした時だった。「あっ、待って、浩平」
弁当箱二つをカバンの中にしまい込んでいた長森が、オレを呼んだ。
「んっ、何だ?」
すると長森は、カバンの中から、今度は原色の包装紙に包まれた小さな箱を取り出した。
「浩平……これ」
「それは……?」
長森は、小さな声で、
「チョコレート……だよ」
「…………」
バレンタインデーなど無縁だと思っていたオレは、突然の事に、オレは声が出なかった。
「昨日、浩平の家から帰る途中、コンビニに寄って買ってきたんだよ」
「…………」
「もうこんなのしか残ってなかったけど……でも、わたしの本気だよ」
「…………」
「浩平が受け取ってくれなかったらどうしようって思ったけど……」
「…………」
「それでも、わたしは浩平のことが、好きだから……」
「…………」
「だから……わたしは……」
思い出した。
中1の時、教室で、1度だけ長森からチョコレートをもらったことがある。
しかしその時、オレは「このオレを虫歯だらけにする気か!」と言って、包み紙をほどくこともなく、そばにあったゴミ箱にそれを放り込んでしまったのだ。
(その直後、オレはその状況を目撃した男子連中から袋叩きにあったのは言うまでもない)
以来、長森から――もちろん、他の女の子からも――チョコをもらったことはない。
いじめることが愛情の証しなどという屈折した感情しか持ち合わせていない、自分勝手で馬鹿なオレが招いた、当然すぎる報いだった。
しかしオレは、そんな自分の馬鹿さ加減に気付くこともなく、みさおを傷付け、そして長森を傷付けた。
……本当なら、オレはこの世界にいる資格などないのだ。
あの「えいえんのせかい」に文字通り永久追放されて、当然の人間なのだ。
しかし、オレは帰って来た。
そして、その理由も知っている。
こんな馬鹿なオレを、愛してくれる人がいたから。
こんな愚かなオレを、ひたすら待ってくれる人がいたから――。
「瑞佳……!」
「きゃっ!」
気が付くと、オレは長森を正面から抱き締めていた。
長森の手から、箱入りのチョコレートが地面に落ちる。
「浩平……」
「瑞佳……そんなにオレのことが好きか?」
「うん」
「目の前で、チョコレートをゴミ箱に捨てるような男だぞ」
「うん」
「熱にうなされながら、お前の純潔を奪ったスケベ野郎だぞ」
「うん」
「1年間も、お前をほったらかしにした馬鹿野郎だぞ」
「それでも……浩平だから……」
「瑞佳……」
「1年間……本当につらかったんだよ……」
「…………」
「みんなと一緒に、浩平のことを忘れられたらどんなに楽かと、本気で思ったよ……」
「…………」
「でも……忘れられなかったんだよ」
「…………」
「だって……わたしは……」
「…………」
「浩平がいないと……駄目なんだもん……」
「…………」
「浩平のことを想ってないと……もう生きていけないんだもん……」
いつの間にか、長森の言葉は涙声になっていた。
「瑞佳……」
そんな長森を、オレはただ、強く抱き締めてやることしか、出来なかった。
そして、オレは確信した。
オレもまた、長森がそばにいなくては、もう生きていけないと――。
*
家に帰り、久しぶりに口にしたチョコレートは、ちょっとほろ苦い味がした。
――完――
2月14日に間に合ったよ~~(苦笑)。
ところで――瑞佳編で浩平が「えいえんのせかい」から帰って来たのは、2000年2月12日で間違いありません。瑞佳エピローグで、長森が学級日誌を書いているCGをよく見てください。ちょうど2月12日分を書いている最中です。