カグツチ帰郷物語・第2章

※ 本作品は、『IZUMO2 学園狂想曲』ハッピーエンド後を前提とした、連載SSです。

第2章 美由紀帰国


16. 二日目の朝

「フライングボディプレス~~!!」

ズシイイイイイン!

「ぐああああああっ!!」

「何だ……今のは?」

既に居間にいるカグツチが聞くと、芹はさも当然という口調で答えた。

「現在の塔馬家の朝は、明日香ちゃんのボディプレスと、猛の悲鳴で始まるのよ」

「そ、そうか……」

「いてて……」

猛が右手で自分の首根っこを押さえながら、階段を下りてきた。その前を、明日香が意気揚々と歩く。

サクヤと結ばれて以降、しばらくは猛の朝は「サクヤのくすぐり攻撃」で始まっていたのだが、ほんの1カ月で猛に通用しなくなったため、現在は明日香のボディプレス攻撃に戻っている。

「おはよう、猛君」

居間に到着した猛に、カグツチが声をかける。他のメンバーは、既に食卓に着いている。

「ああ、おはよう、カグツチ……?」

猛が見たカグツチは、昨日の戦装束ではなく、上は紺色のあわせ、下ははかまという、和服の出で立ちだった。読者の皆さんには、「桐谷 五郎(きりや ごろう)」の服装だと言えば分かるだろう。いや、もちろん桐谷本人が着ていた奴ではないが。

「はは……やっぱり、似合わないかな?」

「いや、別に似合わないってわけじゃ……」

猛は戦装束姿のカグツチしか知らないのに、そのカグツチがいきなり服を替えたのだから、猛がいささか違和感を覚えたのは仕方あるまい。

「あの格好じゃ外を出歩けんからの、わしが昔着ていた服を出してきたんじゃ」

六介の説明に、猛が反論する。

「じいちゃん、今どき和服なんて、外じゃかえって目立つだろう」

「何を言うか。わしが着ていた若い頃は、これがごく普通の普段着じゃったんだぞ」

「いつの時代だよ」〈つーか、じいちゃんの『若い頃』なんて想像できない〉

ここで、カグツチが割って入った。

「ここじゃ、大人の男向けの洋服なんてあるわけないからね。取りあえず今日はこれを着て、みんなが学校へ行っている間に、久しぶりに街を回るついでに、何か適当なのを買ってくるよ」

「カグツチ一人でか?」

代わりに、琴乃が答える。

「本当は、お母さんが付いていければ良かったんだけど、お母さん、仕事が忙しいから」

「まあ、昨日は綾香さん、丸1日潰したからなあ」

「俺なら大丈夫だよ。それに、せっかくだから四聖獣の様子も見ておきたいしね」

それを聞いて、猛はカグツチに忠告した。

「カグツチ、朱雀の料理店だけは気を付けろ。ドサクサに紛れて皿洗いさせられるぞ」

「……肝に銘じておくよ」

カグツチと六介を家に残し、今日もいつも通りに登校する塔馬家メンバー。

その途中で、大斗家メンバーを乗せたリムジンが追い付いてきた。リムジンから3人が降り、猛たちと合流する。

「よう。おはよう、剛」

しかし、猛に声をかけられた剛は、何やら神妙な面持ちで、猛にこう告げた。

「……猛、いきなりで済まんが、話があるんだ」

「何だ?」

「今晩7時、カグツチを連れて、校舎の屋上に来てくれないか。その……カグツチに会わせたい人がいるんだ」

17. 二日目の昼

出雲学園は、ただ今お昼休み中。

「なあ剛、誰なんだ、『会わせたい人』ってのは?」

いつものメンバーが勢揃いした校舎屋上。猛が授業中もずっと気になっていた疑問を口にする。

「悪いが、それは俺の口からは言えない」

「同じくです。本人より、かん口令を敷かれておりますので」

「まあ、7時をお楽しみにってことだね」

剛・ヒミコ・汀が揃って返答を拒否した。

「ひょっとして、瑞親(みずちか)さんとか」
と、芹は予想したが、猛はこれをあっさりと否定する。

「それはないな。瑞親おじさんなら、こんな回りくどい事はしない。会うつもりなら、とっくにアポを取って、今頃街中で会ってるだろう」

大斗瑞親――新興財閥・大斗コンツェルンの総帥であり、剛の養父。

学生時代は六介に師事し、剣術を学んでいた。結局、総帥を継ぐため剣の道は諦めざるを得なかったが、今でも六介を師と仰ぎ、「剣の道」の代用行為としての刀剣コレクションに執念を燃やす。

「でも、瑞親さんは知ってるよね、伯父様のこと」

「だろうな。昔は剣術を学びに、じいちゃんちまで通ってたっていうから。もっとも、その頃だとカグツチや芹のお母さんは、まだ小学生だよな」

同じ頃、出雲町商店街。

「ありがとうございましたー」

デパートの紳士服売り場を離れるカグツチに、レジ係の店員が頭を下げる。

六介からもらった小遣いで、シャツ・ズボン・肌着を数着ずつ買ってきたところだ。

〈まあ、どうせ1カ月だし、これで充分だろう〉

そして、エレベーターの前まで来たところで、見知った顔に出くわした。

「あれっ、青竜か?」

「まあ、カグツチさん……いえ、今は『ヒカルさん』とお呼びすべきでしょうか」

イメージ通りの清楚な服装をした青竜が、先にエレベーターの前に立っていた。

「好きな方でいいよ。ところで、青竜は仕事は?」

青竜がCDショップの店員をしているのは、カグツチも聞いている。

「今日は週休ですので。どうでしょう、もし時間がよろしければ、この上の喫茶コーナーで一緒にお茶でも頂きませんか」

18. 青竜の想い、そして……

デパート最上階の喫茶コーナー。

大勢の客がいる中、カグツチと青竜は一つだけ空いているテーブルに案内され、互いに向かい合って着席した。

「ご注文は、いかが致しましょうか?」

「俺はホットコーヒー、ミルク抜きで」

「私はレモンティーを」

「かしこまりました」

注文を聞いたウェイトレスがカウンターへ向かう。

「意外だなあ、青竜が紅茶なんて。てっきり緑茶かウーロン茶かと」

カグツチの台詞に、青竜も笑顔で言葉を返す。

「カグツチさんこそ、コーヒーなんて飲み物はすっかり忘れていたと思いましたけど」

「そうでもないさ。古里に戻ると、やっぱり古里の料理が恋しくなるもんだろ」

「コーヒーは西洋の飲み物ですけど」

青竜、ナイス突っ込み。

「……青竜、こっちに来て、性格変わってないか?」

やがて、注文の品がテーブルに運ばれてきた。

二人の話も弾む。実はネノクニでも、カグツチと四聖獣が任務以外の事で語り合う機会は滅多にないため、これだけ長い会話は久しぶりだったりする。

そして、話がこちらでの四聖獣の近況に及んだ時、ふとカグツチがこんなことを聞いた。

「しかし、他のみんなはともかく、何で青竜までこちらに居着いたんだ?」

「おかしいですか?」

「いや、青竜はもっと、自分の任務というか職務に忠実だと思ったから」

「それは買いかぶりというものです。麒麟(きりん)に対してなら当てはまる言葉ですが」

「謙遜……いや、それこそ青竜には似合わないな」

「ええ。私は何につけ、皆と共にいたかっただけですから」

そして青竜は少しだけ微笑みを見せると、ティーカップを口に付けてから、自分の想いを語り始めた。

「私たちは2000年もの間、最初は徐福(じょふく)様に仕える巫女として、のちにはネノクニを守る精霊・四聖獣として、行動を共にしてきました。

皆が同じ場所で暮らし、皆が同じ重荷を負い、皆が同じ道を歩み、そして、生死さえ皆が共にする。――それだけが、私たち共通の想い、私たち共通の願いです。性格のそれぞれ異なる私たち4人ですが、今更一人一人がバラバラに暮らすなど考えられませんし、考えたくもありません。

1カ月交代で一人ずつ、こちらに『影』を残してネノクニに戻るという妥協案を受け入れはしましたが、本当の事を言えば、アマテラスとカグツチという『真の守護神』がネノクニに現れた今、既に私たちの四聖獣としての役目は終わっているのです。麒麟は真面目すぎる故に、そのことを受け入れられないようですが」

気が付けば、店内の客もまばらになってきた。壁に飾られた時計の針は、1時過ぎを指している。

「おっと、もうこんな時間か」

「そうですね。すっかり長居をしてしまいました」

デパートの出入口で青竜と別れたあと、カグツチは塔馬家への帰り道をひとり歩く。

『私は何につけ、皆と共にいたかっただけですから』

そんな青竜の台詞に、カグツチの中で、一人の女性の面影が重なる。

それは、物心付いた頃からカグツチ=ヒカルと共にいた、たった一人の“妹”の姿だ。

“妹”は“兄”と、いつまでも共に暮らしていけると思った。

“兄”と実は血が繋がっていないと知り、“妹”の“兄”への思いは更に強くなった。

それが叶わないのなら、いっそ“兄”に嫌われてしまった方がいいとさえ、“妹”は思った。

しかし――現実は残酷だった。

“妹”は“兄”に嫌われることはなかった。なのに“兄”は突然、“妹”の前から姿を消してしまった。

カグツチは、心の中でつぶやく。20年を経た今もなお、カグツチの心の中に深く刻み込まれている“妹”の面影を思い浮かべながら――。

〈美由紀は……俺を赦してくれるだろうか〉

19. あと2時間

午後5時、剣道場。

「本日の活動はこれまで。一同、礼!」

「ありがとうございましたーっ!」

主将の締めに合わせ、猛・剛ら部員全員のあいさつが剣道場全体に響いた。

「剛、お前も一旦帰るのか?」

約束の時間まで、あと2時間。

カグツチを電話で呼び付けて、自分はこのまま学園内で待つという選択肢もあったが、どうせ家から学園まで徒歩15分と近いため、猛は一旦帰宅することにした。

「ああ。呼んでこないといけないからな」

「例の人物」が大斗邸に待機しているため、剛も同様である。

午後5時半、塔馬家。

「ただいまーっ」

「お帰り、猛君」

玄関をくぐる猛を、先に帰宅していたサクヤが出迎えた。

ちなみに芹は、2階の自室で宿題と格闘中である。

「猛君、お帰り」

「ただいま、カグツチ……あれっ、その服は?」

居間で迎えたカグツチの服装は、朝に見た和服でも、今日買ったはずの洋服でもなかった。

「7時の件はサクヤから聞いたよ。それだったら、一番着慣れた服の方がいいと思ってね」

そう。防具こそ着けていないが、普段からネノクニで着ていた、白い真綿地の戦闘服だった。

午後6時。

「いただきまーすっ!!」

5人の大きな声が、居間全体に響いた。

いつものように琴乃が作り置きしてくれた夕食(まあ、サクヤも半分位は手伝ったが)を、猛・サクヤ・芹・六介・カグツチの5人がありがたく頂く。

「だけど、こう毎朝毎晩だと、琴乃ちゃんも大変だな」

「私もそう思って、琴乃さんからいろいろと料理を教わってるんだけどね」

肉じゃがを箸で突きながら、カグツチとサクヤが言葉を交わす。

サクヤは料理の腕は確かなのだが、いかんせんレパートリーが貧弱すぎる。サクヤに任せていたら毎晩「○○の丸焼き」が出てきそうで、とても琴乃から料理係を引き継げる段階にはない。

「そういえば、芹、お母さんには連絡したのか、カグツチのこと?」

猛が芹に聞く。

「平日は無理よ。朝はこっちがバタバタしてるし、あたしが学園から帰ってくる頃には、シアトルは深夜だもの」

逢須(おうす)夫妻が住むアメリカ合衆国ワシントン州シアトルは、現在サマータイム中なので、日本との時差は16時間。日本が午後5時なら、あちらは深夜1時である。

そのためか、芹と両親との国際電話は、こちらの月曜朝(あちらは日曜昼)にシアトルからかかってくるケースがほとんどである。

そして、6時30分。

夕食を済ませ、猛はカグツチと共に、再び出雲学園に向かう。

「それじゃ、カグツチ、そろそろ」

「そうだな――っと、ちょっと待った。芹ちゃん」

居間を出ようとした猛を制止して、カグツチは芹に声をかけた。

「何?」

「急で悪いが、君も一緒に来てくれないか」

「えっ……あたしが?」

20. 二日目の夜、待ち人のもとへ

午後6時40分。

すっかり暗くなった出雲学園への坂道を、一応制服に着替えた猛と芹、そして綿衣を着たカグツチの3人が上る。

「うう……さすがに夜だと、まだ冷えるわねえ」

まだ1学期が始まったばかりの4月中旬、まして学園は高台にある。冬ほどではないにしても、まだこの時期の夜は寒い。

「何か適当に羽織ってきたら良かったんじゃないのか?」

「急に呼ばれたから、そこまで考えなかったのよ。その点、伯父様のはあったかそうね。真綿地でしょ、それ?」

芹の台詞に、カグツチはこんな答えを返した。

「戦闘着に絹はもったいないからね。それに、厚手だからクッションになるし」

「いや、カグツチ、別に戦闘に行くわけじゃないから……」

しかし、カグツチは真顔で答える。

「いや……ある意味、戦闘になるだろうな」

合わせるように、猛も真顔で聞く。

「カグツチ、その分だと分かってるようだな、相手が誰か」

「……まあな」

しかし、カグツチはそれ以上答えず、それきり口を閉ざしてしまった。

午後6時50分。

「10分前か。意外に早かったな」

黒塗りのリムジンを脇に従え、校門前で待ち構えていた剛が、到着した3人に向かってそう言った。

「剛か。で、どこだ、『会わせたい人』てのは?」

「既に屋上で待っている。早く行ってやれ」

そう言って、剛は校舎の屋上の方へ振り返った。

「そうか。行くぞ、みんな」

「ああ」

「分かったわ」

「――と、ちょっと待った」

芹の姿に気付いた剛が、3人を呼び止めた。

「ん、どうした?」

「逢須さんが一緒のようだが、何か聞いてるのか?」

「いいえ。伯父様に急に呼ばれたから、付いてきただけ」

「『伯父様』……?」

「ああ、剛には言ってなかったな。芹のお母さんは、カグツチの妹だ」

「……そうか」

剛は目をつぶり、そうつぶやいた。

「剛……?」

「……いや、呼び止めて悪かった。行ってくれ」

「あ、ああ」

何か不自然なものを感じつつも、猛はそれ以上深入りせず、芹とカグツチを連れて、校門をくぐった。

3人を見送った剛が、心の中でつぶやく。

〈逢須さんにも秘密とは、悪趣味な人だ……〉

21. 待ち人現る

午後6時55分。

猛と芹に、しばらくここにとどまるように言ってから、カグツチは校舎屋上への重い扉を開ける。

屋上に無言で立つカグツチ。扉の陰で、屋上の様子を伺う猛と芹。

冷たい、しかし穏やかな風が吹く屋上の、フェンスの角に背をもたれかけるようにして、「待ち人」は立っていた。

黒のローブに身を包んだその人は、顔をうつむかせたまま、近寄ってくるカグツチに告げる。

「遅かったわね」

若さの残る女性の声だ。カグツチは立ち止まり、反論する。

「約束の時刻まで、あと5分あったと思うんだが」

「遅すぎるわよ……」そして、彼女は顔を上げた。「私を……大事な妹を……20年も待たせるなんて」

「お母さ……!」

月明かりに照らされた彼女の顔を見た芹が思わず叫びかけ、慌てて言葉を呑み込んだ。

猛は無言のまま、屋上の二人をじっと注視する。猛にとっては十数年ぶりの再会だが、猛もまた彼女の正体をすぐに理解した。

〈芹のお母さんが、どうしてここに!?〉

そう。彼女の名は、逢須美由紀。

現在は夫と共にアメリカに住む、芹の母親であり、そして、カグツチの“妹”である。

しかし、カグツチの態度に何ら動じた様子はなかった。

それもそのはず。そもそも1週間前、玄武に言付けを頼んで彼女をこの出雲町に呼び寄せたのは、他ならぬカグツチなのだから。

「てっきり、俺より先に帰ってきて、俺を待ち構えてると思ってたんだが」

「無理言わないでよね。これでも、向こうの用事を済ませて、文字通り飛んできたんだから。お陰で、芹に連絡する暇もなかったわ」

「どうせ、いきなり帰国して、娘をびっくりさせてやろうって魂胆だったんだろ。全然変わってないな、お前は」

「汀ちゃんから聞いたわ。兄さんだって、自分の娘には前日まで内緒にしてたくせに。おんなじじゃない」

二人の会話を聞き、芹が小声で愚痴をこぼす。

「何よ。それじゃ伯父様、お母さんにだけは事前に伝えてたわけ?」

猛も小声で言う。

「まあ、お母さんはアメリカだからな」

「で、そのローブの下は何かな?」

「わざわざ聞く? 分かってるからこそ、兄さんだって向こうの戦闘着を着てきたんでしょ」

微笑みを絶やさなかったカグツチが、ここで真顔に変わる。

「……妹の気持ちを受け止めてやるのは、兄の務めだからな」

「そう……」

美由紀も分かっている。分かってはいるが、いや、分かっているからこそ――その言葉を“兄”から聞きたくなかった。

「兄さんにとって、私は今も……“妹”なんだ」

「美由紀……」

「私の気持ち……分かってるくせに……!」

「俺にはアマテラスがいる。美由紀にだって、今は旦那さんがいるだろ」

「分かってるわよ! それでも……それでも……私の気が済まない」

そして美由紀はローブをバサッと脱ぎ捨てた。その下から現れたのは、白の道着を身にまとい、腰に黒帯を締めた、女性格闘家そのものの姿だった。

「私を捨てた兄さんをコテンパンにのしてやらないと、私の気が治まらない!!」

22. 待ち人来たる

ここで話は、前日の夜に遡る――。

出雲学園前から大斗邸へ、1台のリムジンがひた走る。その後部座席に座っているのはもちろん、ヒミコ・剛・汀の3人である。

「いいなあ、カグツチさん。剛も大人になったら、あんな風になるのかな」

そう言って、右隣の剛にギューッと引っ付く汀。

「剛には剛の魅力があります。そんなにカグツチが気に入ったのなら、剛から別れてカグツチの愛人にでもなればいいでしょう」

負けじと、左隣の剛にギューッと引っ付くヒミコ。

「な、なあ……二人とも、もう少し離れてくれるとありがたいんだが」

そして、美少女二人にサンドイッチ、というか押し潰されかけている剛。

「嫌です」

「お断りします」

「……トホホ」

今更説明の必要もないだろうが、大斗家メンバーの登下校は、毎日こんな調子である。

はたから見れば文字通り「両手に花」の剛だが、こんな剛をうらやむような者は、少なくとも剛の周囲にはいない。だって実際には「両手に花」どころか「両手に核ば」――いや、それを言うのはやめておこう。作者も命が惜しい。

やがてリムジンが、音一つ立てず停止した。

「坊ちゃま、お嬢様方、屋敷に到着でございます」

実直なベテラン運転手が、前を向いたまま後ろの3人に告げる。

「はーい」

「ありがとう」

「いつもご苦労様です」

三者三様のあいさつをして、3人はリムジンを降りた。この時も、ヒミコと汀は剛からいっときも離れてなるものかと、剛にくっ付きながら、わざわざ揃って左側から降りる。以前、双方が両側に分かれて降りようとして――もちろん、剛を掴んだ状態で――まるで「大岡裁きで、二人の母親に引っ張られる子供」のようになった剛が、危うく引き千切られそうになったことがあったせいだ。

そんな3人を大斗邸で迎えたのは、屋敷付きのメイドと――3人が過去に一度も会ったこともない、一人の女性だった。

「お帰りなさい、皆さん」

「ただいま。……えーと、あなたは?」

代表して剛が聞くと、その女性はとんでもない返答をした。

「わたくし、このたび大斗瑞親と結婚することになりました、美由紀と申します」

その直後、邸内では大の大人が一人「ドンガラガッシャーン!」と派手にずっこけた音が聞こえてきた。

3人が唖然とする中、慌てて玄関に飛び出してきたのは、やっぱり瑞親であった。

「逢須さん……そういう心臓に悪い冗談はよしてくれんかね」

しかし、彼女はしれっとして言った。

「あら、アメリカでは、まずジョークで相手の心を掴むのは社交の基本ですよ」

「ここは日本なんだが……」

〈この人、一体何者?〉

剛は思う。常に沈着冷静な瑞親をここまでうろたえさせるとは、ただ者ではない。

「では改めまして。わたくし、瑞親の愛人の――」

相変わらずの女性を強引に押しとどめるように、瑞親が彼女を紹介した。

「この方は、塔馬先生のお孫さんに当たられる、逢須美由紀さん。現在、先生の家で暮らしておられる、逢須芹君のお母様だ。

急な話ではあるが、長い間音信不通になっていた兄が出雲町に帰ってくるということで、1カ月ほど我が家にご逗留されることになった。剛たちは、くれぐれも彼女に失礼のないよう充分に注意してくれ」

23. 待ち人語る

夕食後、広間では美由紀・剛・ヒミコ・汀の4人が、団らんの時を過ごしていた。

ちなみに瑞親は「仕事が残っているので」と称して、既に自室に戻っている。

「ふーん。話には聞いてたけど、汀ちゃんも大きくなったんだあ」

「あれっ、ボクと会ったことありました?」

「そりゃ覚えてるわけないわよ。だって、まだ汀ちゃんが赤ちゃんの時だし」

「しかし、あのカグツチが、塔馬先生のお孫さんだったとは……」

「その兄さんはアマテラスさんと結婚して向こうへ渡り、その子供がこちらに来て猛君と結ばれる。運命を感じるわね」

美由紀は、逢須氏と結婚してからも、しばらくは塔馬家で六介と同居していたが、猛が塔馬家に引き取られたのとほぼ同じ時期に、夫の仕事の都合でアメリカへ引っ越していった。(このため、塔馬家の台所事情は悲惨を極め、それを見かねた綾香が食事を手助けするようになる。そして2年前、その役目は元気になった琴乃に引き継がれた)

以来、美由紀はかつてネノクニで共に戦った仲間たちと、すっかり疎遠になってしまった。育ての親である六介との国際電話も年に1、2回程度。娘の芹が帰国してからは多少増えたが、それでも月に1回程度である。

そのため、最近の猛たちに関して知りうる情報は、芹との電話でのやり取りで分かる範囲、即ち芹に直接関わる出来事の範囲にほぼ限られる。

芹がネノクニで、カグツチという「謎の男」に会ったこととか。

結局、芹は猛に振られたこととか。

学園祭の格闘大会で、芹が倉島汀に勝って優勝したこととか。

ネノクニから突然「カグツチの娘」がやって来て、目下猛と「同棲中」であることとか。

――その程度である。

もちろん、「カグツチ=ヒカル」であることは、IZUMO2本編の段階で既に気が付いていたし、芹がネノクニで、かつての自分と同じ経験をしたことは察している。しかし、そのことについて芹は多くを語らないし、美由紀もあえて追及しなかった。

「ところで、逢須さんのお母様が、なぜ塔馬家ではなく、こちらに来られたのですか?」

剛がもっともな疑問を言う。

「その前に、私のことは『美由紀』でいいわ。いちいち『逢須さんのお母さん』なんて長ったらしいでしょう。

それで、さっきの剛君の質問だけど、今、塔馬家には何人いると思う?」

これに対し、ヒミコが代わりに答えた。なお、美由紀は、ヒミコの正体や剛との関係については、既に瑞親から聞いている。

「六介さん、猛、芹さん、サクヤさん、そして今日からカグツチで、5人ですね」

「その通り。私も塔馬家に長い間暮らしていましたから知っています。これ以上、あの家には部屋がありません」

実はこれは嘘。本当は塔馬家にもあと2、3人は受け入れる余裕があり、そのことは美由紀も百も承知なのだが、剛たちは気が付かない。「その点、大斗さんのお屋敷でしたら部屋はあり余るほどですし。私は大斗さんとは、昔から懇意にさせて頂いておりました故、3日前、大斗さんにこちらからお電話をさせて頂きましたところ、喜んで逗留を受け入れて下さいました」

〈3日前というと……あれか〉

剛は思い出した。ヒミコと同衾(無論、「床を共にする」だけではない)していた夜、ちょうど帰宅していた瑞親に電話があった。剛は仕事の話と思い、気にも留めなかったが。

それにしても、これらのことを笑顔で語る美由紀から「不気味なオーラ」を感じるのは、果たして3人の気のせいなのだろうか。

「あれっ? でも猛は、昨晩カグツチさんからいきなり帰郷を伝えられたって言ってたけど」

汀がそう言って首をひねった。

「そうなの? 私は1週間前、突然シアトルの自宅に現れた玄武さんから聞いたんだけど」

そして、翌朝。

美由紀はリムジンに向かう剛たちに、猛とカグツチを学園の校舎屋上に呼ぶよう依頼した。それも、自分の名前は伏せて。

いぶかる剛に美由紀は、
「これも演出よ。兄さんはともかく、猛君は意外な人物の登場にびっくりでしょうね」と笑って、彼らを送り出した。

この時点では、3人は美由紀を「カグツチの妹」としか思っていなかった。というより、美由紀は隠していた。

つまり、美由紀の“兄”に対する複雑な想いを、3人はまだ知らない――。

24. 待ち人攻める

さて、話は再び夜の屋上――。

「ハーッ!」「おっと!」

「テリャーッ!」「クッ!」

「ターッ!」「何のっ!」

――って、もう始まってるよ。

美由紀が突きを打てば、カグツチは両腕でそれをガード。

美由紀が膝蹴りを放てば、カグツチは後方にスウェイ。

美由紀がローキックに出れば、カグツチは跳び上がってそれをかわす。

とにかく、美由紀の息もつかせぬ拳と蹴りの連続攻撃を、カグツチが腕で止めたりかわしたりしながら屋上全体を動き回る――そんな状態が、既に10分近く続いている。

美由紀にすれば、一方的に攻めまくっている状況なのに、肝心のヒットは1発も決まっていない。

カグツチにすれば、完全に防戦一方で、反撃の糸口も掴めない。

一瞬の休みもなく動き回っているにも関わらず、全く息の上がっていない二人だが、まるで先が見えない状況に、内心二人とも焦りを感じていた。

一方、扉の陰で様子を見守っている、猛と芹。

いつ終わるとも知れぬ二人の攻防に息をするのも忘れて見入っている――かと思いきや。

「猛、お母さんと伯父様って、本当に兄妹なの?」

「芹、俺も同じ事を考えてた」

二人は、全く違う事を考えていた。

そりゃそうだろう。

『美由紀……』

『私の気持ち……分かってるくせに……!』

『俺にはアマテラスがいる。美由紀にだって、今は旦那さんがいるだろ』

『分かってるわよ! それでも……それでも……私の気が済まない』

先ほどの会話。どう見ても兄妹というより、「失恋した女とその元彼氏」である。

そして――実際その通りなのだから、困ったものである。

そんな、長い長い派手な痴話喧嘩?にじれたのか、美由紀が先に動いた。

25. 待ち人守る

「食らえーっ!!」

美由紀の右足が円軌道を描き、カグツチの頭へ襲いかかる。ハイキックだ。

カグツチは蹴りをよけるため、重心を落とし、体ごと頭を下げる。

すると美由紀は、更に足を高く上げ、カグツチの頭上に入った瞬間、一転足を垂直へ落とした。

カグツチの動きを見越し、こめかみを狙ったと思わせて、実は始めから脳天狙いの、かかと落としだ。

しかし、よく考えて欲しい。自分より体格で勝るカグツチに対して、かかと落としを仕掛ければどうなるか。

体全体が伸び上がった状態になり、隙だらけの状態でバランスも不安定になる。

それは、「どうせ反撃はしてこない」という油断と、全く攻撃が決まらない焦りが生んだ、おおよそ美由紀らしくないミスだった。

そして事実、カグツチは斜め前方へ伸び上がり、美由紀が振り下ろしてきた右脚のすねに向かって頭突きを食らわせた。

「キャッ!」

後方へとはじき飛ばされ、尻餅をついた美由紀に向かって、容赦なくカグツチはローキックを見舞う。反撃開始だ。

美由紀は右方向へ転がり、辛うじてこれをかわすと、地面に突いた両手をバネにして空中を1回転。カグツチの前に降り立ち、瞬時に構える。

今度はカグツチが、美由紀に対してただひたすら、拳と蹴りを浴びせ続ける。

美由紀は縦横無尽に動き回り、カグツチの攻撃を全てかわす。

カグツチの攻撃は力任せで、型もへったくれもない文字通りの我流。それ故、動きには無駄が多く、美由紀はカグツチの動きを完全に見切り、全てをかわし切っていた。

にも関わらず、美由紀の表情には余裕が全くと言っていいほど感じられない。

そりゃそうだろう。

カグツチは、美由紀の攻撃の半分以上を、両腕でガードして防いでいた。逆に言えば、両腕で充分耐えられる攻めだったということだ。

一方、カグツチの攻撃は1発の重みが大きい。それを両腕でガードしていては、たとえ美由紀でも両腕を破壊されかねない。

つまり、美由紀はカグツチの攻撃を、ひたすらよけるしかなかった

無論、美由紀は“兄”に勝ちを譲る気は更々ない。しかし――。

〈このままでは、体力を削られるだけ……〉

そう確信した美由紀は、遂に勝負に出た。

26. 待ち人賭ける

「ハアッ!」

カグツチが気合いを込めて、ストレートパンチを美由紀の顔面へ放つ。容赦なし……というか、容赦してる余裕なんてない。

美由紀は地面を蹴り、自らを後方へとはじき出して、これをかわす。そして、一気に5メートルほど距離を取ると、一転カグツチへ襲いかかる。

「ハアーーーッ!」

「……あれは!」

美由紀の動きを見た芹が、思わず叫ぶ。

〈兄さんなら、これを食らっても死ぬことはないよね〉

「ウララララララララーッ!」

美由紀、わずか1秒弱の内に、左右交互に正拳突き8連発

「グググググ……!」

カグツチ、何とか両腕でガード。両手がしびれる。

「ダッ!」

美由紀、カグツチの両腕に回し蹴りを食らわす

「うわっ!」

カグツチ、威力に押されるも、辛うじてこらえる。

「ウラーーーッ!」

美由紀、垂直跳びから旋風回し蹴り4連打

「……ぐあっ!」

カグツチ、こらえ切れず、遂にガードが崩れる。

「ハアッ!」

美由紀、着地と同時に飛び膝蹴り

「うぐっ!!」

カグツチ、みぞおちに、まともに食らう。そして――。

「もらったーーーーっ!!」

美由紀、こん身の蛙跳びアッパー

「ぐあああああっ!」

カグツチ、顎にまともに食らい、文字通り後方へと吹っ飛ばされた。

「百烈拳……?」

つぶやく猛。しかし、どうも腑に落ちない。

百烈拳は芹も使うが、芹のそれとは全然違う。何より、スピードが桁違いだ。

「あれがお母さんの編み出した、本物の『百烈拳』。

あたしのは、スピードでお母さんに劣る分、パワーを生かせるようにアレンジしたバリエーション。所詮はまがい物よ」

「しかし、何もカグツチ相手に――」

「それだけ追い詰められてたってことよ。それに……」

そう言って、芹はカグツチを指差した。

「百烈拳をまともに食らって、伯父様はまだ立っている」

「はあっ……はあっ……」

「はあっ……はあっ……」

互いに距離を取り、カグツチと美由紀は相手を見やる。

「まだ百烈拳が使えたとは……やるな……」

「呆れた……。あれを食らって……まだ立ってるなんて……」

一気に体力を消耗し、肩で息をしている状態の二人。

「で、どうする……。まだ、やる気みたいだが……?」

「言ったはずよ……。兄さんと決着を付けるまでは……」

しかし、カグツチは笑顔さえ浮かべて、美由紀に言った。

「いや。既に決着は付いた」

「兄さん、何を言って――」

――美由紀は台詞を最後まで言うことなく、意識を失った。

27. 待ち人眠る

「妙だな……」

校門の前で、校舎の屋上を見上げながら、剛がつぶやいた。

剛の位置からは、屋上の詳しい様子は分からない。ただ、二つの気のぶつかり合いののち、一方の気が激しく暴れ出し、その直後、屋上が急速に静かになったことだけは、剛にも感じられた。

そして、静かになって10分ほどたった頃だろうか。

剛の目に、校舎のエントランスから出てくる人影が映った。

「……猛!」

猛、芹とカグツチ、そして――気を失ったまま、カグツチに負ぶさる美由紀である。

「剛、待ってたのか?」

「ああ。……美由紀さんは?」

美由紀を心配そうに見やる剛に、芹が答える。

「大丈夫よ。大技の反動で、精根尽き果てて自分がダウンしただけだから。全く、お母さんも無茶するから」

続いて、カグツチが剛に聞く。

「ところで、美由紀は今、剛君の所に?」

「ええ。1カ月ご逗留されるとのことで」

「そうか。それじゃ、美由紀のこと、あとは頼めるかな?」

「あ、はい」

そして、カグツチと剛は、美由紀の体をリムジンの後部座席に運び込んだ。

「しかし……何で兄妹が20年ぶりに再会した途端、決闘しなきゃいけないんだ?」

誰に聞かせるでもなく猛がそうつぶやくと、リムジンから戻ってきたカグツチが答えた。

「美由紀にしたら、俺を1発殴らないと気が済まなかったんだろう。気持ちは分かるよ」

そう言うと、カグツチは4人をその場に残し、塔馬家への帰り道を一人で歩いていく。

「いや、だから何で――」

カグツチの背に声をかける猛に対し、カグツチは一度足を止め、振り返らずに答えた。

「美由紀にとって、俺は初恋の相手だからな。なのに、俺は美由紀を振って、しかもネノクニへ行ってしまった。恨まれて当然だろう」

先に行ってしまったカグツチに目をやりながら、剛が猛に聞いた。

「猛、カグツチと美由紀さん、本当に兄妹なんだろうな?」

「それは間違いないだろう。昨日、本人もじいちゃんも言ってたし」

「しかし、兄妹が『初恋』だの『失恋』だのって……」

すると、芹が言った。

「分かんないわよ。あんまり言いたくないけど、ニニギみたいな例もあるし」

ニニギ。腹違いとはいえ、実の妹に求婚した馬鹿兄貴。

「だとしたら……お母さん、ひょっとしてまだ伯父様のことを」

「…………」

芹のつぶやきに、猛と剛は何も言えなかった。二人もそれに感付いてはいたが、芹の立場を考えると、それを口にすることは出来なかった。

その頃、リムジンの中で眠っていた美由紀は、こんな寝言を――。

「……お兄ちゃんの、馬鹿……」

28. 待ち人縮む?

「おはようございます、皆さん」

「――美由紀さん、まだ安静にされた方が良いのではありませんか?」

「1日寝ましたから、もう大丈夫です。それよりヒミコさん、実はお願いがあるんですけど」

「はあ」

「はあ……」

土曜日の昼。下校の途上、芹はため息をついた。昨日から通算したら、もう何度目になるのやら。

「屋上での対決」から二日後。

あれから美由紀は、大斗邸に宛てがわれた自分の部屋で眠り込んだまま、朝も目覚めなかった――と、昨日剛は芹に語った。

そして今日。いつも通り、屋上で皆が集まって弁当などを食べたあと、部活やら「婚約者」に付き添いやらで猛たちが学園に残る中、帰宅部の芹は一人、塔馬家への道を歩いていた。

「昼、剛に聞きそびれちゃったなあ」

母親の凄さは身をもって知っているとはいえ、それはそれ、やはり母親のことが心配になるのは、娘として当然である。

そして、塔馬家に着いた芹。

このあと、大斗邸にお見舞いに行ってこようか――そんな思いを抱きつつ、玄関を開けた。

「ただいま……」

「ああ、おかえり。そうそう、芹ちゃんにお客さんじゃぞ」

出迎えた六介が、いきなりこんなことを言った。

「あたしに?」

居間に入った芹を迎えたのは――。

「遅かったじゃない、芹。どこかで道草食ってたんじゃないの」

白のタートルネックセーター、紺色のスカート、黒のニーソックス、そしてピンクのジャケットを羽織った、芹と同年代にしか見えない女の子だった。

「……えーと、誰?」

「あーっ、ひどい! たった半年で、自分の親の顔を忘れる!?」

そう言われて、芹はハッと気付く。目の前の姿を、母親のアルバムで何度も見たことに。

「――お母さん!?」

「そうよ、逢須美由紀。旧姓・塔馬美由紀。

何か傷付くなあ。ちょっと若返っただけなのに、そんなに気付かないほど変わった?」

そう言って、わざとらしくプンプンと膨れっ面を浮かべる彼女――美由紀であった。

「若返りすぎよ! どう見ても高校生――」

そう言った瞬間、芹の心を悪い予感がよぎる。「ま、まさかお母さん、百烈拳の後遺症でそんな体に!」

百烈拳で体力・霊力を使い果たした直後である。ありえない事ではない。

「ああ、違う違う。ヒミコさんに頼んで『若返りの術』をかけてもらっただけだから。それに、日付が変わる頃には元に戻るから心配しないで。

でも、ヒミコさんって凄いね。駄目元で頼んでみたら、あっさり出来ちゃうなんて。さすが、ネノクニの元ラスボス」

「ラスボスって何よ……。

全く、わざわざ娘をびっくりさせようとして、そこまでする?」

美由紀は古武術の達人で無茶苦茶強いが、こういうお茶目なところを併せ持っているのも事実。もっとも、こういう部分も引っくるめて、芹は母・美由紀が大好きなのも、また事実である。

「それだけじゃないんだけどね。

芹、ちょっとそこまで付き合える?」

美由紀が芹を連れ出した先は、街外れにある公園だった。ジョギングやトレーニングの場として、芹にとってもお馴染みの場所である。

「へーっ、あんまり変わってないね。私とお兄ちゃんが、ここでトレーニングしてた頃と」

公園を歩き回りながら、美由紀がつぶやいた。

「『お兄ちゃん』……?」

芹は違和感を覚えた。昨晩、美由紀はカグツチのことを「兄さん」と呼んでいたはずだから。

「私の中では、今でも塔馬ヒカルは『お兄ちゃん』だよ。さすがにこの歳になると、恥ずかしくて口には出せないけどね。違和感バリバリだから」

そして、美由紀は芹の方へ振り向いた。

「芹をここに連れ出したのは、今日どうしても、芹に――我が子にだけは伝えたい事があったから。

そして、私が若返った本当の理由は、当時のこの姿と、『お兄ちゃん』という言葉でなければ、私の本当の想いを芹に伝えることは出来ないと思ったから」

「お母さん……」

そして美由紀は、自分と芹だけがいる公園の真ん中で、話を始めた。

「これは昔話。ずっとそばにいたお兄ちゃんに恋をしてしまった、一人の女の子のお話――」

29. 待ち人の回顧 (1)

「それは、今から40年ほど前に始まったお話。

塔馬六介という、この街の有名なおじいちゃんのもとに、二人の幼子が養子として迎えられました。

1歳上の男の子は『ヒカル』、女の子は『美由紀』と名付けられました。

つまり、お兄ちゃんと私です。

おじいちゃんは、武芸全般に秀でた、文字通りの達人でした。

やがておじいちゃんから、私は空手に近い古武術を、お兄ちゃんは剣術を学び、私たちは厳しくも優しいおじいちゃんのもと、心身共に成長していきました。

私も強さには自信があったけど、お兄ちゃんは、そんな私から見ても本当に強くなりました。私はそんなお兄ちゃんが、心の底から大好きになりました。そして、私はいつまでもお兄ちゃんと一緒にいられるんだと、信じて疑いませんでした。

そんな中、私が11歳の時、小さな出来事がありました。

クラスの友達と、いつものようにお喋りをしているうちに、いつの間にか、『あなたが一番好きな男の子は誰?』という話題になりました。まあ、思春期に入ったばかりの女の子にとっては、ごく普通の話ですね。

で、みんなの口から、クラスメートの男の子とか、先に中学校に入った先輩とか、中には若い先生とかの名前が挙がっていく中、遂に私の番が来ました。

それで、私は何のちゅうちょもなく、『お兄ちゃん』と答えました。

案の定、みんなから、『美由紀、あんた何歳?』と馬鹿にされました。それは、兄妹は結婚できないという事実を初めて突き付けられた瞬間であったと同時に、いつかはお兄ちゃんも他の女性と結婚して、私と離れ離れになるという可能性に気付かされた瞬間でもありました。

もちろん、その程度の事は知識としては知っていました。でも、それはどこか他人事で、それが自分に関係のある事だとは分かっていなかったのです。

しかし、それでも私は、お兄ちゃんを好きになるのをやめることは出来ませんでした。たとえ結婚は出来なくても、たとえお兄ちゃんが他の女性と結婚したとしても、家族としてお兄ちゃんといつまでも一緒に暮らすことは出来ると思いましたし、私はそれでもいいと思いました。

……嘘ですね。

本当は、私だってお兄ちゃんと結婚したかった。お兄ちゃんを、他の誰にも渡したくなかった。それが本音。

でも、それは実際には不可能な事。だから、一緒に暮らせればそれでいいと思って――そう思い込むようにして、自分を騙し続けていました。だって、そうするしかなかったから。

しかし、14歳の時。

別に理由なんてなく、単なる興味本位で入手した自分の戸籍謄本を見て、私は本当の事を知りました。

それまで私とお兄ちゃんは、私を生んですぐに死んだ両親の子供で、その両親の父親であるおじいちゃんに引き取られたと説明され、そう信じていました。

しかし、戸籍謄本には、私もお兄ちゃんも、更に言えばおじいちゃんも、実は本当の両親は不明で、私たちは身元不明の赤ん坊として、おじいちゃんに養子として引き取られたことが記されていました。

つまり私とお兄ちゃんは、血縁関係のない、あくまで義理の兄妹だったのです。

つまりそれは、『お兄ちゃんと、結婚できる』ということ。

それに気付いた瞬間、私は自分の気持ちに嘘をつくのをやめました。もう私には、『お兄ちゃんと結婚する』以外の可能性は考えられなくなってしまいました。

でも、その事実をお兄ちゃんに明かすことは出来ませんでした。

それをお兄ちゃんが知ったら、今までの兄妹関係が壊れてしまうかも知れない。そうなれば、お兄ちゃんは私から離れて、遠い所へ行ってしまうかも知れない。――そんな恐れを抱いてしまったからです。

そして、私が出雲学園に入学した、その年。

遂に、あの日を迎えてしまいます」

30. 待ち人の回顧 (2)

その頃、塔馬家――。

「……あれっ。じいちゃん、美由紀は?」

「ヒカルか。美由紀ちゃんなら、芹ちゃんを連れて、どこかへ出かけたぞ」

「芹ちゃんと……?」

再び、公園――。

美由紀の話は続いた。

友達から預かったヒカルへのラブレターを渡せず、それが元で友達ともヒカルとも大喧嘩になってしまったこと。

「私、お兄ちゃんを誰にも奪われたくなかった。でも、あんなことをしたせいで、私は留美(るみ)ちゃんも、お兄ちゃんも失ってしまった。――そう思い込んでしまった。

そして、お兄ちゃんと一緒になれないのなら、いっそお兄ちゃんに嫌われた方がいいなんて、馬鹿な考えにとらわれて……私は、お兄ちゃんの言葉にことごとく反発して……そして、誰とも仲直りできないうちに……。

――地震が起きたの」

ひとりネノクニをさまよう美由紀。そして、スサノオとの出会い。

「スサノオ君は、確かに私を守ってくれた。そして、誰からも愛されたことがなく、孤独な戦いを続けているスサノオ君に、私は共感を覚えたりもした。

でも、それだけだった。

半年間、お兄ちゃんと離れて、スサノオ君と一緒に暮らして、私は思い知ったの。

スサノオ君は、お兄ちゃんの代わりにはなれないんだって。

私には、やっぱりお兄ちゃんがいないと駄目なんだって」

そして、ヒカルたちとの再会。

「なのに私は、お兄ちゃんにとって私が『妹』でしかないのを知るのが怖くて、お兄ちゃんから逃げ続けた。

そして、やっぱりお兄ちゃんにとって私は『妹』で……それでもお兄ちゃんは私を命懸けで助けてくれて……『妹』の私が、お兄ちゃんからこんなにも愛されていることが分かって……。

やっと私は、お兄ちゃんの胸に飛び込むことが出来た。こんなにお兄ちゃんから愛されているのなら、『妹』のままでいいと、やっと思えるようになったの」

しかし美由紀は、ヒカルがアマテラスと結ばれたことを知る。

「お兄ちゃんは何も言わなかったけど、私は、お兄ちゃんがアマテラスさんを追って、ネノクニに残るつもりだと、気が付いてしまった。

今までの私なら、アマテラスさんから奪い取ってでも、お兄ちゃんをアシハラノクニに連れ戻していたと思う。でも、今の私には――愛する人と引き離される悲しさ、つらさを知ってしまった私には、とてもそんなことは出来なかった。

だから私は、我慢することに決めた。その時が来れば、どんなにか泣くかも知れないけど、それでも我慢することにした」

そして、全ての戦いが終わり――。

「その翌日、案の定、私は留美ちゃんと二人で、思いっ切り泣いちゃった」

31. 待ち人の回顧 (3)

「こっちに戻ってきたあと、私も努力したんだよ。

お兄ちゃんのことを諦めよう、お兄ちゃんのことを忘れよう、お兄ちゃんのことを思い出さないようにしようって。

で、大学に進学して、今のお父さんと出会って。

そして結婚して、芹が生まれて、アメリカに渡って。

そうして20年かかって、お兄ちゃんをアルバムの奥底に押し込んだ。

で、いつの間にか、お兄ちゃんのことを思い出すこともなくなっていた。

……でも、駄目だった」

「何が?」

「芹がネノクニから最初に帰ってきてすぐ、お母さんに電話をくれたよね。

芹は気付いてなかったみたいだけど、私には、芹の言う『カグツチ』がお兄ちゃんのことだって、すぐに分かっちゃった。

分かっちゃって、私……泣いちゃった」

「…………」

芹は思い出した。その時、電話の向こうから聞こえてきた、美由紀のむせび泣く声を。

「お兄ちゃんのこと、忘れたはずだったのに。

お兄ちゃんのこと、吹っ切れたはずだったのに。

私にはお父さんも芹もいるのに、私の心の中には未だにお兄ちゃんが居座っていることに、気付いちゃった」

「お母さん……」

芹の心に不安がよぎる。

〈まさかお母さん、お父さんを捨てて伯父様に走るなんて言い出す気じゃ……〉

しかし、それを見透かしたように美由紀は言った。

「でもね、私は今の家庭を捨てる気はないの。だって、お父さんも芹も大好きだもん。

それに、お兄ちゃんにだってアマテラスさんやサクヤちゃんがいるしね。

――だから、決めたの」

「…………?」

「芹とお兄ちゃんが出会えたんなら、私とお兄ちゃんが出会う時だって必ず来るはず。今まで諦めてたけど、私は絶対にお兄ちゃんともう一度会おうって。

そして、私はこんなに苦しめるお兄ちゃんを、1発殴り飛ばしてやろうって。どうしても忘れられないのなら、力ずくで追い出してやろうって。

それで今度こそ、お兄ちゃんのこと、終わりにしてやろうって」

美由紀は笑みを漏らす。まるで、自分をあざ笑うかのように。

「そして、実際のそのチャンスが巡ってきて、本気のお兄ちゃんをやっと百烈拳でぶっ飛ばして。

ベッドの中で気付いちゃった。――私、一体何をやってるんだろうって」

32. 待ち人帰る

「私、一体何をやってるんだろう」

自嘲気味につぶやく美由紀のそばへ、じっと話を聞いていた芹が歩み寄る。そして芹は――美由紀を両手で抱き、こう言った。

「馬鹿よ、お母さん」

「えっ……?」

突然の芹の行為に目をしばたたかせる美由紀に対し、芹は言葉を続ける。

「つまり、お母さんは伯父様に会いたかったということでしょ? それでいいじゃない。そんな小難しい屁理屈を並べて、『どうしても会わなきゃいけないんだー!』なんて形にする必要なんて、どこにもないじゃない」

「…………」

反論できない美由紀に、芹はいきなり核心を突いた。

「そうやって自分に素直になれないから、伯父様に振られたんでしょ」

「…………!」

「分かるわよ、それぐらい。だって……あたしとおんなじなんだから」

「えっ?」

「今の猛とあの頃の猛は違うなんて、始めから分かってた事。でも、あたしはそれを認められなくて……自分に素直になれなくて……そうやってぐずぐずしているうちに、猛はサクヤちゃんに持ってかれちゃった」

「芹……」

「おかしいよね、親子揃って同じ失敗するなんて……」

「…………」

「お母さんはいいわよ。振られようが非血縁だろうが『兄妹』なんだから。でも、あたしと猛は、ただの幼馴染み……『他人』なんだから……」

芹の目に浮かぶ涙に気付き、美由紀は何も言えず、ただ自分の娘を抱き返すだけだった。

気が付けば、公園は夕暮れが迫っていた。

「ありがとう、芹。お母さんの愚痴を聞いてくれて」

「お母さん……」

「こういうのって、お兄ちゃんが相手じゃ駄目なの。お兄ちゃんは優しすぎるから、いくら私が洗いざらいぶちまけても、ただ黙って受け止めることしか出来ないのよね。20年前のあの時はそれで良かったけど、今の私には、全てを受け止めた上で、容赦なく誤りを指摘できる人が必要だったから。

その点、芹は日頃からお母さんには容赦なかったしね」

そう言って美由紀は笑った。

「…………」

芹は何も言えなかった。余りにも「その通り」で。

「私、今日はもう大斗邸に帰るね。お兄ちゃんによろしく言っといて」

「う、うん……」

夕焼けの赤い光を浴びて、一人の少女が公園から街へと走り抜ける。

その様子を見つめながら、芹は、本当にこれで良かったんだろうかと、不安を隠せなかった。

33. 待ち人戻らず!?

翌日、日曜日の朝。

「……ごちそうさま」

いつもはお代わり2、3杯は当たり前の芹が、今日に限って、僅かご飯1杯で食卓の席を立った。言葉にも、いつもの覇気が感じられない。

「どうしたんですか、芹さん?」

心配そうに、琴乃が聞く。

「ああ、大丈夫。ちょっと食欲が出ないだけだから」

すると、猛が思わず席を立ち、叫んだ。

「馬鹿な!? おい、誰か救急車を!」

「どういう意味よ!」

直後、芹のストレートパンチが、猛の顔面に炸裂した。

芹が昨日の帰宅後に聞いたところによれば、昨日塔馬家に突然やって来た「若返り美由紀」は、カグツチや六介とろくに言葉を交わさず、芹の帰宅を待っていたらしい。

そして、あの公園での会話である。

芹には昨日の美由紀が、何とか自己完結させたとも、実は1歩も進んでないのをごまかしたとも見えた。娘として、母のその後が気にかかるのは当然であった。

「……良かった。元気で何より」

額を押さえながら、猛が立ち上がる。

「はあ……あたし、今日は――」

そう芹が言いかけた時、玄関のチャイムが「ピンポーン」と鳴った。

「誰かのう、こんな朝早く」

「あっ、俺が出るよ」

六介のつぶやきを背に、カグツチが席を立ち、玄関へ向かった。

そしてカグツチは玄関の扉を開けながら、その向こうにいるはずの相手にあいさつを――

「はーい、どなた――」

「お兄ちゃーーーん♪」

――しようとしたが、その台詞は、いきなりカグツチの懐に飛び込んできた訪問客に遮られた。

「み、美由紀!?」

はい。訪問客はカグツチの妹・美由紀。それもジャージ姿で、まだ若返ったままの美由紀だった。

「お母さん!?」

玄関から聞こえてきた声に驚いて、芹が居間を飛び出して玄関に来た。他の面々もあとに続く。

「どうしたのよ、お母さん。その格好」

「ああ、芹? 今、ジョギングの途中だから」

「私も付き合わされました」

そう言って、扉の向こう側から巫女服のヒミコが現れた。

「ヒミコ……その格好で街を走ってきたのか?」

猛の疑問に、ヒミコが答える。

「私にとっては、これが普段着かつ戦闘着ですから」

「そんなことより、お母さん、若返ったままじゃない。1日で戻るんじゃなかったの?」

確かに昨日と話が違う。芹の当然すぎる疑問に、引きつった笑顔の美由紀と、あくまで冷静なヒミコが答える。

「ああ……それなんだけどね」

「実は、まことに言いにくい事なのですが」

「元に戻らない!?」

塔馬家メンバー中、六介を除く6人が一斉に声を上げた。

ヒミコが、外面だけは努めて冷静に説明する。

「はい。美由紀さんが帰宅された昨晩、そして今朝、私が何度も解除呪法をかけたのですが、美由紀さんの体は元に戻りませんでした。

どうやら、美由紀さんの潜在意識が元の体に戻ることを拒否して、解除呪法を受け付けなくなっているようです」

「それじゃ、芹のお母さん……美由紀さんは一生そのまま?」

猛はヒミコに問いただす。

「その心配はありません。元より不自然な状態ですから、このまま放っておいても、いずれは呪法の効力が切れて元に戻ります。恐らく、長くても1カ月は持たないかと」

「逆に言えば、最長1カ月はこのまま、ということか」

ため息をつくカグツチに、美由紀はにんまりとしながら言った。

「まあ、私の方はシアトルに帰るまでに戻れればいいから、それで何の問題もないしね。

――さーて、お兄ちゃん」

そう言って、美由紀はカグツチの左手を掴み、外に引っ張り出した。

「お、おい、美由紀、何を!?」

「一緒に走るの! お兄ちゃんだってネノクニに帰ったらまた戦闘なんだから、ちゃんとトレーニングしとかないと、体がなまって大変な事になるでしょ!」

「い、いや、あのなー……」

「……行っちゃいましたね」

あっという間に玄関から去っていった3人を眺め、琴乃がつぶやいた。

「全く。『兄妹』というより『親子』に見えるわい」

そう言いつつ、まんざらでもない様子の六介。

「『お兄ちゃん』か……」

「どうした、芹?」

「うん。お母さんが元に戻りたくない理由、何となく分かったような気がした」

「…………?」


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